2015/03/03 (Tue) 22:59
この部屋を訪ねるのは、そういえば久しぶりだったかもしれない。
僕は部屋の真ん中に座してぐるりと見渡しながらそう思った。
白い書棚に作り付けのデスク。デスクに鎮座しているのはパソコンディスプレイ。自宅サーバも兼ねた部屋の主ご自慢の自作パソコン本体は机の下にあり、小さな扇風機で風を送られる仕組みになっている。
書棚には様々な機械工学の本に和洋のロックを扱った雑誌、そして様々なプラモデル。
まさしく少年の部屋、である。
もちろんベッドの下にはさらに少年らしく、水着姿の女性の写真が載るグラビア雑誌もないではないが、彼が購入の目当てとしたのはヤクザの組の動向の記事だったことを僕は知っている。
風俗関係にあまり興味はないようだが、その裏の人間事情に関してはかなり詳しい彼らしい選択だ。
そんなことをぼんやり考えていると、長袖Tシャツにスウェットのズボンと言う普段着に着替えた部屋の主が急須と湯飲みが乗った盆を持って戻ってきた。
「わりいな、いま文さんが夕食の支度で手が離せねえんでな。」
茶菓子はせんべい。いかにもこの家らしい、と僕は微笑ましく思う。
庭は日本庭園。もちろん僕の隣家の日本画家の趣味の庭園と比べるとさほど凝ってもいないし、ところどころ松の枝が不恰好に短いのはこの家の主が日本刀を振り回す結果であることを僕を含め、友人連中はみんな知っている。
かっちりと制服の学ランを着込んだままの僕は出された茶を一口すすった。
「で?俺に訊きたいことってなんだ?」
単刀直入。こういうところは竹を割ったような彼の性格からすると大変彼らしい。
だが少しその視線の焦点が僕からずれているように感じるのが、ほんの少し違和感。
「魅録こそ、僕か悠理に言いたいことがあるんじゃないですか?」
僕は歯に衣を着せることもなく、用件を口に出した。それは相手が彼だからこそ。
瞬間、湯飲みを持つ魅録の人差し指がぴくりと痙攣するように動いたが、そのほかは眉一つ、髪一筋すら、揺らめくことはなかった。
「お前さんか、悠理に?」
その声も極めて平常。特に演技していると感じられるところもない。
「このところあなたの視線を感じるんですよ。悠理と一緒にいるときに。」
僕はじっと魅録の目を見つめて問うた。
この目が怖い、と悠理はよく怯えたように言う。
武道では視線で腹の探りあいをする。そこから勝負は始まる。だから僕の視線はいつも真実を見逃さぬようにと見張られている。
よく下手な小細工をしては後ろ暗いところを隠そうとする、だけれど僕でなくてもバレバレな正直者の悠理は、この目が怖いと言うのだ。
もちろん喧嘩慣れしていて鋭い霊感も持つ悠理は、そのような人の視線に敏感でもあるのだろうが。
その悠理も、魅録のもの言いたげな視線には気づかぬようだ。
いつも隣にいるのに、気づいているのは僕だけ。僕よりはるかに敏感なはずの悠理にも気づかせない、魅録の視線はそれほどにひそやかなものだった。
やはり悠理に気づかせたくない種類の想いから来ているからなのだろうか?
なぜなら───
「僕が悠理と付き合うようになってから、あなたと目が合うことが増えた気がするんです。魅録。」
僕、菊正宗清四郎と悠理が長い長い互いへの片想いの末に付き合い始めたのは三ヶ月前。
有閑倶楽部の連中はみな祝福してくれた。この魅録も含めて。
だが僕たちが常に一緒にいることが日常になり始めた頃、僕は気づいたのだ。
「魅録、まさかあなたは悠理のこと・・・。」
好きなのではありませんか?と言う言葉を、僕は最後まで言うことができなかった。
いきなり魅録が肩を震わせて笑い出したから。
「何を言い出すかと思ったら。」
あっはっはっは、と床に座ったまま頭をベッドの上に預けて大の字にも近い姿勢で笑い続ける。
僕はかっと少し頬を赤らめた。
「そこまで笑うことはないでしょう。」
もしもこれが僕の邪推と言うなら、今の僕の発言は確かに滑稽だろう。これではただの恋に盲目で嫉妬深い少年そのものだ。
魅録はしばらく笑い続け、そしてふう、と一つ息をついた。
急にしん、と沈黙が流れる。
庭で獅子脅しが一つ、こん、と音を立てた。
「別に。悠理がお前さんに惚れた理由を、俺は知ってるってだけさ。」
天井を仰いだままでぽつり、と魅録は言った。
「悠理が僕に、ですか?」
僕は首をかしげた。
悠理が僕を好きでいてくれたことはもちろん知っているし、今はその気持ちを疑ってもいない。
だが、彼女はあの照れ屋の性格である。僕のどこが好きだとか、そんなことを言ってくれたことはないし、何より「好きだよ。」と言ってくれることすら稀だ。
僕だって恋する男としてそれを訊いてみたい気もするが、盛大に照れる彼女の様子を見ていたら、「まあ、いいか。」と思えてくるのだった。
こう言ってはなんだが、これまで学園内外の女性から本気で惚れられたことも一度や二度ではないし、多少は自分に自信があるのも確かなのだ。
とは言え、誰よりも僕や悠理と親しい魅録の目から見たら僕たちの関係がどのようなものかに正直興味はある。
「どんな理由ですか?」
だから僕は重ねて尋ねた。
魅録はむくり、と起き上がると僕の目を見つめた。
「悠理の精神構造が男だから、だ。」
「はい?」
思わず裏返った声で問い返す。自分でも間抜け面をさらしているのだろうな、と思う。
しかしわけがわからない。あんなにも悠理は僕の前では女の子なのに。
「自分より強い男に反発して負かしたいと思いながらも、惚れずにいられない、あいつの言い分は男のものだと思わないか?」
男が男に惚れる。確かにそういうところもあるだろう。
自分にないところを持つ相手と補い合う。自分より強い男を負かしたいと思う。
古い少年漫画で「強敵」に「とも」とルビを振ったのもよくわかる。
歴史的にも僧侶や武士の間の衆道の関係はそこに肉体関係を伴ったものだが、強固な精神的なつながりを彼らは求めていた。現代人からすると異性愛と変わらぬ同性愛になってしまいがちだが、主従の絆、友人との絆を繋ぐ上でそれは純粋な想いだったと思われる。
だが僕は現代人だ。僕はそこに肉欲を感じることはない。魅録や美童に感じる感情はそのような友情。
悠理が僕に恋愛感情を抱いてくれるのも彼女が女で僕が男だから。そう信じている。
「その手の冗談には暴力で応じますよ、と言いませんでしたか?」
僕はすっと目を細めて魅録を威嚇した。
「冗談じゃないさ。」
ふ、と魅録は口端を上げたが、それは僕をからかっているようなものではなかった。それは自嘲にも近い笑み。
「お前さん、男にあれだけ惚れられててまだわからんのか?自分がどれだけ男を惹きつけるか。」
悲しいかな、それも事実。
僕には一切その気はないというのに、男からそのような形で好かれたこともままある。女性から好かれるよりも数としては多いかもしれない。
「魅録。だからと言って悠理が男の精神構造をしているという証明にはなりませんよ。」
魅録の言う理論は少し強引だ。帰納法としても演繹法としても辻褄が合わない。
「あんだけがさつで、女らしくすることが苦手で、スカートをおっぴろげて跳び蹴りすることも平気で、大喰らいで飯の作法もなっちゃいなくて、喧嘩の強弱だけが価値観のあいつが、女だって?」
よどみなく吐き出された言葉に僕は黙る。確かに悠理はそういうキャラだ。
ここまで言うからには、やはり魅録の目には悠理は女としては映っていないのだろう。
僕の目に映る彼女はあんなにも女の子なのに他の男にはそうでもない、という事実が嬉しくもあり、矛盾するようだが少し悲しくもある。
「まあいいでしょう。」
僕はそこで一つ溜息をついた。論点が少しずれている。
「魅録にとって悠理が男友達で、彼女が僕を好きになってくれたのも精神構造が男のものだからだと解釈しているのはわかりました。」
あくまでもそれはあなたの解釈にしか過ぎませんよ、という意をこめて僕は念を押す。
「それで、だったらどうしてあなたは僕たちのほうをいつも見ているんですか?」
好奇心だけじゃない。
他のメンツのようなからかい混じりに見守る視線とも違う。
僕と魅録の視線が、交錯した。
魅録はゆっくりとこちらへ身を乗り出した。
「だから、俺には、悠理の気持ちがわかるってことだ。」
かすかに目を見開いた僕の唇に、柔らかいものが触れた。
それが魅録の唇だと気づいても、僕は彼を殴ることができなかった。
ただ、頭が真っ白だった。
「なんだ?その呆けた顔は。もっかいキスするぞ、てめえ。」
至近で言われ、僕は慌てて身を引いて腕で口をブロックした。
「な、な、な・・・。」
呆然として二の句が告げない僕を置き去りにして、魅録は再びベッドのほうに仰向けに倒れこみ哄った。
この家中に響き渡るのではないかと言うほどの声で。
「だから言ったろ。お前がどれだけ男を惹きつけるかってさ。」
笑い声の間をついて魅録が言う。
それを聞いているうちに、段々と僕は驚きから立ち直ってきた。伊達に冷静なる心臓外科医であるあの親父の血を引いてはいない。
そして同時に、いたたまれない想いにさらされたのも事実。
「同情はいらんからな。」
僕が立ち直るのを見透かしたのか、急に静かな声で彼が釘を刺した。
「お前と悠理が幸せならかまわんさ。お前が余計なことを尋ねるから俺も明かしたまでだ。」
彼はまた僕の目をじっと見つめていた。そこに彼の誇り高さを見た。
僕も彼の目を見つめる。まるで試合の対峙のように、真剣の鋭さを持って。
「魅録。あなたは一生、僕の一番の親友ですよ。」
僕が言うと、魅録の気が、ふと緩んだ。
「わかってるさ。ありがとさん。」
その笑みはいつもどおりのようでいて、少し儚げでさえあった。
夕食は自宅でとるから、と松竹梅家のお手伝いさんの名残惜しそうな顔を尻目に僕は彼の家を辞した。
また魅録一人での食卓になる、と言うのを彼女は残念がっているのだろう。彼の両親は相変わらず多忙を極めているようだから。
だが僕はそれ以上そこにいることができるほどに精神の鍛錬ができてはいなかった。
魅録の想いは一過性の感冒のようなものだろう。
僕らにはあまりにも似合わない言葉だが、思春期の一過性の熱。
そのあまりにも純粋で儚い感情に僕も引きずられかけてしまった。
思わずあいつを、一般的に見てかなりガタイのいい方であるあいつを、抱きしめそうになった。
だが僕のこれも一過性の感傷。
明日悠理の笑顔を見たら、たぶん消えてしまうだろう。
あいつもいつかまた女性に恋をしたら、そんな感情は霧消してしまうだろう。
いつか今日の出来事を笑って思い出す日は、こない。
こんな感情を引き起こすモノをたぶん僕は忘れてしまうだろうから。
あいつも忘れてしまうだろうから。
だからたぶん、今日の出来事を、この感情を、僕は忘れてしまうだろう。
僕は歩きながら、鞄のポケットから携帯電話を取り出した。
普段であれば緊急時以外はそのような無作法はしないのだが、今日は歩きながら慣れた短縮ナンバーを押す。
3コールで相手は出た。
「もしもし、悠理ですか?すいませんね、食事時に。急にあなたの声が聞きたくなったものですから。」
(2005.8.27)
(2005.8.27公開)
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