2015/03/04 (Wed) 22:16
つくつくほーし、つくつくほーし、つくつくほーし、つくつくほーし、
じーーーーーーーーーー・・・
この声が聞こえたら、夏も終わりが近いのだとか幼い子供の頃に聞いた。
松竹梅魅録は空調の効いた部屋の中から自宅の庭を見つめた。
都心の高級住宅街。ここにこんな豪邸を構えているのは、ひとえに母が実家から引き継いでいる財産だ。
庭は父の趣味で日本庭園。常緑樹の緑は深く、広葉樹の緑が眩しい。
そしてどの木からも蝉の声。
たった一週間、子孫を残すために愛の語らいをするべく、7年間もじっと土の中で耐えている幼虫。
それを考えると哀れとも思えるし、羨ましいとも思えた。
年中いつでも発情できるヒトは果たして万物の霊長であるのか、それとも下等なモノへと成り下がったのか。
ふと自嘲の笑みが浮かんだ。
「なに笑ってんだ?」
という声がしたので、魅録は「ん?」と言いながらベッドのほうを振り返った。
そこに寝転んでいるのは、夏休みの宿題が終わらないために鬼教師に監禁されることを恐れて逃げてきている少女。
茶色のふわふわの髪が枕の上に広げられたノートの上で揺れている。
そう。さらにそのノートを枕に彼女は伸びきっているのである。
「終わったのか?悠理。」
その名を唇に乗せる。彼女はそこににじむ感情など気づいていないのだろう。
「ぜーんぜん。」
「おいおい。さすがにそこまで終わってないと、俺も清四郎を止められんぞ。」
鬼教師とは言わずと知れた倶楽部のリーダー、菊正宗清四郎である。
ほとんどこの勉強嫌いの元気娘、剣菱悠理の専属家庭教師を気取っているようなものである。
もちろん魅録とて彼女のためにならぬから、彼女を甘やかすことはしない。試験勉強の時には清四郎に連行される彼女を素直に見送る。
だが少し複雑な気分であることも事実。
清四郎は魅録の誰よりも信頼する親友で、彼が悠理を女性と見ていないことも承知している。場所は清四郎の家で彼の家族もいるし、隣家にはやはり仲間である野梨子もいる。
それでも彼と彼女が夜に二人きりになることに軽い嫉妬を覚えずにはいられない。
ぶうっと頬を膨らませる悠理に、魅録は近づく。
「おら、どこがわかんねえんだ。それ数学だろ?」
メカ狂いで理数系が特に得意。英語も多少はできるので、美童や清四郎のようには行かぬものの、学校の宿題程度なら教えてやれる。
だからそれを楯に、英数理は自分が教えるからと悠理を清四郎のもとから引き取ってきた。
見送る清四郎の眉が片方上がっていたのは見ぬ振りをした。
夏休みがもうすぐ終わる。
例によって倶楽部の連中と遊びまわり、お約束のように事件にも巻き込まれた。
結局ずっと6人引っ付き虫で動いていたとも言える。
もちろん途中、来日したロック歌手のドームコンサートを二人で見に行くなどのイベントこそあったが、それも普段の二人と変わらぬ日常だった。
「もう夏休みも終わりだよな。」
突然悠理がぽつりと言ったので、魅録はどきりとした。ちょうど同じことを考えていたのだから。
「まあな。だからまた宿題に追われてるんだろが。」
わざとすげなく言ってみると、また悠理が頬を膨らませた。
「ちぇえ。これさえなければ夏は大好きなんだよな。」
「お前の場合、勉強しなくていいならどんな季節だって関係ないだろう。」
今度こそ悠理は黙り込んでしまった。
むっとした顔で寝転がった姿勢で魅録を見上げる顔が、幼い子供のようで愛らしい。
清四郎や野梨子がよくこいつをからかって遊んでるのも、この顔が見たいからなんだろうな。と思う。
「今日のお前、意地悪だ。」
ぽつり、と言われて魅録は思わず苦笑にも近い含み笑いをこぼした。
「そりゃ悪かったな。」
だってめちゃめちゃ可愛いんだもんよ、そういう顔が。
悠理はというと、魅録のそっけない言葉に突っ伏してしまったようだ。
「もー、やだやだ。眠いー。腹減ったー。」
くぐもった声で小さく呟く。
「あー、そろそろ夕メシできるころか?」
と魅録が時計を見ると、悠理ががばっと音を立てて起き上がった。
「今日の夕メシなに?」
きらきらと顔を輝かせている。現金な奴だ。
「お前が食うからってすき焼き10人前にしといてやったぞ。」
この晩夏のくそ暑い時期にすき焼きもないが、悠理がこのところ牛肉好き好きモードに入っているのである。
悠理の顔がさらにぱあっと明るくなった。1000ルクスを優に超えている。
お約束のようにがばり、と床に座っている魅録の首筋に背後から抱きついた。
「わーい、魅録ちゃーん、愛してるー。」
すると、魅録は静かに返した。
「おう。俺もお前が好きだぞ。」
沈黙。
魅録は思わず自分の顔が熱を持ってくるのを感じた。悠理が凍ってしまったから。
軽い口調で言ったつもりが、少し本気が混じりすぎたか。
「急にどういう冗談だよ。」
悠理が魅録の首筋に顔を埋めたままで言う。
「別に。そろそろ夏休みも終わるなあと思ってな。」
今の自分の顔は髪の色よりなお赤い気がする。
「夏だから、か。」
「夏だから、な。」
恋愛にいつもめらめらに燃えている美童や可憐は、「夏は恋の季節」と毎年言う(そして彼らは人間らしく年中発情している)。
だが、その気持ちもわからないではない。
夏は儚いから。
眩暈がするほどに暑かった分、秋が来るのが寂しいから。
だから、恋を告げたくなる。
「二人で過ごす時間が欲しかったぞ。」
あまりにいつもどおりの時間しか持てなかった、夏。
高校生活最後の夏になる予定なのだから、何かしらのイベントだって欲しかった。
「別に、夏休みじゃなくたって、二人で過ごしてるじゃん。」
蚊の鳴くような声で悠理が言ったので、魅録は思わず首を回して振り向いた。
だが彼女は俯いたまま。ただ耳だけが朱色に染まっているのが見えた。
だから、彼は彼女の肩を抱く。
それでも彼女は顔を上げようとはしなかった。ただおとなしく抱き寄せられるままにされていた。
夏が終わる。
高校生活最後の夏が終わる。
つくつくほうしが鳴くのをやめる。
だけれど二人の夏は、いま始まる。
(2005.9.9)
(2005.9.13公開)
(2005.9.13公開)
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