2015/03/04 (Wed) 22:48
こんこん、とノックの音がする。
「おーい、清四郎、開けろー!」
続いた大きな声にノックの主は知れたが、黒髪の男は慎重に慎重を期してドアスコープを覗いた。
するとあちらからも覗いているのか大きな茶色の瞳。
こんなことをするバカは先ほどの声の主以外にはいない。ということで清四郎はドアのロックを解除した。
「仕度できた・・・。」
・・・んですね、と続けようとした言葉が宙に浮いた。
目の前に立っていたのは、見知った少女の見知らぬ姿。
「どーだ、女っぺー格好だろー。」
ほんの少しだけ目の端を染めて悪戯が成功したかのような笑みを浮かべていたのは悠理だった。
ぴったりと細い体に張り付く黒いトップスからは大胆に右肩が出ている。
そしてパンツとはいえふわりと広がった白いボトムは、まるでドレスでも着ているかのようなシルエットを作っている。
全体に、スレンダーながらもやはり男とは違う線の細さが強調される服装だった。
そして頭を飾るのは真珠の長い飾りをつけた帽子。
腕を覆う黒いレースは彼女の好みにしてはシンプルかつ華奢なデザイン。
「ほう。悠理にしては普通の格好じゃありませんか。」
「母ちゃんがラストパーティーくらいはこういう格好しろってうるさかったからさ。」
太平洋上。10億円の軍資金を手にアメリカ西海岸を目指して乗り込んだ豪華客船。
毎日のパーティーに、悠理はいつも仮装じみた格好で臨んでいた。
しかし、今夜はこれである。
「こういう時というならドレス姿でも拝みたかったものですが。」
彼女の制服以外のスカート姿はずいぶんと見ていない気がする。
「何言ってんの。ドレスじゃ悠理が美童をガードできないわよ。」
悠理の背後からからかうような可憐の声が聞こえて、清四郎は今の状況を思い出した。
そうだ。今夜が決戦の時なのだ。
恋多き男、美童がこの船上で本気の恋に落ちた。自らに瓜二つの女性、ミュスカ姫に。
そして王位を望む者に命を狙われる彼女を守るべく、身代わりを申し出たのだった。
清四郎には犯人の目星が付いていた。なので現在魅録に調査してもらっている。
そしてこれからラストパーティー。
敵が仕掛けてくるなら今夜だ。
美童はミュスカのドレスで艶やかに決めている。
可憐は美童ほど派手ではないが、10代の少女とも思えぬ色っぽさをかもし出す、やはり肩を見せるドレスを着ていた。
野梨子はいつものごとく振袖である。
「美童、気をつけてね。」
部屋の中からミュスカが気遣わしげな瞳で廊下にいる美童を見ている。
「大丈夫だよ。君は安心して清四郎に守られてればいいから。」
にっこりと艶やかに微笑む美童は、完璧な女装をしていても男の強さを滲ませていた。
正直、こんな根性なしがここまで変貌するとは、倶楽部の他のメンツも驚いていた。もちろん彼の恋の宛てが、彼と同じ顔をした女性であることには呆れていたのだけれど。
「ミュスカを襲うんじゃねえぞ、清四郎。」
「なにバカ言ってるんだ。」
にんまりとした笑みを浮かべて言う悠理の額を清四郎はぺちっと叩いた。
その拍子に、悠理の帽子が少し曲がったので、
「すまん、ずれたな。」
と、清四郎は慌てて悠理の頭に手を伸ばした。
彼の温かな指が、悠理のふわふわとした髪に触れる。
悠理の肩がぴくり、と震えた。
こんなことが前にもあった。
それは航海初日のパーティーだった。
悠理はパンクルックに身を包んでいた。もとより男に誘われる気など欠片もなかった。食い物さえあれば充分。
「なんて格好してるんだ、悠理。」
と、魅録が呆れたような声を出したが、そんなもの気にする悠理ではない。
部屋から出るまで散々可憐や野梨子にも呆れられていたのだから。
だが、一つだけきらり、と悠理の右耳で光るものが清四郎の目に留まった。
「イヤリングが歪んでますよ。」
え?と思った悠理が手を上げるより早く、清四郎の指が悠理の耳朶に触れた。
温かい指。
吐息が耳にかかる。
じん、とした温かな痺れが、右の指先まで走った。
今度は耳に触れられたわけでもないのに、やっぱり悠理の肩から指先まで同じような痺れが走った。
「ありがと。」
帽子のゆがみを直してもらい、へへ、とした笑みで清四郎に礼を言う。
清四郎もに、と悠理に笑んで見せる。どういたしまして、と言うように。
「ほら、そろそろ行かないと遅れましてよ。主役が遅れては格好がつきませんわ。」
野梨子がはきはきと言う声に、一同は我に帰る。
彼女以外の全員の視線が、清四郎と悠理に集まっていたのだ。
注目を浴びていた当の男はそれに気づかなかったように挑戦的な笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、そろそろ出陣ですよ。くれぐれも無茶するんじゃないぞ。」
「おうさ!」
悠理が元気に言い放った。
皆が去ると、船室には清四郎とミュスカだけになった。
魅録は調査へ、他のメンバーはパーティーへ。
「ごめんなさいね、清四郎。悠理と一緒に行きたかったんじゃないの?」
不意にミュスカに言われて清四郎は軽く目を見開いた。
「何を言ってるんですか。友人を守るために残ってるんですよ。」
友人。王女として育ち、歳の近い友人がいなかったミュスカ。
倶楽部の連中と出会って本当に嬉しそうだった。
この船旅が終わるとき、王女の身分を捨ててただの一人の女になるのだと言い切った。
「悠理のドレス姿、私も見たかったわ。綺麗でしょうね。」
「どうでしょうね。あの山猿ですからね。」
先ほどと逆のことを言う清四郎に、ミュスカ口元を手で隠してくすり、と笑った。
だが清四郎は目の前の彼女の表情など目に入らぬかのように考えていた。
悠理の必殺技は跳び蹴り。ドレス姿でできるものではない。
軽やかに宙を舞う彼女の姿に胸がすく思いがするのも自分だ。
スピードはあるがウェイトでこれから先、男性に差をつけられて不利となるだろう悠理には格好の技。
そしてあんなにがさつで食欲の塊で、食いすぎで寝込んでも毒を盛られても、その食い意地が衰えることはしない。
そんなところも彼女の魅力の一つだと思うが(現に学園の少女たちは彼女を餌付けしようと必死だ)、跳び蹴り同様、女性の魅力と言うにはあんまりだ。
なのに、おかしなものだ。
そんな彼女がちゃんと女性に見えるのだから。
服装一つ、レースの手袋一つで。
そういえばあの時も彼女は小さく見えた。
食いすぎで寝込んだ悠理。
「座布団ステーキが追いかけてくる~。」
と悠理は腹を抱えて蹲るような姿で毛布をかぶっていた。
腹が痛いときに体を折り曲げるのはそうすることで腹を守り、少しでも苦痛を和らげようとする動物としての本能。
だから清四郎は小さく丸まった悠理の背中を、毛布の上からぽんぽん、と撫でた。
その小ささに、どきん、とした。
直後にこんこん、とノックされて、ドアが開いたので清四郎はすばやく気持ちを切り替えた。
「案の定、陶酔してたわよ、あのアホ。」
「ありゃあ、見てるほうが恥ずかしい。」
「悠理、具合はいかがですの?」
ミュスカ姫に恋をして酔いしれる美童の様子を見に行った3人が戻ってきたのだった。
そして先日、悠理がミュスカを狙った毒を飲んだときには、肝が冷えた。
自分で自分を褒めてやりたいほどにすばやく体が動いた。
どうやら毒をすべて吐き出させることに成功したらしい、と確信したときには、脱力した。
もちろんあれが悠理でなくても、野梨子であっても可憐であっても、美童でも魅録でもミュスカでも、自分は同じことをした。
だが、脱力していなければ抱きしめていただろう、と思うのは悠理だけだ。
清四郎は我知らず溜息をついた。
「考えれば考えるほど恐ろしい結論に行き当たりそうですな。」
「なにが?」
ミュスカに訊かれて、清四郎は自分がそれを口に出していたことに気づいた。
「訊かないでください。」
思わず眉を下げて肩をすくめて見せる清四郎だった。
ミュスカの婚約者として船に乗り込んできた男が偽者であることをつかんで魅録が飛び込んでくるまであと数秒。
その頃、可憐は気づいていた。
初日のパーティーの前、悠理のイヤリングが曲がってなどいなかったことに。
本来こういうことに敏感なはずの美童はミュスカのことで頭が一杯。
魅録も野梨子もこういうことには疎いほうだし。
何より当の本人である悠理はまだまだ気づいていないだろう。
「清四郎自身は自覚したかしらね?」
思いながらシャンパングラスを口に運ぶ可憐なのだった。
悠理が跳び蹴りを得意技とするようになったのが、あの中学生のときに清四郎の跳び蹴りに救われてからだと皆が気づくのは更に数ヶ月を要する。
(2005.7.17)
(2005.7.17公開)
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