2015/02/03 (Tue) 23:40
それは3月はじめの金曜日。少しずつ気温も上がってきていた。悠理は晴れ渡った青空を見上げると、うし、と一つ気合を入れた。
きっと大丈夫だと信じてる。あいつは憎らしいくらいにできる奴なんだから。
そういうところを頼もしく思うんだから(多少悔しいけど)。
「なんで・・・わざわざ掲示板の前に皆で来るんですか。」
人ごみの中で清四郎は額に手を当てた。眩暈がする、とでも言わんばかりに。
「いいじゃない、皆で喜びを共有しましょうよ。」
「あとは清四郎だけですもの。魅録も無事に合格しましたし。」
しゃべることは女たちに任せて、残り二人の男どもも笑いながら頷いていた。聖プレジデントを受験した4人は一足先に全員合格していた。残る魅録も昨日の発表で合格していた。
これで何か不具合があって不合格だったらどうする気なんでしょうねえ、と清四郎は溜息を一つついて諦めた。(もちろん彼を含めて誰も彼が不合格だとは思っていないが。)
だいたい、わざわざここに発表時刻前に来なくとも今はインターネットで番号だけ確認することができるのだから。それからゆっくり入学手続きの書類を取りにくればよい。
「あ、来たみたいだよ。」
と、この人ごみの中でも頭一つ抜き出て(ついでに言うと目だって)いる美童が係員の動きを目に留めた。
さすがにこの瞬間は皆が唾をごくりと飲み込む。
真剣な顔で傍らに立って掲示板のほうを見ている悠理の手袋をしている手を、清四郎はそっと握り締めた。この人ごみの中なら仲間たちにもばれるまい。
悠理はその感触に一瞬、清四郎の顔を見上げたが、また目を掲示板に戻してきゅっと握り返してきた。
「きゃー、野梨子、大丈夫?」
「だ、大丈夫ですわ。でも何も見えませんわ。」
可憐と野梨子が人ごみの中に埋没しそうになるのを、魅録が慌てて引っ張り出した。
「こりゃダメだ。お前ら離れて待ってた方がいいぞ。」
と、魅録は人ごみを掻き分けて女性陣を外に出してやることにした。
残された美童は清四郎と悠理と苦笑を交し合って、逆に掲示板のほうへと近づく。文字が判別できる距離まで近づけば、男どもの身長なら充分だ。
「悠理も外に出たほうがよかったんじゃありませんか?見えないでしょう。」
「やだ。あたいもこの目で確かめるの。」
むっと唇を引き結んだ悠理は空いているほうの手で必死で人ごみを掻き分けるのだった。
「お・・・そろそろ読めそう。こういう時は悠理の視力が欲しいな。」
と美童が言う。悠理の視力は2.0。皆がオペラグラスを使用するような距離のものを裸眼で見分けたりする。やはり野生児だからな、と皆も納得している。
「そうですよね。視力は羨ましいですよ。」
パソコンやらのデスクワークで時折眼鏡を着用するようになった清四郎もそれは素直に認める。
もしかしたら彼女にスピードで勝てないのは、視力が下がったことで動体視力も彼女より劣ってしまったのかもしれない。
「あたいはお前らの身長が羨ましいぞ。」
とぴょんぴょん飛び跳ねながら悠理が言う。目の前に清四郎たちと同じくらいの背がある男が立っているのだ。というかラグビーシャツを着ているあたりどう見ても受験生ではなくてこの大学の学生だろう。合格発表の現場で即効新入部員を獲得しようとしていると思われる。
「どうでもいいけど、なに手なんかつないでんだよ、お前ら。」
悠理が飛び跳ねたことでつないだ手も上がってしまい、美童に見咎められてしまったようだ。
清四郎は平然と、
「そりゃ、この人ごみですからね。」
と言う。
「ふーん。じゃあ僕も悠理と手えつないでいい?はぐれちゃやばいし。」
とにっこり言う美童に、
「なに言ってんだ。それじゃまるで両手を父ちゃんと母ちゃんにつないでもらうガキみたいじゃんか。」
と、悠理は眉をひそめて口を尖らせたのだった。見事に美童の意図に気づいてないようで、男二人はくすり、と笑った。
「あ、あった!」
急に悠理が叫ぶので、男どもも掲示板の方へ顔を向ける。
悠理の脅威の視力は一瞬の人ごみの切れ間から番号を確認したらしい。
「本当に医学部の欄を見ました?」
総合大学なので複数の学部があるのだ。
「見たぞ。だって番号の頭の“M”って医学部の意味だよな。」
受験番号の頭には志望学部を表すイニシャルがつけられていた。
「ほら、“M1057”番。あるじゃん。」
一歩離れたところでもいいかと思っていたが、結局掲示板のどまん前に来ていた。清四郎もじっくり手元の受験票と番号を見比べる。
M1048、M1050、M1054、M1056・・・M1057!!
「あったー!あったぞ!清四郎。よかったなあ。」
美童も思わず顔を輝かせる。と、悠理が清四郎の首に抱きついている。
「こら、悠理。すぐに離れるぞ。」
と、清四郎が必死に引き剥がそうとしていた。
確かに、最前列で目立ちすぎだな、と美童は頬をぽっと染めて後ろの人たちに軽く会釈した。
ほんの少し彼の顔がぎょっと強張ったのは、青いヘルメットに白いタオルとサングラスで顔を隠してプラカードを持った一団まで新入生勧誘に出張っていたからだろう。案外生き残ってるもんなんだな、などと変なことに感心してしまった。
やっと人ごみから抜けて外で待つ三人のもとにたどり着く。途中、部活の勧誘に捕まっている合格者や落胆して動けなくなっている不合格者などを避けながらだったので、かなり時間がかかってしまった。何しろ、合唱部の人間が合格者を取り囲んで祝福のジングルをアカペラで歌っていたり、とにかく往来の邪魔であること甚だしい。
「よお、受かってたみたいじゃねえか、清四郎さんよ。」
「悠理がはしゃいでるのがこっからも見えたわよ。あんたら目立ちすぎよ。」
魅録と可憐に口々に言われて清四郎はやや苦笑する。
「でも本当によかったですわ。これで全員春から大学生ですわね。」
と、野梨子が両手を胸の前で組んで言った。
土曜日。悠理は眩暈がするほどの動悸とともに、待ち合わせ場所であるビルの1階ロビーのベンチに腰掛けていた。この建物は4階までがテナントの入った商業ビル、5階に映画館が入り、6階から上が高級ホテルになっている。
夕方7時。1階ロビーのそれぞれの目印の周りに三々五々、待ち合わせなのだろう若者の一団がいる。
きゅっと彼女は上着のポケットの中で手を握り締めた。
3月初めの週末。やっぱり昨日同様、夕焼け空は晴れていた。
ふと、ビルの入り口のガラス戸を押し開けて、一人の背の高い人物が入ってきた。
待ち人、来たる。
悠理はそれを認めた瞬間に、どくん、とこれまた眩暈を伴った鼓動を感じたのだった。
黒髪で背の高い男は白いシャツに濃い緑のネクタイを締め、グレーグリーンのスラックスに上着を羽織っていた。一応春らしい色合いとはいえ、トラッドなスタイルである。
一方悠理は、というと、白いコットンセーターの上に淡いピンクのノースリーブワンピース。その上から同じピンクのジャケットでワンピーススーツになっている。足元も普段の彼女ならまず履かないようなローヒールの茶の革のパンプス。
清四郎は彼女が先に来ていることに気づくとまずそれに驚き、さらにその服装を見るといつもと違うことに目を見開いた。念のために言っておくと彼女はその服装にド派手に真っ赤なつば広帽(白い大きな羽飾りつき)を被っている。
「おや、さすがに言いつけを守ってくれたようですね。」
ちょっとした事情で本日は彼女に大人し目の格好をするように告げておいた彼である。帽子はともかく、その他の服装はいつもの彼女からは考えられないほどの地味な格好だ。
「待つのってすげえ心臓に悪いんだな。やっぱ今度からは遅れてくるようにするよ。」
と悠理が少し上気した顔を背けながら言う。照れているのか、その表情に清四郎の顔も綻ぶ。
「いつも待たされてる僕の気持ちがわかったでしょう?」
次からは待たせるのはいいですけど、せめて時間通りに来てくださいね、と清四郎は言った。
「・・・悠理は胃がもたれてるということはありませんよね。」
展望エレベーターで最上階のレストランに昇りながら清四郎が口を開いた。エレベーターは運良く二人きりだった。
前夜は全員が無事に大学に合格した祝いとして、松竹梅邸で大宴会となった。春の交通安全運動で少し帰宅こそ遅れたが、時宗氏も交えての宴は夜を徹して行われた。珍しく帰宅していた魅録の母、千秋も一緒だった。
朝まで飲み喰いしどおし。それから全員帰宅して一眠りして身支度整えて待ち合わせたのがこの時間である。
「なんだ?お前、食事入らない?」
悠理の顔が少し輝きかける。
「僕の皿を狙ってますね。まあ、少し食べてもらうかもしれません。」
呆れ顔でそう言った清四郎の顔が不意に悠理の耳元に近づいた。
「それに、他のことで胸が一杯で、ね。」
耳に彼の吐息が当たったことで悠理は軽くぴくり、と肩を震わせたが、彼のセリフの意味はいまいちわかっていないようで首をかしげた。
まさかこいつが受験に合格したからって今更食欲なくすほど感激するとは思えないし・・・。
その彼女の様子に清四郎はくすり、と口に拳を当てて笑った。
PR
Comment
カテゴリー
最新記事
(08/22)
(08/22)
(03/23)
(03/23)
(03/23)
メールフォーム