2015/02/19 (Thu) 00:07
夏だった。
青い、遠い夏だった。
儚い夏だった。
「なによ~。またあんた彼氏と別れたんですって?」
学食で顔をあわせるなり、可憐は悠理にそう詰め寄った。
ノースリーブでミニスカートの白いワンピースが良く似合っている。相変わらず長い髪は、今日はアップスタイルにしている。
飽きるほどに暑い晴天が続いている。
悠理は唇を尖らせて、聖プレジデント学園食堂の夏の名物、高級バニラシェイクをすすった。
「うるさいな~。あたいはお前らほどとっかえひっかえってわけじゃねえよ。」
「あんたにしちゃ大学入学以来3人目ってのは上出来だわよ。それにしてもまた1ヶ月持たなかったじゃない。」
大学2年の夏。有閑倶楽部の6人は全員、聖プレジデント学園大学に入学していた。
高校時代以来の相変わらずの6人の生活にも、多少の変化が現れていた。
まず大学1年の夏に、悠理が彼氏を倶楽部外に作った。倶楽部のメンツは、彼女がそういう気になったことに対して安堵した。
しかし、彼とは1週間で別れてしまった。
「やっぱなんか違った。」
コンパでちょっと気があっただけで恋愛感情じゃなかった。彼女はそう言った。
その1週間の間に、清四郎も倶楽部外に彼女が出来ていた。
それから今までの間に、残りの全員も倶楽部外に彼氏彼女ができていた。
「清四郎もねえ、また別れたらしいわよ。あいつのほうがあたしよりよほどとっかえひっかえよね。」
高校時代までの品行方正な生徒会長はどこへやら、彼は大学1年の夏以来、5人は彼女を変えている。
「とっかえひっかえとは人聞きの悪い。二股なんかはかけたことはありませんし、いつもそれなりに誠実なお付き合いをさせていただいてますよ。」
急に頭上からよく聞き知った低い声が聞こえてくる。
可憐も悠理もそれは慣れたことだったので、悠理の隣に腰掛ける清四郎に改めて顔を向けることもしなかった。
「誠実が聞いて呆れるわ。あたし、あんたの別れた彼女の一人から聞いたのよね。」
「何をですか?」
自分の正面の席から冷たい視線を清四郎にくれる可憐を見て、悠理も横目で清四郎を見た。可憐の言い出すことに興味があるような顔で。
「あんた、いつも他に好きな人がいるような様子だったってね。」
清四郎はアルカイックスマイルを浮かべていた。そう言われても全く表情は変わらなかった。
むしろ眉を動かして反応したのは悠理だった。
「そんなことありませんよ。僕のことを情緒障害者だとあなたたちが言ってるんでしょう?」
清四郎は、今度ははっきり微笑した。
「これという人に巡り合えないんですよ。付き合い始めたらいつかはそれなりに好きになれるかとも思うんですが。」
「それで付き合うのが不誠実だってのよ。」
可憐にびしり、とちょっと親父くさいポロシャツの胸元を指差され、清四郎は苦笑した。
「それはその通りですね。」
ここの学食特製のピラフを口に運ぶ。昆布の出汁と明太の辛味が、ほどよいハーモニーを醸し出していた。
「菊正宗くん、あたしよりもそんなに有閑倶楽部のほうが大事なの?」
そう言われて別れるのはいつものことだった。
別に彼自身はその質問に対して残酷な答えを告げるわけではなかったのに。
彼女たちはやはり言われずとも理解したのらしかった。
清四郎がピラフを半分ほど食べた時、清四郎の携帯が鳴り出した。
「もしもし、魅録ですか?」
というだけのセリフを、清四郎は最後まで言えなかった。
「すぐに部室に来てくれ!将(まさる)がここで倒れた!」
「九耀(くよう)君?大学に来てるんですか?」
しかし電話はすでに切れていた。
「何?九耀くんが部室にいるの?」
清四郎と一緒に立ち上がりながら可憐が問う。
「ええ。倒れたらしいんで呼ばれました。先に失礼しますよ。」
一瞬だけ座ったままの悠理に視線を投げてから、清四郎は可憐の好意に甘えてトレイは彼女に託して去っていった。
「あたいらも行こう。倒れたってどうしたんだろうな?」
悠理は清四郎の足音が聞こえなくなると、自分も立ち上がった。
「九耀くん、休学中じゃなかったのかしら?」
「そういやそうだっけ?」
「自分の元彼氏のことくらい把握してなさいよ。」
「だって去年一緒の講義をとってたってだけだしさ。」
去年の秋、悠理と2週間ばかり付き合っただけの、2番目の彼氏。
それが有閑倶楽部のメンツにとっての九耀将(くよう・まさる)の肩書きだった。
魅録や美童も同じ講義をとっていたため、彼とは友達付き合いがその後も短い間だったが続いていた。
部室に悠理を連れて行っていいものかどうか可憐は逡巡したが、止める隙もなく悠理は自分から部室に向かって歩いていた。
「入るぞ。」
と言った時には、悠理は部室のドアを開けていた。
大学の一角に構えた有閑倶楽部の部室だった。軽いアルミ製のドアは音もなく開いた。
簡易ベッドに寝ている人物は、およそ彼女の見知った人物ではなかった。
「将?ひでえ顔色だぞ。」
透き通るように白くなってしまった顔色だけじゃない。
彼は頭をバンダナで覆い、顔の横には彼が着用していたのだろう白い薄いマスクが落ちていた。
赤いバンダナが妙に浮いて見える。
なのに顔は妙に丸い。細くなってしまった腕に対して異様なほどだ。
「ひどい熱です。すぐに入院しないと、移植に障りますよ。」
清四郎が携帯を取り出しながら言った。
「救急車は呼ばなくていいよ。午後からのこれくらいの熱はいつものことだから。38度は行ってないし、明日入院の予定だったしさ。」
「でも無理はいけません。」
「わかってるって。お前、相変わらず主治医よりうるさいな。医学生でもないくせに。」
苦笑して弱弱しいながらもすらすらと清四郎に口答えしている。
はっきりとものを言って、時には清四郎すら言い負かす、けれどがり勉と言うわけでなく、アウトドア派の将。
からりと明るく、更に言えば仁義に篤い真面目な男である。
悠理と別れてからも彼が休学するまでは友達付き合いが続いたのは、彼のそんなところに因ったと思われる。
「入院ってまだよくならないのかよ。」
悠理が眉根を寄せて言う。
将はそんな悠理の表情をじっと見る。そしてうっすら微笑むと言った。
「次が最後の入院になるといいんだけどな。」
「悪性リンパ腫だっけ?」
将をタクシーに乗せると、彼は清四郎の付き添いもいらないと言って一人で帰っていった。
美童は部室に戻ってきた清四郎に尋ねた。
「ええ。僕もさっき初めて病名を聞いたんですよ。今回の入院が治療の〆の末梢血幹細胞移植のためのものらしいです。」
だが、あの熱は・・・そしてあの顔から察するに、解熱のためにステロイドを使用してますね・・・
将が突然入院したのが今年の1月。後期試験の最中だった。
詳しい病名などは彼の親しい友人ですら知らされないままに、彼は休学した。
倶楽部の連中がそれを知ったのは冬枯れの木々から淡い青空が透けて見える一日だった。
「悪性リンパ腫ってどういう病気なの?」
と可憐が横にいる野梨子に訊いた。
「私も血液の病気と言うくらいしか存じませんわ。清四郎、どうですの?」
野梨子は清四郎に促す。
「血液の中に、白血球と言う細胞があるのは知ってますね?」
「えっと、ばい菌を食べるんだっけ?」
「そう。その白血球の中にリンパ球という免疫システムを調節する細胞があります。そのリンパ球が悪性腫瘍化したもの、それが悪性リンパ腫ですよ。」
清四郎はなるべく噛み砕いて話した。
「てことは血液のガンなんだな。白血病とは違うのか?」
魅録のその言葉に悠理の顔が厳しくなった。
いくら彼女でもガンといわれるとよくないものだとわかっている。白血病で死んだ格闘家もいた。
「白血病とは根本的に違いますけど、血液のガンと言う意味では同じですね。」
清四郎は少し険しい顔をしていた。
「昔と違って今は抗がん剤も抗生物質もいい薬が開発されましたし、治療法が確立されつつありますからね。決して治らない病気ではなくなりましたよ。」
「末梢血幹細胞移植って骨髄移植みたいなの?」
美童が清四郎に訊く。
「そうですね。採取方法が違いますけど、原理としては似たものですよ。」
「へ?将が女になっちまうの?」
病室で悠理が頓狂な声を挙げたので、一緒に来ていた清四郎が彼女の頭を後ろから小突いた。
「ばか者。血液の中の細胞が変わるだけです。」
「あたいに難しいコトがわかると思ってるのか?」
将はベッドの上で横たわったままくすり、と笑った。
懐かしい風景だ。
赤いタンクトップにオレンジのパンツを合わせた悠理。白地に淡いグレーのチェックが入ったシャツに濃い目のグレーのズボンを穿いた清四郎。白いTシャツにカーキ色の膝丈パンツの魅録。
あの冬の日の3人に重なる。赤いピーコートの悠理。グレーのダッフルコートの清四郎。白いダウンジャケットの魅録。
「九耀くんそのものが女性になるわけじゃありません。移植した妹さんの幹細胞から増えた血液細胞が女性の染色体を持つんです。」
「まったく意味わかんない・・・」
結局将の妹をドナーとした移植は予定通りに行われると言う。
昨日から全身放射線照射が始まったらしい。意外と吐き気がなくてよかったよ、と笑いながらもベッドに起き上がることも億劫そうな将だった。
明日には無菌室に入り、主治医以外は入室できなくなる。家族だけがビニールカーテン越しに面会できるそうだ。
今日会わないと当分会えなくなるから、と将のほうから魅録に連絡が入った。
「大勢で押しかけて本当によかったのか?」
魅録が申し訳なさそうに言う。
「いいさ。3人までで短時間なら無菌室の中でも同じ条件だ。」
悠理と清四郎を連れてきてくれと言ったのは将のほうからだった。悠理はともかく、なぜ清四郎を?と思ったが、魅録はあえて聞き返さなかった。
清四郎も何も言わずについてきた。
いつものように清四郎に小突かれながらしゃべる悠理を将はにこにこと見ていた。
魅録は、将の目ににじむ彼の心情にいたたまれなくなり、「ちょっと」と病室から出て行った。
「ここだと思いましたよ、魅録。九耀くんに挨拶してこなくていいですか?」
喫煙室に清四郎がやってきた。悠理はまだ彼のところにいるという。
魅録が病室に戻ると、将は悠理としゃべるでもなく、静かに目をつぶっていた。
「寝てたらわりい、またな。」
と魅録が声をかけると、将は薄く目を開けて片手を振ってみせた。明るいグリーンのパジャマにプリントされたテディベアが、揺れた。
それが彼の顔を見た最後だった。
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