2015/02/19 (Thu) 00:21
やっぱり沈黙を破ったのは美童だった。ドアのほうを見ながらため息をついた。
「一番の夢見る少女は可憐だったってことか・・・なんとなく予想はしてたけどね。」
「僕は野梨子だと思ってたんですけどね。今回は僕をひっぱたかないんですか?」
苦笑ともつかない表情を浮かべて自分を見る幼馴染に、だが野梨子は首を横に振った。
「いいえ。さっき美童も言ってましたでしょう?二人がどれだけ想いあってるか見てきたからって。もちろん許すなんて言えませんわ。でも二人が別れる方がもっと辛いんですの。」
穏やかに微笑む野梨子に、悠理も一瞬顔をくしゃっと歪ませてから、ゆっくり微笑んだ。
「ありがとう。野梨子。」
彼女が恋人と別れてしまったことはあのあと清四郎から聞いた。どんな事情があったかはわからない。だけど、今の彼女に自分たちの支えが必要なのはわかる。
「今度、ゆっくり話そうな。いろいろなこと、話そうな。」
そういえば最近、昔のように女だけでおしゃべりとかいうことをしていなかった気がする。こうなってしまった今、可憐が自分たちのところへ戻ってきてくれるかはわからない。でも野梨子を一人で放っておくことなんかできない。
そして、悠理ももっともっと清四郎とのことを話さなければと思った。彼の妹ともいえる野梨子にこそ、話さなければならないこともある。そして悠理の知らない清四郎を野梨子から教えてほしいと思った。
「ええ。可憐も一緒に。きっと。」
という野梨子の言葉に悠理の目が丸くなる。
「大丈夫だよ。魅録が追ってったんだから。」
見ると、美童がウインクしていた。その微笑みは優しかった。
「だといいですね。」
清四郎もうっすらと微笑んだ。
魅録が可憐を想っていることなんか全員の公然の秘密。可憐にとってもありのままの彼女を受け止めてくれる貴重な相手。彼以上に彼女を託すことが出来る男はいない。
親友たちのことだから、幸せになってほしい。
「可憐!」
魅録が彼女の腕を掴んだのは、剣菱邸のきらびやかな門を出てすぐのところだった。
可憐は振り向かない。肩が震えていた。泣いているのだろう。
「可憐。場所を変えよう。」
優しく言う魅録の声に、彼女はこっくりと頷いた。
そこは公園だった。昼間は子供がたくさん溢れて騒いでいる明るい公園。
今はこれから遊び場に出て行く若者たちが待ち合わせに利用している。
木陰にはホームレスが今宵の宿りを設けている。
魅録はなるべく街灯に近いベンチに空きを見つけ、可憐にそこに座るように促した。まだ肌寒い夜だった。
そっと、彼女の肩に腕を回したが、彼女は身じろぎもせず、拒みもしなかった。
「俺も黙ってて悪かった。いつかは話すべきだと思ってたんだが・・・」
可憐は静かに涙を流していた。手を膝の上でぐっと握り締めている。
「こんなふうに、お前も野梨子も美童もあいつらを許さないと思ってた。だから言えなかった。」
野梨子が静かなのは意外だった。
清四郎のことを兄にも等しい気持ちで想っていた彼女は、あの以前の婚約騒動のときのように激怒するだろうと思っていた。だが、そうじゃなかった。
やはり年月が彼女を変えたのだろう。美童はまだ彼女は子供のままだと言ったが、そんなことはない。
呆れるほどに変わらないのは俺たち男と、そしてこいつ・・・
「なんでよ・・・なんであんたも、みんなも、許せるのよ・・・」
嗚咽を上げながら途切れ途切れに言葉をつむぐ。本当に頼りなげで、俺が守ってやらなくてはという気持ちにさせられる。
「可憐・・・」
「許しちゃダメよ。ダメなのよ・・・」
はたはたと涙が彼女の拳の上に落ちる。魅録はハンカチでそれを拭ってやる。頬も、拳も。
その温かさに、彼女の涙腺はますます緩む。
「あんな気持ちで傍にいたってまた二人は罪悪感で辛くなるわ。幸せになんかなれないじゃない。」
その言葉に魅録は目を見開いた。
こいつが許さないといったそのわけは・・・
「あいつらの、幸せのため、か。」
「あいつらは幸せにならなくちゃいけないのよ。悠理は幸せにならなくちゃいけないのよ。」
そう言って彼女は俯き、自分の手で顔を覆ってしまった。肩が大きく震える。
魅録はその彼女の肩を抱く手に力をこめた。
「可憐。あの二人は、それなりに幸福だと思うぜ?」
俯く彼女の耳元で囁く。低い低い、子守唄を歌うような声音で。
「美童も言ってただろ?この半年、あいつらがどんな様子だったか、俺たちは見てきただろう?」
悠理の屈託のない微笑み。
清四郎の自信に満ちた笑顔。
そして、二人がお互いを前に見せた蕩けそうな顔。
どんな惚気の言葉より、倶楽部の皆を赤面させたあの顔。
願うのは二人の幸福。皆の幸福。
「あたしだってね・・・わかってるの・・・」
ぐすん、と洟をすすりながら可憐が掠れた声で言う。
「あいつらが二人でいるのが、どれだけ幸福か、わかってる・・・」
だからこの先、二人が何度も襲われるであろう罪悪感という壁が辛かった。
二人を苦しめる過去の記憶が辛かった。
あの二人をそれらから守ってやりたかった。
「本当にお前って・・・」
と魅録が呟くのが聞こえたから、可憐は顔を上げた。涙はほとんど止まっていた。
「なに?」
と聞き返されて、魅録は頬が熱くなるのを感じた。
「本当にお前って苦労性。」
彼女の肩に回しているのとは反対の手で彼女の頬を包む。
「だけど、いい女だ。」
じっと瞳を覗き込んで言うので、可憐もいたずらな顔で応えた。
「あんたもいい男。」
ますます目の前の男が赤面するのが弱しい街灯の光でもわかって、可憐はくすぐったそうに微笑んだ。
あたしたちの代わりにあいつらを見守っていてくれた。
あたしたちがあいつらを受け入れられるようになるまで、待っていてくれた。
あいつらが辛い記憶を乗り越えるだけの幸福な記憶を築くまで、待っていてくれた。
「今まであいつらを守ってくれてありがとう。」
そう言って、可憐は瞼を閉じた。
魅録の体温が近づくのがわかってたから。
唇に、柔らかいものが触れるのが、わかってたから。
一瞬の接触でも、今まで経験したどれよりも、可憐の胸を震わせた。
「あいつらのとこに戻ろう。きっとやきもきしてる。」
「あと一晩くらいやきもきさせてやればいいのよ。」
んっ、と唇を引き結ぶ可憐は、だがしかし口の端が上がっていた。魅録はやれやれ、と言った顔で可憐の髪を撫ぜた。
「私ね、美童。今日この話を聞けてよかったと思うんですの。」
唐突に野梨子が言った。
今夜は清四郎と悠理を二人きりにしてやるのがよいと判断して、美童の車で送られているのだった。
「今日?」
「ええ。だって1週間前の私だったら、やっぱり皆さんが想像してた通り、泣いて怒って、きっと二人をなじっていましたわ。」
まだ自分の気持ちに気づく前だったら。
あのぬくぬくとした関係に甘えきった私だったら。
きっとこんな風には思えなかった。
「可憐みたいに怒ってた?」
美童がいたずらっぽく言う。
だが、野梨子は首をふるふると振った。
「いいえ。だって可憐が怒ったのは、二人の幸福を願ったからですもの。」
「そうだね。僕もそう思うよ。皆、願うことは一緒だよ。」
「でも1週間前の私だったら、ただ二人が汚れたものとしか思えなかったと思いますわ。自分も同じ穴の狢と気づかずに。」
大人になるということは、自分も汚れていくということ。
子供の純粋さを捨てていくということ。
己の汚れと、わがままを、自覚すること。
人の汚れと、わがままを、受け入れること。
「きっと二人を引き裂いていた・・・」
だから、そうはしない今の私があの話を聞けてよかった。
「野梨子。ますます素敵になったね。」
しみじみとした声で美童が言うものだから、野梨子はきょとん、と彼の顔を見上げた。
ちょうど信号待ちのところだったので、彼も彼女の顔を優しげな瞳で見つめていた。
「まあ、急になんですの?褒めても何もでませんわよ。」
「女性は褒められて綺麗になるんだよ。綺麗になった女性を見て楽しむのが男が貰うご褒美。」
と、片目を瞑ってみせる美童に、野梨子は泣きたい気分になった。
嫌ですわ、泣くつもりなんかないのに。
「まあ、美童は相変わらずですのね。昔から変わらず優しいんだから。」
そういってフロントガラスのほうへ目をやった野梨子の横顔は、泣き笑いの表情に似ていた。
優しくしないでくださいな。その横顔がそう言っているようで、美童は苦笑した。
意地っ張りのお姫様。僕の前では泣いてもいいのに。
彼は信号が変わるのを目の端に捕らえると、前を向いてギアをドライブに入れ、静かにアクセルを踏んだ。
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