2015/03/02 (Mon) 23:30
「この日は日本じゃチョコレートとかお菓子が急騰するけど、欧米じゃ赤い薔薇が高騰するんだよ。母の日のカーネーションみたいに。」
世界の恋人とか自称している金髪の友人が言っていたっけ。あれは初めて会った中3の冬だ。
日本では女性が男性に告白する日として定着しているが、もともとは古代ローマで始まった恋人の日。
時の皇帝は若者が兵士になりたがらぬことに手を焼いていた。
そこで若者が結婚することを禁じたところ、キリスト教の聖者・バレンチノ(英語でバレンタイン)が密かに彼らを結婚させてやっていた。
そのことで聖者が処刑されたのが2月14日。
北欧生まれの友人は風習だとだけ言って赤い薔薇を女性に渡して相手をメロメロにさせるのだろう。
いつものことだ。
たとえば、人からは完全無欠に見える清四郎にだって苦手なことはたくさんある。
流行のファッションや音楽なんてものにはさして興味がない。
誰かにヒステリックに叫ばれることだって御免被りたい。
自分の手の内を知り尽くしている姉だって苦手なものの一つ。
中でも一番苦手なものは恋愛沙汰。
自慢ではないが、女性に好意を寄せられるのには慣れている(悲しいかな男性からも好意を寄せられる)。
だがそのすべてを眉一つ動かすことなくあしらえる人間だと彼は自覚している。
その彼を悩ませて仕方がない女性が一人───
「あー!もう鬱陶しい!」
と珍しく悠理が叫びながら生徒会室に入ってきた放課後。
「どうしたの?悠理が“今日”機嫌が悪いなんて珍しいじゃない。」
生徒会室に溢れる甘いものへの相方としてコーヒーを準備している可憐が首をかしげた。
「それがさ、今年はこいつ、全部断ってやんの。」
悠理とほぼ同時に生徒会室へ入ってきたのは魅録。手には紙袋を数個抱えている。
「それにしても“鬱陶しい”まで言う?」
すでに目の前のテーブルに戦利品の山を築いてほくほく顔だった美童が思わず眉をひそめる。
悠理は自分を慕う女の子を無碍にするほど情なしじゃないはずだが。
「“鬱陶しい”のは女の子じゃありませんのでしょ?」
野梨子がちらりとテーブルの向こうに座る黒髪の男の方をうかがいながら言った。
今日は聖バレンタインデー。男性陣+悠理のもとに大量の女の子の愛が押し寄せてくる日である。
いつもなら美童が悠理とチョコレートの数を競い、しかし悠理はそれを気にもせずに、うんざりしたような魅録と清四郎の前に積まれた山にまで手を伸ばすのだった。
そして、「有閑倶楽部の皆様に」と称して可憐や野梨子へも連名で贈られてくるケーキの類もあった。
しかし今年はいつもとは違った。
「海童(かいどう)幸太くんですか?」
清四郎が眉一つ動かさずに読んでいた文庫本を閉じた。
聖プレジデント学園中等部3年生。それが彼の肩書きだった。特に生徒会活動も部活動もしていない。
「他の子のも今年は全部断ってんのに、言うこと聞きゃしねえんだよ!」
「また和菓子攻撃ですの?」
野梨子が魅録の顔を見上げると、彼は苦笑しながら頷いた。
「そ。チビ太の和菓子攻撃。」
幸太はいまだ成長途上。身長は155センチほどしかない。チビ太と呼ばれる彼は老舗の和菓子屋の跡取りである。自らも職人を目指して修行中だった。
そんな彼が恋をした。見事な食べっぷりを示す悠理だ。
悠理の大喰らいと彼の特技とが一致を見せた。そうして和菓子攻撃が始まったのである。
「剣菱さーん。改良してきました!」
そう言ってチビ太が高等部のほうへと駆けてくる。その姿は新年早々から聖プレジデントの新しい風物詩になりつつあった。
しかし、最初は和菓子を喜んでいた悠理もすぐに飽きた。
更に今年のバレンタインは今までとはわけが違うのだ。
悠理は恋をした。
だから今年はすべての贈り物を断っていた。
「それは災難でしたね。」
表情を変えずに己をじっと見つめてそう言う清四郎を、悠理は一瞬睨んだ。
そしてふいっと顔をそらすと、どしんと音を立てて鞄をテーブルに置く。蓋を開けた。
「とりあえず、これ。」
とだけ言いながら、悠理は鞄の中からリボンのついた箱を取り出した。
黒っぽい包みに灰色の小さな字でブランド名が書き綴ってある。有名な高級菓子メーカーのビターチョコだ。
ぐいっと目の前に差し出されて、清四郎はそれを一瞬見つめた。すっと手を出して受け取る。
「ありがたくいただきますよ。」
彼がにっこりと微笑むと、悠理はぽっと頬を染めた。
突然の悠理からの告白。それは2ヶ月前の年末のことだった。
初めは清四郎のほうが意識してしまっていたが、次第に友人としての距離を取り戻し、ほとんど元通りの関係に戻っていた。
だから皆は思っていたのだ。清四郎は悠理とは友人としての関係を捨てるつもりはないのだと。そして悠理が自然にその関係に戻れるように振舞ってやっているのだと。
二人の様子を数瞬見守ってから可憐がちらりとこちらを見ていることに気づいた野梨子は、にっこりと微笑み返した。
つつつ、と可憐のほうから近寄ってくる。
いつの間にやら野梨子の傍に美童も魅録も近寄ってきている。
「ね。清四郎も荷物少ないけど、他の人からの断ってるの?」
ぼそぼそと可憐が訊いてくる。
「そりゃあそうだろ。あからさまにチビ太くんに嫉妬してたもん。」
美童もひっそりと言う。
魅録は何も言わずに肩だけすくめて見せた。
そして野梨子は知っていた。
清四郎自身から聞かされたのだ。悠理は彼にとってかけがえのない人だと。
あの時はまだ悠理のことを愛しく思ってはいても、女性として見ることはできないとも言っていた。
その彼が変わったのは海童幸太の和菓子攻撃が始まってからだった。
背の低い少年の猛烈アタックから逃げ回る悠理の姿を見てはため息をつく清四郎の姿がしばしば見られたのだ。
2月になったばかりのある日、清四郎がちょっと遅れて生徒会室に入ると、他の皆はすでに下校した後のようだった。
一人で考えたかった彼には都合がよかった。悠理がチビ太少年から追い回されるようになってから、何もしない清四郎に対して野梨子の目が冷たかったのだ。
いや、彼女だけじゃない。可憐も美童も魅録も、清四郎の様子をうかがっているようだった。
ふ、と一つため息をついたところで、彼は部屋の隅から人の気配がすることに気づいた。
「誰かいるんですか?」
有閑倶楽部の部室もかねている生徒会室には、魅録と悠理がやっているロック同好会の巨大スピーカーとアンプが置かれている。誰かの気配はそのスピーカーの陰からするのだった。
「んあ?清四郎か?」
その声は、清四郎がいま一番会いたくない人物のものだった。
「別にここは部室なんですから、そんなとこに隠れなくても彼は入ってこれませんよ。」
清四郎は努めていつもの調子で返した。
そこにいたのは、そのセリフでぷうっと頬を膨らませてしまった悠理だった。
その様子に、清四郎はぷ、と吹きだす。
「なに笑ってるんだ。あたいが困ってるの知ってるくせに。」
“他に好きな奴がいるから”って断れば簡単なんだけど、そんなん言っちゃ清四郎が困るだろ?と悠理は口に出さずに考える。
清四郎には悠理が考えていることもわかっていたから苦笑せざるを得ない。
「すいませんね。頬を膨らませた顔が悠理だなーと思って。」
「なんだそりゃ?はん!お前みたいな薄情モンのことなんか知ったこっちゃねえよ!」
悠理は清四郎の言うことがわからなかったようで、機嫌をそこねるとさっさと自分の鞄をつかんで部屋から出て行った。チビ太に見つからないように用心しながら。
清四郎はその後姿を見送りながら、思わず抱き寄せてしまいそうになる自分に気づいていた。
清四郎は皆が見守る前で受け取ったプレゼントを自分の鞄にしまおうとした。そこで何かを見つけたようで、手を鞄の底へと突っ込んだ。
「なに?」
「どれかから落ちたようです。プレゼントは全部断ったんですけどね。移動教室のときに鞄に押し込められてたぶんなんかがいくつかあってね。」
と、言いながら鞄から彼が出したのは小さな造花だった。赤い可愛らしい花。
「あげますよ。悠理に僕からのプレゼントです。」
そう言ってそれを彼女の耳に挟むようにして髪に挿した。
「赤い薔薇・・・だね。」
思わずつぶやいた美童のほうへ清四郎が顔を向けたので、思わず4人は身を寄せ合った。
「そうですね。赤い薔薇ですね。」
清四郎はにっと親友たちへと笑みを投げた。
結局その後、清四郎が悠理へと手を差し出し、悠理はそれに自分の手を乗せた。
そのまま二人は手を繋いで下校していった。
「赤い薔薇が告白への返事ってこと?」
己のデートの待ち合わせ時刻が迫っていることに少しばかり焦りながらも可憐が美童に訊ねる。
「そ。海外じゃ男からの告白は赤い薔薇が多いんだよ。」
美童も帰り支度をしながら教えてやった。
「そうは言っても時代遅れだけどね、いささか。」
と付け加えるのも忘れずに。
魅録と野梨子も微笑みあう。二人ともに、悠理が清四郎への想いで息苦しくなってきているのに気づいていたから。
だから、清四郎が悠理の気持ちに応えてくれたことは至上の喜びだった。
「和菓子に感謝、だな。」
「ですわ、ね。」
(2005.2.14)
(2005.2.15公開)
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