2015/02/03 (Tue) 23:43
ディナーが進むに連れて、さすがに悠理は緊張してくる。いくら清四郎の望んだ贈り物だとは言え、それをどういうタイミングで言い出していいのかわからないのだ。
とりあえずデザートは食ってしまおう。うん。と悠理はこのレストラン人気のデザート、杏のケーキを口に運んだ。
清四郎もこれはさすがに自分でぺろりと食べてしまって優雅にコーヒーを啜っている。
「時に悠理。手を見せてくれませんか?」
悠理の皿が空になる頃を見計らって唐突に彼が言い出したので、彼女は「?」と思いながら清四郎のほうに手を差し出した。
その白いレースの手袋をはめている掌をじっと見ると、清四郎は徐に手袋を剥ぎ取った。すると、彼女の掌にはマメが出来てところどころ破れているではないか。ほとんどはもう治ってきていたのだけれど。
しまった、という顔をして手を彼から奪い返そうとする悠理。清四郎はふうっと一つため息をついた。
「お前がこんなに暖かくなってきたのに手袋なんかしてるからおかしいと思ったんですよ。どういうことですか?悠理。」
眉が少し寄っている。目を細めて怪訝な表情を見せている。格闘好きとは言ってもお嬢様育ちの悠理の手がこんな風になるなんてまずありえることではない。
悠理は少し頬を赤らめて白状した。
「バイトしてたんだ。」
「なんのバイトしたらこんなになるんです?」
「・・・工事現場の作業員。」
「はい?」
今日の服装で軽く失念していたが、そういえば悠理ができるバイトといえば肉体労働か。それにしても工事現場でバイトしなくても・・・。
「だから、お前へのプレゼントも、父ちゃんと母ちゃんへの卒業感謝のプレゼントも、自分で稼いだ金で贈りたかったんだ。」
清四郎はみるみる真っ赤に染まる悠理の顔を見ていた。ほっこりと彼の胸も温かくなってくる。
彼はにっこりと微笑んだ。
「本当にこの人と来たら。コンビニだとかファーストフードだとかもあったでしょうに。」
「そういうとこ時給が安いじゃんか。あたいができて時給がいいバイトったらそれくらいしか・・・。」
まあ彼女に水商売はできないだろうし、清四郎もさせたくない。他に時給がよい健全なバイトといったら家庭教師か、着ぐるみを着るイベントのバイトといったところか、と清四郎は考える。
「軍手もしないで働いたんじゃないですか?」
「ちゃんとしてたよ。」
すっかり悠理は俯いて口を尖らせている。自分で稼いだ金で、というのは自己満足だったから言うつもりはなかったのに。
「ありがとう。悠理。」
悠理はそう言われてぱっと顔を上げる。そしたら清四郎が優しい瞳でこっちを見ていた。
まだ悠理の手を掴んでいた彼は、その手をひょいと持ち上げると掌に唇を寄せた。悠理は頭が沸騰しそうになる。
「ひゃあ!」
という声にならない悲鳴とともに彼女の手がひっこめられるのを今度は清四郎も止めなかった。くすくすと笑いながら。
「な、なに恥ずいことすんだよ!」
と少しばかり大声で彼女が言うものだから、レストラン中の注目を浴びる。美男美女のカップルがディナーを楽しみながら騒いでいるのだ。自然、その場の視線を集めるというものである。
清四郎はにこにことしながらちょっと眉尻を下げて「しいっ」と口の前に人差し指を立てた。
悠理はその手をそのままの勢いで上着のポケットに突っ込むと、一瞬の逡巡の後にすっとまた手をテーブルの上に差し出した。テーブルの上を滑らせたものは一枚の小さな封筒。
「で、これがプレゼントだから。」
ちょっと怒ったような顔で一瞬清四郎の顔を見つめると、またぶん、と音がしそうなほどの勢いで顔をそらした。
清四郎は封筒を手に取ると中に入っているカードを取り出した。磁気テープが端についたちょっと厚手のカード。
「もうチェックインまで済ませてたんですね。」
だから彼女は待ち合わせより先に来ていたのか。
清四郎が望んだ合格祝い───それは悠理。
封筒に入っていたのはこのホテルの一室のカードキーだった。
清四郎はそらされた悠理の顔をまじまじと見つめると、「悠理。」と話しかけた。
「僕のほうはお前に何が欲しいか聞きませんでしたよね。」
「え?この食事じゃねえの?」
悠理がきょとん、と清四郎のほうを見る。
彼女の合格祝いでもあるディナー。そのはずじゃないのか?
清四郎は静かに上着のポケットからそれを出す。
「僕のほうはね、最初から決めてたんです。」
差し出されたのは、ビロードのケース。
悠理は思わず息を呑んだ。まさか・・・?
清四郎の長い指がその箱の蓋を開けるのをまじまじと見つめる。
「おばさんに口止めするの、大変でしたよ。」
と、苦笑している彼が差し出すケースの蓋の裏には「ジュエリーAKI」の文字。可憐の母の店で可憐にすら内緒で買ったという。
「他の店だとお前のサイズがわかりませんからね。」
すっとケースからそれを取り出す。悠理は呆然と請われるままに手をみたび差し出した。
手袋をはずされたままの彼女の指にすっと金属の冷ややかさと共にそれがはめられた。
まろやかなデザインの金のリングに赤い石。
それは悠理の誕生石、血のように赤いルビーだった。
「今日の服にぴったりでしたね。狙ったわけじゃなかったんだが。」
と、清四郎はにこやかに言いながら悠理の手を解放した。やっぱりお前は銀や白金よりも金が似合いますよ、と付け加える。
悠理は自分の手をそのままじっくりと眺める。小さな石ではあったが、最高級のものなのだろう。それが己の左手の薬指に輝いている。
「なに?あたいが欲しいってこういう意味だったの?」
うっすら頬を染めながら思わず悠理は尋ねた。
「正式なプロポーズではもちろんありませんよ。それはもう少し先にしっかりやりますから。ステディリングとでも思ってください。」
ゆっくりと悠理は向かいに座る清四郎を見つめる。彼の瞳はいつものように深くて、そして優しく温かかった。
悠理が大好きな深遠を映す瞳。
「あたいで・・・いいの?」
「悠理がいいんです。」
零れた彼女のセリフに清四郎は即答する。
悠理の赤らんだ顔が一瞬くしゃり、と歪んだ。それは、泣き笑いの顔。
「すげえ嬉しい・・・嬉しいよ・・・清四郎・・・」
「悠理は剣菱を豊作さんと二人で継ぐことを選びましたけれど、辛くなったら言うんですよ。剣菱の誰もお前を縛り付けようなんて思ってないだろうし、僕がいるんですからね。」
その言葉に悠理の頬を温かい雫が一滴滑る。
「お前に剣菱のこと押し付けたくない。」
悠理はそれだけやっとのことで言う。だってそのために彼女は受験勉強を頑張ってきたのだから。
清四郎を自分との付き合いで縛り付けたくない。もうあの時のように疲れて余裕のない清四郎など見たくない。
何より、彼には好きなように生きて欲しい。だから・・・。
「知ってましたよ。」
その声があんまり優しいから。あんまり温かいから。
「ありがとう。悠理。お前の気持ち、とても嬉しいですよ。」
悠理はただ、頷くことしかできなかった。
一緒に、“あの続き”を知ろう。
教えるとか、教えられるとかじゃなくて、一緒に知ろう。
“あの続き”の、二人を知ろう。
「なん・・・か、悔しいんだよなー。」
と、悠理は己の左手をカーテンの隙間から漏れる朝日にかざしながらぶつぶつと言う。
「なにがですか?」
清四郎は己の腕の中の愛しい人の髪を指に絡めながら覗き込むようにして訊ねる。
悠理はう、と一瞬つまったが、自分を抱く男の裸の胸に指で「の」の字を書きながらその意味を言う。
「だってあたいのほうが先に好きになったのに、お前にリードされっぱなしじゃん。」
つい数ヶ月前まで情緒障害者で、愛のない相手を平気で抱いてたくせにさ、と悠理は口を尖らせる。
「そのことは言わないでくださいよ。その手のヤキモチは可愛くないですよ。」
清四郎もさすがに顔をしかめる。言及されたくない過去だとわかってくれていると思ったのに。
悠理はその言葉にむううっとするときゅっと彼の脇腹をつねった。
「なんだよ。そうやって気持ち変わったじゃん。一生あたいだけなんて誓ってもいいのかよ?」
じとっと清四郎を睨みつける悠理の瞳は存外真剣で、全く照れなど見受けられなかった。
清四郎の顔もすうっと真顔になる。
「もしも僕が心変わりするようなら、僕を殺せばいい。」
一瞬目を見開いた悠理とじっと目を合わせる。
「あたいに殺人の罪人になれって言うのか?」
「ちゃんと完全犯罪の筋書きを用意してやりますよ。お前に殺されるなら本望だ。」
沈黙。
不意に清四郎の目が緩む。
「でもたぶん使うことはありませんよ。そんなシナリオ。」
ぎゅっと悠理の頭を胸に抱きこむ。悠理の腕も彼の首へと絡む。
「清四郎。好きだ。」
「僕もですよ。」
「好きだ。好きだ。好きだ。」
「悠理・・・」
唇が触れ合う。
温かな体が触れ合う。
生きている。鼓動が聞こえる。
「お前を殺すときは、そのあとすぐにあたいも死ぬから。」
「ダメですよ。幽霊になって会いに行きますから、幸せな姿を見せてください。」
「お前なしで幸せになんかなれない。」
「それは困りましたね。それじゃ僕は悠理より先には死ねませんね。」
抱き合う。抱き合う。
一つになりたくて、一つに還りたくて。
「・・・なあ?」
「なんですか?」
「それがプロポーズじゃないなら、どんなプロポーズする気なんだ?お前。」
「さあ?その時のお楽しみですよ。」
「ずりい・・・」
(2004.12.24)(2005.1.20加筆修正)
(2005.2.7公開)
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