2015/02/05 (Thu) 21:51
(※可憐の母、あき子さんの「火華」という字は機種依存文字なのでひらがなで表記しています。)
三月最初の週末が明けた月曜日。
先週末から続いていた晴れ模様もどうにか今日まで持ちそうだった。明日からまた寒波が流れ込んでくるらしい。
三寒四温。彼岸の頃にかけて寒い日と暖かい日が交互にやってくるという。
まだ彼岸までは10日以上ある。
可憐はいつもより丹念に時間をかけて身支度を整える。
今日がこの制服での最後の晴れ舞台なのだから。
この胸元のリボンにプリーツスカートという制服のデザインが気に入って入学した聖プレジデント。
今日はさぞや自分も仲間たちも学園中からちやほやされるだろう。目立ちたがり屋だった彼女の虚栄心を大いに満足させてくれる一日になるのだ。
それも今日まで。明日からは新しい自分になる。
「可憐ちゃん。そろそろ出かけましょう。」
「はあい。ママ。」
いつもの学生鞄は手にしない。手ぶらでスーツ姿の母と二人、家を出る。
春の空気は透き通って彼女の髪をふわりと撫でた。
学園にもう少しというところで女の子たちの待ち伏せにあう。
予想通りだ。と、菊正宗清四郎はばれぬように小さくため息をついた。
好意は本当にありがたいと思うのだが、その想いに応えるわけにもいかないし、何よりこんな日に遅刻はしたくない。
彼は往く手を阻む女生徒たち(男子生徒は電柱の向こうに隠れている)ににっこりと微笑んだ。
「すみません、このままだと遅れますので急ぎましょう。」
そういって悠々と人ごみを掻き分けると、幼馴染の少女の脱出にも手を貸してやった。
「菊正宗様は聖プレジデントを離れられるのでしょう?お二人のこんなお姿を拝見するのも最後ですかしら。」
「まあ、もしかしたら朝は白鹿様をお送りになられてそれから大学にいらっしゃるかもしれませんわよ。」
「でしたらまた毎朝お二人の並んだ姿を拝見できますわね。」
少女たちのそんな囁きが耳に入ってきて、聞こえていない振りをする話題の二人とその母たちの肩がかすかに揺れた。
もっとも野梨子の方は憮然とした表情をしている。
「私だっていつまでも清四郎のおまけではありませんのに。」
やはり後ろの少女たちに聞こえぬように囁き声ではあったが口に出す。
清四郎はくっくっと苦笑する。彼女たちが考えているのはそういう意味ではない。彼にとってはある意味笑えぬ誤解をしているのだ。
きっと清四郎の母も少し複雑な表情を見せているに違いない。
と、そこに黄色い悲鳴の合唱が聞こえてきた。
「やっぱり今日はいつにもましてすさまじいですね。」
学園の門の付近が人ごみで身動きもままならぬ状態になっているようである。
ちょうどラッシュにつかまってしまったらしい。
有閑倶楽部のメンバーの登校時間は別に示し合わせたわけではなく、ほぼ一緒になる。一般の生徒よりも少し早い時間。
今日だとて騒ぎになるのは予想済みだったので予定よりも早めに到着したのだ。
何しろ在校生にとっては制服姿の彼らに会える最後の日なのだから。
「悠理が先に登校してるようですわね。それにしてもこの騒ぎは・・・?」
倶楽部の男性陣や悠理が女生徒にもみくちゃにされるのはいつものことだ。昨年の同級生たちの卒業式のときは卒業生に囲まれてしまっていたし。
しかしいま、自分と清四郎が近づいても誰も気づかない。
学園の誰よりも女生徒に人気のある悠理を中心として、まさしく阿鼻叫喚といった女生徒たちの悲鳴が渦巻いているのだ。
野梨子は人垣の外で母と二人で呆然としている可憐を発見した。
「可憐!この騒ぎはどうしましたの?」
野梨子は清四郎の傍を離れて可憐のほうへと近づいていった。
今日は悠理の傍には剣菱財閥会長である万作氏とその妻・百合子氏も同行しているに違いない。ということは卒業のご祝儀と称して現金をばら撒くといった類のことをやりかねない。野梨子はそう懸念していた。
そして野梨子の声はさほど大きい声ではない。この悲鳴の渦の中ではかき消されてしまうかと思われた。
だが、人垣のぐるりの生徒の耳にはしっかりと届いてしまったと思われる。
「は、白鹿様!黄桜様!」
と、気づいた近場の生徒たちが二人のほうへと押し寄せてきたのだ。
「お二人ならご存知なのでしょう?!」
「悠理さまのゆ、ゆ・・・うわああああああん。」
言葉にならない悲鳴を上げながら涙を流してすがりついてくる彼女たちの手から辛うじて逃れながら野梨子は可憐の腕に手を絡めた。
「な、何事ですの?」
ゆ?ゆうりのゆ?
「悠理の左手、あれうちのオリジナルデザインじゃない?ママ。」
可憐は野梨子の問いの答えになってるのだかなってないのだか、己の母親に尋ねる。
「そうねえ。やっぱりよく似合ってる。」
黄桜あき子はほおっと頬に手を当てながら和やかに目を細める。
二人の会話に野梨子は小さい背を一杯に爪先立ちして人垣の中心の悠理のほうへと目を凝らす。
人ごみの上にすうっと手が上げられた。
「だああ!と、とにかく遅刻しちまうから通るよ!ごめん。」
そう言って門柱につかまりするするとよじ登って姿を現したのは悠理だった。そのまま勢いをつけて人垣の外まで一気にジャンプした。
「おや、いつもながらあざやかですな。」
今は少し距離をあけてしまったが、野梨子は幼馴染がそう呟く幻聴が聞こえたような気がした。
いや、今は、アレである。
いつもなら彼女のそんな態度に「はしたない」と頬を赤らめて文句を言いつつも見とれてしまう野梨子なのだが、信じられないものをみた衝撃でやはり先ほどの可憐同様に呆然としてしまったのだった。
「いま、左手の薬指でした?」
「ええ。しっかり、あいつの誕生石のルビーだったわよ。」
卒業式の朝。聖プレジデントを大騒動の渦に巻き込んだものは、小さな小さな赤い石だった。
「ど、どなたからですの?!いつの間に悠理様は婚約されてしまいましたの?」
「ジュエリーAKIで買われたものなのですね!?」
逃げてしまった当事者の代わりにその親友である野梨子と可憐がつかまってしまった。しかし二人にとっても寝耳に水。全く予想だにしなかった出来事である。
「ごめんなさい。お客様の秘密を教えるわけにはいきませんの。」
娘たちと一緒にもみくちゃにされながら、唯一真相を知っている可憐の母も困ったように微笑んでいる。
清四郎はやれやれと言いながら見渡すと、やはり女生徒に質問攻めにあっている魅録と、離れたところで目を見開いて立ち尽くしている美童と目が合った。
とりあえず魅録は悠理といつもつるんでいるし人がいいので、質問攻めの標的として騒ぎを大きくするだけだろう。
清四郎は美童と二人頷きあうと、人波で溺死寸前になりながら疑問符を飛ばしまくるお姫さまたちの救出に向かった。
松竹梅と剣菱。男女それぞれの名簿で出席番号順に並ぶと偶然にも同じ順番だった。なので2回目の高校2年と3年の2年間、彼らは同じクラスでことあるごとに同じグループにさせられていた。
今も出席番号順に並んで教室から卒業式会場である講堂に移動する間も隣同士である。
「こんなにちっちゃいのに皆よく見てるよな。」
と、悠理はぼそっと呟きながら口を尖らせる。魅録は苦笑した。
「無理もねえだろ。お前のファンの情熱は美童ファンの上を行く。」
もうそれはほとんどアイドル歌手の追っかけに近い。美少年然とした彼女は、中性的な魅力を前面に押し出して売り出すアイドルたちとやや似通ったオーラがあるようだ。もっとも彼女はスター以上に強いカリスマも持ちえている。
「それにしてもさ・・・」
「で?皆にはいつ言うんだ?」
さらりと言われたセリフに悠理はほんのりと顔を赤らめる。
「謝恩会の後にでも。」
「そっか。悠理。」
「ん?」
「おめでとな。」
「ん。ありがと。お前は?」
「さあな。」
前後の生徒には二人の声が聞こえていたかもしれない。だが、気心の知れた親友同士の会話は、他のものが漏れ聞いても詳細はわからぬものだった。
「さーて、くそ面白くもない儀式に出てやるか。」
悠理が歩きながらうん、と伸びをする。
「そうだな。清四郎の最後の晴れ舞台を見てやらなくちゃな。」
魅録は前を向いたまま言う。彼は彼女のすがすがしいまでの横顔を見ない。その目の奥に浮かんでいる光までも見なくてもわかる気がするから。
「二人とも、いなくなっちまうんだな。」
だから悠理がぽつり、と続けたのも聞かぬ振りをした。
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