2015/02/07 (Sat) 21:05
「来るんだ!可憐!」
「だって・・・だって・・・」
躊躇う可憐の腕を強引に掴むと、美童は走り出した。可憐はその横顔をじっと見ていた。
彼女も子供の自分を捨てようと無理に大人になろうとした。
だけど、彼ももう子供の顔ではなくて、男の顔になっていたのだった。
「なるほど。悠理と美童で可憐を領主の元から連れ出した、と。しかし邸を破壊しまくるなんてね。」
清四郎が呆れたように苦笑している。悠理はうっとつまると赤面した。あの頃はまだ魅録もいなかったし、ましてや清四郎にだって出会ってはいなかったのだ。参謀役なしでは暴れまわるしか手はなかったのだ。
「だって他にも可哀想な子たちがいたんだ。」
ただただそんな大人が許せなかった。力のない子供たちはそうして大人に媚びることでしか餓死の恐れから逃げる術はない。だけど、わかっていても許せなかった。
悠理自身、幸せな生活を送っていたところから盗賊という名の大人の都合で引き裂かれてしまった子供だったから。
「それに、そうしたからこそ可憐が毒牙にかかる前に助け出せたんだし。」
「そうですね。それはよかったですね。」
清四郎は曖昧に笑む。
十のときにそんな男に穢されなかったとはいえ、十四のときから彼女が芸とともに望まれれば身を売っていたのを知っているから。
悠理が清四郎のことしか知らずにいるのだってほとんど奇跡に近いといえるのだから。
「そうだぞ。だからあいつも惚れた男と最初に寝ることができたんだ。」
と言った悠理の言葉に清四郎は思わずまた顔を上げて彼女をまじまじと見てしまった。
「そうなんですか?」
可憐の最初の相手は───
「そ。まあ基本的に軟弱なあいつだけど、可憐のことだけは十のときから本気だったよ。」
可憐を攫ってきた美童と悠理の姿を見た棟梁は、ふうっとため息をついた。
「まあ・・・ここもそろそろお暇しなくちゃとは思ってたしね。」
棟梁が情けを受けていた荘園主は、近頃新しく彼の館に仕えるようになった若い女に夢中になっていた。
都に残してきた売れっ子のお姐さんたちのところに、悠理をそろそろ行儀見習いにやらなくちゃとは思っていたし。
棟梁はちらりと美童を盗み見る。
おーおー、いっぱしの男の顔しちゃって。
そして美童を男にした少女の方に顔を向けると、言った。
「今から舞の稽古は厳しいよ!今回は無事だったけど、殿方に情けを受けなくちゃいけない場合もある。それでもいいかい?」
だが、泣き黒子の少女は、力強く頷いた。
「あたし、なんでもやります。綺麗な着物着て、お腹一杯ご飯が食べられるなら、なんでもやります!」
「いい心がけだ。」
棟梁はにこっと笑う。
美童と悠理がわっと顔を輝かせて手を取り合った。
つられたように可憐もにいっと口の端を挙げた。
「そして今に殿上人を捉まえて玉の輿に乗ってみせます!」(注:「玉の輿に乗る」の語源は西陣の八百屋の娘・お玉が美しさゆえに見込まれて徳川三代将軍家光の側室となり五代将軍綱吉の生母・桂昌院となったからと言う説が広く知れ渡っているようです。古語辞典では「玉の輿:貴人が乗る乗り物」となっていますので、結婚で身分が高くなることを「玉の輿に乗る」というようです。でも辞典の例文が江戸以降の文章ばかりなのでお玉さん語源説が正しいのかも。)
「棟梁がね、初花が来たんだったら、もう売るのは舞だけじゃなくってもいいねって。」
十四になっていた。可憐の舞は完璧だった。一座に混ざってから一年ほどで彼女の舞は座敷に出られるものになっていた。
逆に七つのときから一座にいる悠理はいつまでも舞を覚えなかった。可憐よりも体を動かすのは得意なはずなのに、彼女は美童とともに笛ばかり吹いていた。
だから悠理は白拍子の格好をしつつも、男の子のように笛を吹くばかりだった。それすらこの頃は逃げている。いくら棟梁が大人になっていない少年少女の体を売るようなことはしない人でも、座敷で卑猥なことを言われたり体を触られることには変わりなかったのだ。
だが、可憐は大人の体になったと言う。
「やっと一座に恩返しができるの。舞だけじゃなくて、ね。」
そう言って微笑む彼女の顔を見ていられない。
月が綺麗な夜だった。
誰からも打ち捨てられた廃寺を見つけてきたのは悠理。そこは同い年の三人の隠れ家になった。
悠理は座敷から逃げる代わりに、時折盗賊をしている。自分の食い扶持は自分で稼ぐ、と貴族の邸から金目のものを盗み出しては市で食い物に替えていた。
この廃寺はそんな彼女が盗んできた盗品が一時的に保管されていたりする。だけど、美童も可憐もそれを咎めることはしない。時には彼らもそれを手伝っていた。
今宵はこの廃寺に二人・・・
「ね。お邸の北の方なんかに迎えられちゃったりしたらあんたを家司(けいし:貴族の邸の事務仕事や裏方仕事を統括する執事のような役割)にでも迎えてあげるわ。」
その無邪気に見える笑顔が辛くて。
「もう黙れよ。」
と言って、美童は可憐の唇を塞いだ。そのまま体を床に横たえる。
「ダメ・・・ダメよ・・・」
可憐は呟いてそれを咎める。だけど美童はやめない。
「可憐、君はね、僕と悠理のものなんだよ。」
僕たちが二人で盗み出したんだから、だから僕たちのものなんだ。
青い瞳に、見据えられる。
金色の髪が可憐の顔の横に檻となって舞い降りる。
つ・・・と可憐の目から涙が零れる。
もう、彼女は抵抗しなかった。
ただ、壊れかけた戸の隙間から忍び込んでくる月光だけを見ていた。
「すごく月が綺麗で・・・あたいも泣けてきちゃった。」
「つかぬことを訊きますが、あなたどこにいたんです?悠理。」
「戸の外。」
あっけらかんと出歯亀を打ち明ける愛妻に、清四郎は頭を抱えそうになった。なんと無粋なこの人よ。
だが、悠理はそんな清四郎の様子にちょっとばかり憤慨したように顔を赤らめた。
「そりゃなあ、あたいだって野暮する気はなかったけどな、やっぱり一座の奴らに見つかったらやばいじゃん。現にそのあと美童ってば殴り飛ばされたし。」
戸の外で悠理は宿直(とのい)の真似事をしていたというのだ。
二人を邪魔するものが現れぬよう、人だけじゃない、この世ならぬものにだって邪魔はさせない。
その決意を持って悠理は廃寺の外で宿直をしていた。
自分のわがままを許してくれて手伝ってまでくれている二人を、せめて守ってやりたかった。
朝になって出てきた可憐は、悠理に小さく「ありがと」と言った。
「いいんだ。あたいこそ、こんなことしかできなくてごめんな。」
言いながら眉を下げた悠理の視線の先にいるのは、憤怒の形相をしてこちらにやってくる棟梁だった。
美童のことをみんな鬼だ鬼だ言うけど、棟梁のほうがよっぽど怖いよな、とのんびり考えていた。
ばしんっ
音とともに美童の体がすっ転がった。
廃寺とは違って磨き上げられた一座の邸の床で、彼の体はつつっと三尺(曲尺(かねじゃく)では約90.9cm)ばかり滑っていった。
まだ細い少年の体は、女性である棟梁の力でもたやすくすっ飛んだ。
「あんたって子は!なに考えてるんだい!」
そしてくるっと体の向きを変えると、おとなしく座している悠理と可憐のほうへと近づいた。
二人のことはばしっ、ばしっと顔ではなく頭を叩くだけにとどめたのはやはり彼女らの顔のほうが売り物になるからであろう。
「あんたたちもだよ!」
「悠理は関係ないわ!あたしたちだけの罪なの!」
可憐が必死に棟梁の袴の裾に縋りつく。
「違う!可憐も悠理も悪くない!僕だけが悪いんだ!」
と、美童が少女たちと棟梁との間に割ってはいる。棟梁は自分とほぼ同じくらいの背丈まで成長した金髪の少年の顔をじっと見た。
「生意気言ってんじゃないよ!このガキが!」
鬼気迫る、という言葉がまさに当てはまる棟梁の様子に美童はやや飲まれながらも目を逸らさずにいた。
「あんたなんかに可憐を養えるのかい?!ちんけな盗賊稼業ででも養う気かい?」
言われて美童はかっと赤くなった。まだ彼は非力な少年だった。
彼ができることといったら笛を吹くこと。盗賊稼業は多少は悠理を手伝っているとは言っても、彼自身は一人では何もできない。
「それとも・・・あんたが代わりに身を売るか?」
棟梁のその言葉に三人の表情が固まった。ついでに言えば戸の陰からこちらの様子をうかがう一座の面々もである。
鬼といわれつつ、しかしその美しさに人は息さえ飲む。
可憐に言われたように、お日様の金の髪。空の青を映した瞳。そして白くほっそりとした、少年の肢体。
そんな美童を欲しがる好事家の貴族もいる。禍々しく美しいものを欲する、野心交じりの貴族が。
それを皆も知っていた。
「いいよ・・・それで可憐を養えるのなら。」
彼は青ざめていた。白皙の頬が、ますます白んでいた。
震えながらも、その声は低く、はっきりとその場に響いた。
そして、悠理は見るのだ。拳を握り締め、唇を噛み締める可憐を。
「何言ってんのよ。貧乏暮らしなんかまっぴらごめんよ!あたしは。」
美童がぎょっとして振り返る。棟梁も呆気にとられているようだ。
「あたしは綺麗に着飾ってお腹いっぱいご飯を食べて生きていきたいの!あんたみたいな甲斐性なしにそんなあたしを満足させられるわけ?」
少年の心臓は絞られたようにきゅっと痛みを伝えた。なぜ彼女にここまで言われなくちゃならないのだ。
だが、何も言い返せないのも事実だ。
彼女には苦労をさせたくない。彼女の笑顔を守りたい。
それ以上に、彼女には綺麗にしていて欲しいと、そう思わずにいられないのだから。
黙って俯いてしまった少年を尻目に、可憐は棟梁の方を向く。
「あたしは大丈夫だから。白拍子を続けます。だから、あたしたちを一座にこのまま置いててください。」
言って、静かに座ると手をついて頭を下げた。
見事な所作だった。
悠理もきゅっと唇を引き結ぶと、同じく頭を下げた。
「あたいからも頼む。あたいも稽古頑張る。舞がうまくならなくても用心棒として働くから。」
美童は少女二人の姿に、何も言えなかった。
ただ、二人と同じく膝をつき、頭を下げることしかできなかった。
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