2015/02/07 (Sat) 21:08
少女たちは舞の稽古へとやられた。美童は口の中が切れていることに気づき、血交じりの唾液をぺっと吐いた。
「で?何か言いたいことでもあるの?棟梁。」
その場に残っているのは棟梁と美童の二人だけだった。
棟梁からもう怒りの波は去っていた。ただそこに漂うものは・・・。
静かに中年女は口を開く。
「美童。あたしだってね、あんたたちが夫婦になるのを夢見たことがなかったわけじゃないよ。」
好きでこんな商売をしているわけではない。売るものは芸。春を売るだけの淫売どもとは違う。
だけれど、やっぱり男の情けを受けねば身を立てることは叶わない、因果な商売である。
「可憐があんなこと言った理由はわかってるね。」
「僕に・・・身を売らせないためだ。」
わかっていた。だから何も言えなかった。
「美童、もうあんたは二度と可憐を抱くんじゃないよ。」
弾かれたように赤らんだ顔を棟梁へと向ける。
「なんだい、その顔は。あんた、今まで一体何回半殺しの目におあいだい?」
鬼。そう呼ばれ、何度も苛められた。
大人たちは露骨に顔をゆがめて子供たちを隠そうとした。
可憐に綺麗だと言われ、その姿を隠すのをやめて堂々と曝すことはできるようになった。
だけれど今まで彼が無事だったのは、何より棟梁の庇護と、悠理の守りがあったからだった。
「あんたはちょっと姿が違うだけの人間だ。あたしたちは知ってる。だけど、あんたがどれだけその容姿でひどい目に遭ってきたかも知ってる。」
開き直って悠理の盗賊稼業を手伝う。悠理は笑って言っていたものだ。「あたいは酒呑童子、お前は茨木童子だ。」と。
大江山の鬼の一団。都を騒がす悪党として、源頼光とその部下である四天王(そのうちの一人が坂田金時)に退治されたと言う鬼たち。
鬼と呼ばれる人々はいつだって追われる運命。
「可憐を孕ませて、異形の子供を持つ危険をあの子に背負わせるんじゃない。」
あたしだってこんなことは言いたくないんだよ、と棟梁は寂しそうに笑んだ。
そうして美童はかりそめの恋に身を落とす。
乞われるままに女性のもとを訪れる。
あの人が他の男に身を任すなら。
僕も他の女をこの腕に抱く。
「なんで魅録は悠理を攫って逃げないの?」
僧侶のように髪を短く刈った男は、鋭い目つきで隣で頬杖をつく男をちらりと睨んでから、また竹を削り始めた。
美童たち三人が市で出会った元貴族の魅録という男と意気投合したのは十四のとき。例の一件の一月ばかり後のことだった。
あの頃には同い年の三人組は何もなかったかのように日常を過ごすようになっていた。
彼と出会い仲間になり、悠理は彼をあの日以来休んでいた盗賊稼業に気まぐれで誘った。お前、そういう仕事得意そうだな、と。
そうして魅録の寝床に廃寺を提供してから、そろそろ二年の月日が流れようとしていた。
「やっとあいつの舞も様になってきたからね。そろそろ舞を披露させるって棟梁が言ってた。その意味はわかるよね?」
悠理は美しい。言葉遣いも所作も見苦しいので仕込むのに時間がかかったが、その容姿からは気品が溢れている。
その姿に出資する後見人(現代で言うところのパトロン)を見つける、そういうことだ。
「何度も言ったさ。逃げないかってな。それに時間がかかってるがあいつの実家を探させてるところだ。」
検非違使別当の嫡男。彼がその地位を捨てて家出してきたのだと知ったのは一年ほど前。
美童は思わず叫んでいた。じゃあ、悠理の実家を知らないか、と。
生憎と魅録自身はそういう噂話には疎かった。だから実家にいた頃から付き合いのあった放免に頼んだ。
彼女を白拍子という境遇から助け出したい。初めて会った時からそれは常に思っていた。
だけど、悠理自身が頑として首を縦に振らなかった。
「もう、実家に帰る気はない。棟梁と一座の皆に恩返ししたいんだ。」
それに、あたいにとってお前は、友人にしかすぎないんだ。と申し訳なさそうに付け加えた。
言いにくいことまではっきり言ってくれる悠理の優しさと残酷さに、魅録は苦笑した。
「舞は売る。でも身は売らない。」
魅録が恐らくじりじりと身を焦がすような時間を過ごしただろう一夜が明けた後、悠理ははっきりと棟梁に言ってのけた。
何かが彼女の中で変わっていた。
「何を言ってるんだい!しっかりとした旦那を見つけてあんた自身、安楽な暮らしをしたいだろう!」
と棟梁は憤慨している。だが決して悠理は首を縦に振らなかった。
戸の陰に座ってその言い合いを聞いていた美童は、ふと隣にいる可憐を見た。
可憐も静かに彼を見つめ返す。
悠理は、恋をした。そうだね?
二人の間にあるのは、ただ沈黙だった。寂寥とした、沈黙。
「あはは。驚きよね。悠理がまさかあんな大貴族様のお姫様だなんて。」
剣菱大納言。その大姫。それが悠理に与えられた称号だった。ちゃんと教育され根回しされていたなら、都でも有数の后がね(きさいがね:皇后候補)である。もちろん、運命の徒で野の暮らしをしていた彼女を入内させようなんて微塵も大納言は思わないだろうが。
手切れ金として一座にもたらされた財宝は、彼らが数年は働かずに安楽な暮らしをできるほどに豊富だった。だが「芸は一日休むと取り戻すのに三日はかかる、稽古は休ませないからね。」という棟梁の言葉に皆当然といった顔で従っている。
可憐には上等の反物と、鼈甲の櫛が与えられていた。
魅録は黙々と竹を火にかざしては曲げ、繋いで籠を作っている。彼の分も宝物はあったのだが、「日々の食い扶持だけでいい。」と、彼は受け取ろうとしなかった。
捨ててきた貴族の生活を思い出すようなものなど、いらない。
反物をある人に贈ろうかと考えないでもなかったが、たぶん彼女のほうにも何がしかのものは行っているだろう、と思ってやめた。
美童も珍しく曲げた竹を繋ぐ作業を手伝いながら優しく微笑んでいた。
「で?実家には帰らないの?若様。」
と魅録をからかいながら。
「やだね。他の男を待ってる女のためになんか帰るかよ。」
悠理が待っているのは清四郎。あいつに妻訪いされる日が来るのなら、と大人しく行儀見習いをしていることだろう。
それに今、気になっているのは───
「清四郎とこの野梨子、だっけ?悠理と仲が良かったってね。寂しがってるでしょうね。」
会ってみたいわね、と可憐がいたずらっぽく言った。
魅録は案外と情熱的だった。それに彼がそんな恋に落ちた相手は、彼の初恋の少女とはあまりにも違う人だった。
小柄で儚げな理想的なお姫様。でも悪戯好きで、はっきりした性格で、芯は強い。そんな少女を魅録は攫っていった。
可憐はそのことにうっとりした顔をする。まったく、夢見がちでいつまでも子供みたいだな、と美童は忍び笑いを洩らす。
「なによ。なに笑ってんのよ。どうせあんたにはそんな甲斐性、ありゃしないわよねー。」
と、可憐が口を尖らせるので、美童はますます顔が綻ぶ。
「じゃあ、僕たちも駆け落ちする?」
冗談めかしてにんまり笑った美童に、だが可憐の笑みは引っ込んだ。
「馬鹿言ってるんじゃないわよ。」
「そお?僕だって可憐を養うくらいはできるよ。」
にこにこと彼は笑みを絶やさない。
「身を売って?」
可憐は片方だけ眉を上げて引きつった顔で言う。
美童もこれには苦笑する。
「こんなに育った男を買おうなんて物好きはもういないよ。」
あの日から二年と少し。年月は少年の中身だけではなく外見を大人の男に変えていた。
都の誰よりも背が高い(清四郎も魅録も背が高かったが)。肩幅は広くなり、盗賊稼業や魅録や悠理とともに時々やっていた人足仕事で筋肉もついた。
まだ顔は幼さを残していたのだけれど。
「だから、贅沢はさせてやれないけどね。」
と舌を出して見せた。
可憐はふん、と鼻息とともに顔をそらした。
「はん。それじゃあ話にもならないわ。」
冗談にしといてよ。という彼女の声が聞こえた気がした。
正直、あの時棟梁に言われた「異形の子」という言葉が耳に残っていないわけじゃない。
同じ境遇の子供を作ることに抵抗がないわけじゃない。だけど───
「清四郎は、悠理と逃げる決心がついたみたいだ。」
美童の顔がさすがに強張っていた。手には文が握り締められていた。
「そう・・・ついに・・・」
悠理は死ぬ気だった。長い付き合いだ。その顔を見ればわかった。
あの子にあんな顔は似合わない。
清四郎と逃げて、幸せになって欲しい・・・。
「可憐、これは最後の機会だと思う。」
美童が言うので、可憐は「え?」とその顔を見上げた。
「一緒に、逃げよう。」
ゆっくりと、美童はそう言った。
「こんな時になに言ってるのよ!」
「こんな時だから!」
今度は可憐の顔が伝染したように強張った。それはほとんど泣き笑いに似ている。
「だめよ、恩を仇で返すことになるわ。」
棟梁には感謝している。一座に養ってもらえたから、今まで飢えに苦しむこともなく綺麗な着物を着飾って暮らせたのだから。
「だめなのよ。」
と繰り返す可憐を、美童はそっと、そして徐々にきつく抱きしめる。
「可憐、君に僕の子供を生んで欲しい。」
彼女が息を呑むのがわかった。
彼女にもわかったのだ。彼があの日以来、彼女に触れなかった理由が。
美童がこれまで何をためらっていたのか───
「そうね。一緒に逃げたら、そこには悠理も清四郎も魅録もいるものね。みんなで守ってあげられるものね。」
非力なあたしたちだから、たとえそうしてやりたいと思っても子供を守りきれないかもしれない。
だけど、助け合える皆がいるなら。もちろん全部頼り切るつもりはないけれど。
「可憐、遅くなったけれど、僕が君を守る。子供も、僕らで守っていこう。」
やっと、その決心がついたんだ。僕だって辛いばかりの子供時代じゃなかったから、さ。
言って美童は可憐の頬に手を添えて、じっと瞳を覗きこんだ。
何度もひどい目には遭わされた。
だけど、一座の皆がいた。棟梁がいた。悠理がいた。
そして可憐が「綺麗だ」と言ってくれた。
僕たちの子供も僕たちが包んでくるんで可愛がればいい。
可憐は大好きな碧玉の瞳に見つめられ、次第に体が温かくなるのを感じた。
夏の青空のような瞳。お日様みたいな金の髪。
「あたしで・・・いいの?」
彼女の瞳が揺れる。
「僕に綺麗だねって言ってくれたのは、君だから。」
可憐も綺麗だよ、と美童が臆面もなく言うので可憐の頬がますます熱くなる。
「逆にね、僕なんかじゃイヤじゃない?」
悠理や魅録のように強いわけじゃない。清四郎のように頭がよいわけでも剣術ができるわけでもない。
「馬鹿ね。あたしは、あんたと悠理のものなんでしょ?」
彼女が微笑んだから、美童はまた彼女をぎゅっと抱きしめた。
もっと自分を大事にしてくれ。
君が君自身を大切にできないのなら、僕が大切にしてあげるから。
恋が淵。そこに沈んでみたとて悪くはあるまい。
初めて出会ったあの川辺が、恋が淵だったのかもしれない。
「ほんっとにあんたって甲斐性なし!もっとしっかりしなさいよ!」
今日も可憐に叱られる。
「ごめんよお、可憐。」
苦笑して謝りながらも、美童はどこか幸せそうだ。
二人の幸せそうな様子を見ながら、清四郎と悠理はくすり、と微笑んだ。
筑波嶺(つくばね)の嶺より落つる男女(みな)の川 恋(こひ)ぞ積もりて淵となりぬる
───筑波山から流れ落ちるみなの川のように、私の恋も淵のように深く積もってしまいましたよ。(陽成院・後撰)
(2004.12.17)(2004.12.19加筆修正)
(2004.12.21公開)
(2004.12.21公開)
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