2015/02/17 (Tue) 23:31
「美童。このところ悠理の外出が増えてません?」
ベッドから下りて身支度を整えたばかりの金髪の青年は、戸口からかけられた声に振り向いた。彼女がこの部屋を訪ねてくるとは珍しい。
「そう?気づかなかったよ。」
美童はそう言って、戸口から中へ入ってこようとしない少女に微笑みかけた。
「さびしい?野梨子。」
そう問う彼に、少女は小さく笑みを返した。
「当たり前ですわ。」
「僕がいても?」
野梨子の笑みが消え、黙り込む。ゆっくり彼女の眉根が寄せられるのを美童は黙って見つめた。
「そういう意味ではありませんのよ。ごめんなさい。あなたも大事な家族ですもの。」
大事な“家族”・・・ね。
美童は表情を変えずに、
「じゃあ、そんなに警戒しないで入ってきたら?」
と手を差し伸べた。だが、野梨子はやっぱり動こうとはしなかった。
しばらく彼の金色の瞳と彼女の黒い瞳とが、見詰め合った。
美童は根負けしたようにくす、と笑んだ。
「ごめんごめん。夫でも恋人でもない男の寝室に二人きりなんて育てられ方はしてなかったよね、野梨子は。」
良家の夫人たちは娼婦顔負けの奔放な性を謳歌していることが多いが、未婚の娘たちは厳格に家に閉じ込められる。婚姻の夜に村の司祭が夫婦の営みを観察し、妻が生娘であったこと、実際に夫婦の間に婚姻関係がなされたことを確認するのである。
「いくら僕らの仲間になったとは言っても、ね。」
「今更・・・というのはわかってますわ。」
野梨子は頬を赤らめて美童を睨んだ。
今更なのは知っている。人ならぬ身になることを自ら選び、神の祝福を、恩寵を捨て去ったのは自分。
あの苦痛なるひと時を我慢して闇のものへと堕ちたのだ。
だが、そのすべては彼女が恋した人に寄り添いたい、その一心だった。
美童は苦笑すると、肩をすくめて見せた。
「悪い。僕が悪かった。書斎へ行こう。この館は200年ぶりなんだろ?」
本当は彼は悠理の行き先を知っていた。悠理が会っている相手も。
だから野梨子をこの館に閉じ込める。彼女が街へ出て行かぬように引き止める。
その事実を知ったところで、誰一人得をするものはいないから。皆が傷つくだけだから。
黒髪の男は満足げにステーキにかぶりつく女を見ていた。
今日も彼女は少年のような服装である。今はナプキンで隠れている襟元には大きなリボンがついた、生成り色のシャツを着ていた。そこにベージュのベストを羽織り、濃いグリーンのズボン。そして先日と同じ濃灰色のマントを羽織っていた。
男のほうはいつもと同じ。警備隊の黒い制服に黒いマント。闇に溶ける姿である。
「たいして栄養にならないらしいですのに、見事な食べっぷりですね。」
にこにこしながら話しかけると、悠理はもぐもぐとひとしきり咀嚼して口の中身を飲み込むと、口を開いた。
「食ってもあんまし腹の足しになんないからいっぱい食わなきゃならねえんだろが。」
「それはそうですね。」
「ていうか美童から聞いたのか?」
「ええ。あなたたちが色んなことを気さくに話してくれるので驚いてますよ。」
悠理は「そうだっけ?」とでも言うようにちらりと視線を動かすと、ふたたび無邪気な顔でステーキにとりかかった。
それは先ほどのことだった。森の中で夜明かしをするようになってひと月近く。
清四郎はかすかに土を踏みしめる足音に振り返った。
そこに立っていたのは彼が待ち焦がれていた少女。金色の瞳が夜闇に溶け込むことなく彼を見つめている。
「あたいが送ってってやるから都に帰れ。職場放棄してるんじゃねえよ。」
しまいにゃ凍死するぞ、このバカ。と彼女は口の中で悪態をついた。
「それで?あなたは都で獲物を探すんですか?」
「そりゃあ、あたいたちだって生きるために必要なもんだからな。」
途中で愚かな賊どもがやってきたおかげで、今夜まで新たな獲物を探す必要はなかったのだった。
「それじゃあ、一緒に帰りましょう。ただし、あなたが僕以外の人間を襲うことは断固として阻止させてもらいますよ。」
「はん。止められるもんならやってみな。」
にやり、と彼女が笑むから、彼も不敵な笑みを返した。
ステーキハウスの他の客たちは悠理のすさまじい食べっぷりに最初は気味悪そうな顔をしていたが、あまりに彼女がにこにこと無心にかぶりついているものだから、しまいには面白がって話しかけてきた。
「よお、すごい食べっぷりだな、坊や。」
「坊やじゃねえよ!こら、笑ってんじゃねえ!清四郎!」
彼女が女性だと知ると男たちは驚いて頭を下げた。その悪気のない陽気な男たちに、清四郎も悠理も好感を覚えた。
それらの男たちと一緒に二人は酒場へ行き、酒を酌み交わしながら談笑した。
悠理は実に様々な国を回ってきていた。
冬になると夜が明けず、雪に閉ざされてしまう国のこと。
逆に冬になっても雪など降らぬ、太陽の熱を一心に浴びたオレンジが美味しい国のこと。
そんな話を男たちは楽しがり、そしてこの国のことを話した。
昼なお暗い森に囲まれた国。けれど森が開けた場所は豊かな大地が広がり、小麦畑が穂を揺らす。牛たちは豊かな乳を恵んでくれる。
悠理があんまり目をキラキラさせてその話を聞いてやるものだから、男たちは家族のことや、都で評判の美姫のことなど延々と喋り続けた。
清四郎も彼女と一緒になってそれを静かに聞いていた。貴族として育った彼は警備隊で隊員たちと会話するようになるまではあまり庶民と接する機会はなかったから。
「いやあ、あんたもお貴族様だってのに酔狂だね、隊長さん。」
と清四郎に話しかけてきたのは、酒場のおかみだった。
「面白いですよ。前から魅録みたいに僕もこういうところで皆のことを知りたいと思ってたんです。」
「ならその気取ったしゃべりかたをなんとかしろよ、坊ちゃん。」
酔っ払いの一人が彼の揚げ足を取る。
「そうだよな、桜頭のミロクさんは全く気取ってないしな。」
「そういやあちらさんもお貴族さまだったっけ?」
ぜんっぜん見えねえよなあ、と男たちは笑いあった。
「へえ、今度あいつとも飲みたいな。」
と悠理が目をくるくるさせて清四郎を見上げる。
「彼の信仰心は篤いんでしょ?大丈夫なんですか?」
清四郎は彼女にだけ聞こえるように耳元で囁いて笑んだ。
「う、確かにやばいかも。」
「すいませんね、彼に十字架を渡したのは僕ですよ。」
と言いながら清四郎はくすくすと吹きだした。
「なあに二人で内緒話してんだい!いやらしいな、隊長さん。」
「まあなんだ、俺らお邪魔虫だったって奴?」
「ちげえねえ!」
男たちはどっと湧いて、二人が店を出て行くのを見送ってくれた。
「これでもね、自分でも調べたんですよ。」
街外れ。館へと帰ろうとする悠理を都の出口まで送りましょう、と清四郎はついてきていた。
今のところ彼女は誰のことも襲ってはいない。逃げる素振りも見せていない。
ぽつりと言った清四郎のほうを悠理は見る。
「調べたって?」
「この国に残る吸血鬼の記録ですよ。」
「なんか残ってた?」
悠理はじっと彼を見つめる。清四郎も目を逸らさずに彼女をじっと見る。二人は路傍の石に並んで腰を下ろした。
「200年前の、森の中の村の出来事が。」
森の中。小さな貴族の別宅である館。近くには使用人やその親族が住む村があった。
その館で吸血鬼に連れ去られた娘が出たというのである。
村の住人も何人もが血を吸われたという。
館の主である貴族は跡取り娘を失って急速に没落していった。今はその館の場所もようとして知れない。
「王城に残る貴族年鑑を調べて娘の名前もわかりました。“野梨子”という名前だったそうで。」
もっとも公式記録に近い年鑑では彼女は病死したことにされていたが。魔物に連れ去られたということでは世間体が悪かったのだろう。
真正面を向いてしまった悠理の横顔は無表情のままだ。酒場での無邪気な顔が嘘のようだった。
清四郎は続ける。
「僕とも血の繋がりがあるようですよ。彼女の2代前に当主の妹が、僕の先祖に嫁いでいました。」
その言葉に悠理が弾かれたように顔を上げて清四郎をまじまじと見つめた。
「お前が・・・野梨子と遠縁?」
「おや、彼女をさらった吸血鬼に心当たりがおありで?」
眉を上げて彼は追及する。悠理ははっとすると、赤らめた顔をそらした。
「彼女は駆け落ちしたんだよ。」
「あなたと?」
言われて悠理は一瞬絶句する。そして、
「美童、あのおしゃべり!」
と吐き出すように言った。
「彼は“悠理には恋人がいる”としか言いませんでしたよ。それに彼は僕に諦めさせたかったんでしょう?」
ならそう言うのが当たり前だ。相手が女性だとは言わぬまでも。
「僕の気持ちはあなたも美童もお見通しのようですし。」
「そりゃあな。」
悠理は耳まで赤くしている。慣れていると美童は言っていたが、実際は違うようだった。
「で?つまりあなたは女性しか愛せない人だから僕なんか歯牙にもかけられないってことですか?」
何気ないように発された言葉だったけれど、清四郎の声は深いところの感情が滲み出していた。
悠理は数秒目を閉じると、静かに答えた。
「違うよ。お前が野梨子じゃないから。あたいには男だとか女だとか関係ない。ただ、野梨子だけを愛してる。それだけなんだ。」
二人の間に沈黙が流れた。
少しすると悠理が立ち上がった。
「帰る。今夜は楽しかったよ。」
そう言って彼に微笑みかけた。
「血は・・・?」
「今夜はいらない。」
「でも肉だけじゃ足りないんでしょう?」
悠理は清四郎から数歩離れたところで立ち止まった。
「だから、また明日・・・な。」
そう言ってから暗がりの中の穴へと彼女は身を躍らせた。
「待ってますよ。悠理。」
清四郎は彼女が消えた暗がりをじっと見つめていた。
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