2015/02/18 (Wed) 00:37
「白夜を、見たいですわ。」
そう言ったのは私。
いつの間にか二人きりの時間を過ごすことが多くなっていた美童と、初めて一緒に過ごす夏に。
美童はちょっと困ったように首をかしげた。
「ごめん、野梨子。もう今年のスウェーデンの白夜シーズン終わっちゃう。」
「あら、まあ、私ったら。」
ちょっと頬を赤らめて私は苦笑した。暦はそろそろ7月も半ば。
スウェーデンの北方、ラップランドのあたりでも白夜シーズンは5月末から7月半ばなのだそうだ。
「それともアラスカに行く?そしたら8月まで白夜だってさ。」
「・・・そういう意味じゃないっておわかりでしょう?」
私がすねたように言うと、美童は花が綻ぶように笑んだ。
あれから1年が経ち、私はまた彼と二人で夏を過ごす。
今年は大学を少しの間だけ休んで、白夜シーズンにこの地へ来ていた。
「悠理の花嫁姿、綺麗だったね。」
見ると、美童がうっとりと優しげな瞳で窓の外を見ていた。
「ですわね。」
私が言うと、美童はこちらを振り向いた。
「清四郎はちゃんとずっと悠理だけを見てた。悠理もわかったんだろうね。すごく幸せそうだった。」
わかったからこそ、悠理は苦しんでいるのだろうけれど、と私は思う。
「悠理が苦しむのは可哀想なことですけれど、清四郎にはこれ以上はない罰になったってことですわね。」
「そうだね。」
美童はそれだけ言うと、また窓の外を見た。
「もう、美童ったら。こちらも見てくださいな。」
「いいの?こんなに明るいのに?」
にやりとした笑みを浮かべて美童はシーツの上、自分のすぐ傍らに寝そべる私を見下ろしてきた。
裸の肩がシーツから出ているけれど、私は隠そうとは思わなかった。
時計が指すのは午前3時。
外はまるで真昼のように明るかった。
「あなたも、私だけを見てくださいね。」
じいっと彼の碧い瞳を覗き込みながら言うと、彼はその目を眩しそうに細めた。
「僕にはもう、野梨子だけだよ。」
野梨子は誰よりも特別。そう言いながら降ってくるくすぐったい唇を受け止めながら、私は昨年のことを思い出していた。
美童にとって私は特別。それは知っている。知らなければこんなところまでついてこない。
スウェーデン北方、ラップランドのキルナという町にあるアクアヴィット家の別荘に二人できていた。
北極圏に位置するこの町の郊外には世界中から観光客が集まるアイスホテルがあるという。
「冬にはオーロラだって見られるんだよ。」
避暑のための別荘というだけあって、日本ではうだるように暑いはずのこの時期でも薄手の長袖のシャツで十分に過ごせるほどに涼しかった。もちろん半袖で過ごす人が地元では多いようだけれど。
すでに白夜シーズンは終わっていたけれど、日本と比べるとまだ格段に日は長かった。これが秋分にはまた昼夜が等分になり、冬至の前後には夜が明けなくなる。
美童は震える手で私を抱きしめた。
「本当に、いいんだね?」
「ええ。」
プレイボーイの彼が、私にキス一つするだけで唇が震えているのがおかしかった。
そしてそのことに私の胸も震えた。
だから、彼と一線を越えることを決意したのだ。
そして情事の後の気だるい空気の中パウダールームから戻ると、美童が携帯を眺めていた。
「どなた・・・から?」
もちろん私と付き合い始めてから美童は携帯の番号もメールアドレスも変えて、私たちや家族にしか教えていないはずだった。
けれど、と私は胸が締め付けられる感じがした。これから何度もこんな想いを重ねていくのだろう。
美童はそんな私の痛みに気づいたのか、慌てたように言う。
「魅録からだよ。可憐と・・・。」
「可憐と?何かありましたの?」
大学3年生になっていた私たちは、それぞれ倶楽部内で付き合うようになっていた。魅録は可憐と、清四郎は悠理と。そして私は美童と。
美童は一度溜息をついた。そして逡巡の後に、言った。
「別れたって。」
私は、瞠目した。
魅録が誰かと浮気して、可憐と別れた、と。
“俺が馬鹿だった。相手が弱ってるところにつけこんだんだ。”
そこには魅録の浮気相手は書かれていなかった。
でも、わかる。
私にも美童にもわかってしまった。
悠理、だ。
魅録はずっと悠理を見つめていたもの。
そして悠理は、清四郎を愛しすぎて、迷路に入り込んでいた。
私が美童とともにスウェーデンへ行く旨を告げたあの時、清四郎の瞳が懐かしい色を宿し、悠理は瞬間、顔を強張らせた。
あの時から、なんとなく私も美童も予感していたのかもしれない。
中学2年生の夏だった。私は自宅の縁側でついうたた寝をしていた。
───視線?
じっとりと絡みつくような、熱が篭ったような。
不快。
私は眉根を寄せると「ん」と瞼を上げた。
目を開けた先にはお隣の幼馴染が西瓜を持って立っていた。
「風邪を引きますよ。」
そう言って笑んだ彼はもういつもの飄々とした様子に戻っていて、私が夢うつつで感じた視線は気のせいだったのかと思えた。
汗を吸い込んだ浴衣がやけに体に絡み付いて気持ち悪かった、そのせいだったのかと。
中学3年生になり、悠理や可憐と同じクラスになり、倶楽部の皆と仲良くなった。
日々は楽しくも優しく過ぎて行き、私たちは大人になった。
そして美童とともにスウェーデンへ行くことを決意した私に向けられた清四郎の瞳に、私はあの夏の日の真実を知った。
清四郎が、ずっと悠理に向けていた瞳と、同じ。
いや、今は二人の視線は優しくも穏やかな、静かな想いに溢れている。
あのどこか切羽詰ったような焦燥すらも混じった熱い視線は、遠い十代の頃のもの。
青い、想い。
あの夏の日、あの瞬間、清四郎は私に欲情していた。
そして、悠理の顔が凍る。
「本当に、殿方は馬鹿ですわね。」
ぽつり、と私は呟いた。
大学4年の初夏。大きな山を乗り越えた清四郎と悠理は結婚した。
そして私は、秋に美童と結婚する。
本当はお互いが大学を卒業するまで待つつもりだったけれど、グランマニエのおじ様のお仕事が年度をまたぐ頃には忙しくなってしまうものだから、と早めた。花子おばあさまのお体の具合も心配だったし。
魅録と可憐は、友人のまま。
「そうだね、女性は賢く、男は馬鹿なんだ。」
美童が自嘲交じりに頬を歪ませる。
1年前、魅録からのメールを見たときの彼の苦悩を思い出す。
優しい優しい人だから、私たち倶楽部の女性は彼にとって特別だから、可憐や悠理を思いやって苦しんだ。
私は特別。
けれど、可憐や悠理も、トクベツ。
それが友情なのはわかっているけれど、私の胸はきしきしと音を立てた。
子供っぽい独占欲。
きっと生涯私はこの痛みとともに生きていかねばならないのだろう。
私だけを、見てくださいな、と。
暮れぬ白夜のように、私だけを四六時中、見ていてください、と。
優しい人だから、なお一層愛おしい人。
誰にでも優しい人だけど、私だけが特別。
自分の浅ましさに、泣きそうになる。
だけど、もう離れるなんて、できない。
「日本に帰ったら、花火を見に行きましょうね。今年は皆で一緒に。」
「そうだね。」
私のやさしい人。
どうか、私だけを見ていてください。
(2006.7.9)
(サイト公開期日不明)
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