2015/02/18 (Wed) 00:41
あの日の花火は特に綺麗だったと、野梨子が言っていた。
美童と見に行ったそうだ。
おかしなものだ。あの節操なしのプレイボーイが、野梨子にだけは何もできないでいるんだから。
あたしは、風邪を引いてたから行かなかった。
行かなかったことを、ひどく後悔した。
「なんですって?魅録。」
「あの日は、悠理がつかまったから、二人で行った。」
清四郎は女人禁制の武道合宿に行ってしまっていた。それは知っていた。
変だ。さっきから魅録があたしと目を合わせようとしない。
ガンガンと頭の中で鐘が鳴っているようだ。
あたしは出てもいない唾を飲み込んだ。
「・・・それで?何があった・・・」
「悠理と、寝た。」
世界がひっくり返る衝撃のはずだったのに。
その瞬間のあたしの頭に浮かんだのは「どうしよう」という言葉だけ。
そしてただ、魅録の短く刈り込んだ桃色の髪から一本だけ抜け毛が落ちかかって飛び出しているのが気になってしょうがなかった。
そんなの今はどうでもいいことだってわかっているのに。
喫茶店の中の喧騒が遠ざかりもせず、あたしの耳を嫌な感じに撫でていく。
目の前のアイスティーのグラスがかいた汗が、つ、と滑り落ちた。
魅録はそれきり固まってしまっている。やっぱりあたしの方を向いてくれなかった。
「だって、悠理はこないだ清四郎と婚約したばかりじゃない。」
やっとのことで出てきたのはそんな言葉。
本当に言いたいのはこんな言葉じゃないのに。
「野梨子が、さ。この夏はスウェーデンに行くんだと。」
ちぐはぐな会話。だけどあたしたちにだけはその意味がわかった。
「だって清四郎は野梨子に恋してないわ。」
野梨子だって、清四郎と悠理が婚約したのを自分のことのように喜んでいたもの。
「でも、悠理は清四郎の気持ちが見えないって、不安がってたんだ。」
「そこに、つけこんだの?」
「ああ。」
ここで初めて、魅録の顔に表情が浮かんだ。これ以上はないくらいの自嘲。
魅録がずっと悠理を見つめていたのは知っていた。
初めて出会った中学生のときからずっと。
「それで、悠理・・・は?」
「泣いてたよ。清四郎に申し訳ないって。やっぱりあいつのことが好きだってさ。」
そうだろう。悠理は、魅録が悠理を見ていたのよりもずっとずっと前から、清四郎のことを見ていた。
そして正直なあの子のことだから、清四郎に隠し事をするなんて耐えられないのだろう。
嫉ましい位に、素直な悠理。
「だけどオレは、清四郎には黙ってろって言った。あいつを失いたくないなら、一生隠し通せって。」
結局悠理の心があるのは、清四郎なんだから。
そして魅録にとっても清四郎は無二の親友なのだから。
「なに言ってるのよ。悠理がそんな器用な真似できるわけないじゃない。自分から言わなくちゃ、清四郎とダメになっちゃうじゃないの!」
嘘をつけないあの子に嘘をつかせる魅録が信じられなかった。
ふと視線を感じて前を向くと、魅録が驚くほど暖かい目であたしのほうを見ていた。
「自分のことよりも悠理のことを心配するのか?」
苦い笑み。
「そういうところが可憐らしいよな。」
と細めた瞳は、とてもやわらかかった。
「でもあんたは、全然らしくない。」
優しい嘘ならいくらでもつけるはずの魅録。
なぜあたしには嘘をついてくれないの?
清四郎は悠理の嘘に気づかないはずがないわ。
でもあたしはあんたが騙しとおしてくれるなら、きっと気づかない。
なのに、なぜ?
あたしの頬を、温かいものが流れ落ちていった。
化粧が流れてしまう、なんてやっぱりどうでもいいことが頭の隅に浮かぶ。
魅録の頭の飛び出した髪がすごくすごく気になって気になって。
なんでこんな時にあたしは・・・。
「可憐、お前がそういう奴だから、オレはお前には嘘がつけない。」
今までがそうだったから?
恋の別れに慣れているから?
あたしのことは捨てても大丈夫だって言うの?
そんなことを彼に訊きたいのに、喉が詰まって声が出ない。
「お前は強いから。」
「・・・強くなんか・・・ない!」
やっと、声が出た。
ここが人前で、平和な喫茶店で、でもそんなことなんかどうでもよくなった。
「卑怯者!あたしと別れて、悠理と清四郎がダメになるように仕向けて、そうやって悠理を手に入れるつもりなんでしょう?!」
言いたくない。言いたくない。こんな言葉、言いたくない。
だけど止まらない。
止められない。
言えないままに溜め込んでしまえるような可愛い女じゃないのが悔しい。
溜め込んでしまえるほど強い女でも弱い女でもないのが悔しい。
だけど、止まらない。
そこで、すうっと魅録の瞳に力がこもるのがわかった。
「可憐。最後まで話を聞いてくれ。」
静かな口調。
だけどあたしに有無を言わせぬ口調だった。
「オレが悠理に恋をしていたのは事実だ。だけど、お前と付き合うことを選んだのもオレだ。」
「・・・だから?」
ああ、可愛げのない返事。
「可憐。お前が好きだ。もう一度、今度はオレから申し込ませてくれ。」
何を・・・言ってるの?
辻褄が、まるで合わない。
「オレと、付き合ってくれないか?」
今度こそ、あたりは無音になった。
あたしの目には魅録の強い光を宿す瞳しか見えなくなった。
悠理とのことは、もう終わったんだ。
決別の儀式を経て、二人とも前に歩き出したんだ。
オレはお前を見つめて、悠理は清四郎を信じて。
あたしはぐっと唇をかみ締めると、うつむいてテーブルクロスの端を握り締めた。
「時間を、頂戴。」
こんなこと、すぐには理解できない。
納得なんかできない。
「可憐、オレは待つから。今度はお前がオレを選んでくれるまで、待つから。」
魅録の口調は優しくて、どこまでも優しくて、また涙が零れた。
街路樹では相変わらず蝉が鳴いていた。
その声が、シャワーのようにあたしの全身に降りかかった。
そして魅録の頭にしがみついていた抜け毛は、最後まで落ちることなく飛び出したままだった。
あのあと1年ほど経って、悠理と清四郎が一番に結婚した。
清四郎は何か気づいていて、きっと訊ねなかったのだ。
悠理にとってそれが必要な嘘なんだと思ったから、きっと。
独占欲が強くて探究心が強いあの男にしては意外だった。
たぶん何かあったと気づいていて、でも変わらず自分を見つめてくれる悠理を許したのだ。
悠理を、愛してるから。
続けて野梨子が白いドレスを着てスウェーデンへと旅立った。
あたしは───何度か恋をした。魅録以外の人に。
でも今は一人だ。やっぱり長続きしないのは10代の頃と相変わらずだった。
魅録は友人として傍にいてくれる。
だけどその目が、いつも語っていた。
好きだ。好きだ。って。
魅録。あたしに嘘をつけない人。
あたしもあんたには嘘がつけないの。
だからいつか正直に言うわね。
そんなあんたが好きよって。
(2005.7.19)(2006.6.13加筆修正)
(サイト公開期日不明)
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