2015/02/19 (Thu) 00:00
「よお、せっかくのツーリング日和にバイク故障だって?」
またやってきた日曜日、暇だからツーリングに行こうと言う悠理に、魅録はバイクが故障中だから出かけられない、と言った。
「例のCD、俺の部屋にあるから適当に持ってってくれ。」
魅録に貸していた、彼らが共通して好きなアーティストの限定版のアルバムを返してもらいに来ていたのだった。
一昨日の金曜日に貸したものを、今日暇だったら暇つぶしに取りに来いよ、と言われていたのだ。
だから、悠理は魅録の部屋にその人物が来ているなんて思いもしなかった。
ドアを開けた瞬間、そこには黒髪の人物がいた。
「あれ?お前も来てたの?清四郎。」
「魅録に頼んで二人きりにしてもらったんですよ。ちょっと今の状態ではお互いの部屋で二人きりというのは気まずかろうと思いまして。」
清四郎の頬があるかなきか強張っている。
悠理は長い付き合いだからこそ、ちょっと見た目ではわかりにくいが、今の清四郎がかなり緊張していることに気づいた。
「・・・あの時のことなら忘れろっつったろ?」
みるみる悠理の眉間に縦皺がよる。不機嫌に言って踵を返そうとした。
「待ってください。僕らはまだ何も話し合ってない。あなたにどうしても確かめなくてはならないことがあるんです。」
清四郎の声は静かだった。
波一つ立っていない湖の水面のごとく、静謐だった。
だから、悠理はドアノブを掴むことが出来なかった。
「今までなかったことにしてきたんだ。先週のことなら、あれは不意打ちだったから油断してただけだ。誰にも話す気はない。」
「僕が望んでいるのは口止めじゃない。」
彼女の肩がびくりと揺れるのを清四郎は見た。
彼女は拳を握り締めているようだった。
「まさか、お前、魅録に話したのか?」
「ええ。魅録に殴ってもらおうとしたんですけど、彼は僕たち自身の問題だから二人で解決しろと言ったんです。」
そうだ。僕は逃げていた。
お前と二人で向き合うことから逃げていた。
なにが“悠理が望むように”だ。お前が何を望んでいるのか訊きもしないで。
「それとも、魅録に知られたくなかったんですか?彼に恋心でも抱いていましたか?」
「は?」
と悠理が困惑顔で振り向いた。
その顔だけで清四郎は一つの危惧が否定されたことを知る。
「別に魅録だけに知られたくなかったわけじゃない。野梨子にも可憐にも美童にだってそれは一緒。」
「そのようですね。その顔では。」
彼は少し安堵の溜息を漏らした。
その様子を見て悠理は俯いた。
「だから、あの時に言っただろ?お前は大事なダチだからって。」
「悠理・・・」
「お前があたいにあんなことしたって知ったら皆お前を許さないだろ?そんなんなったら、あたい、お前だけじゃなくて倶楽部の皆をなくすことになるじゃないか。」
目に涙を溜める悠理を見て、清四郎ははっとした。
甘えん坊の悠理。仲間想いの悠理。
悠理がもっとも恐れていたのは倶楽部の分裂。
自分自身の傷よりも、大事にしていたのは皆の友情。
「悠理。僕はやっぱり子供ですね。ほら、いつまでも立ってないでそこに座りませんか?」
清四郎が微笑んだので、悠理は呆けたようにすとん、と床に座り込んだ。
「お前がそんなことを思ってたなんて、そんなことを考えていつもどおりにふるまっていたなんて。それなのに僕は、お前に償うことしか考えていなかった。」
「償いなんかいらない!そんな関係、あたいはいらない!」
「でもお前をひどく傷つけたことは事実だ。」
悠理は呆然と清四郎の瞳を見つめた。
彼女の目は、傷一つなく、何も映していないようで、確かにこっちを向いているのに目の前の清四郎の姿すら見えていないようで。
清四郎は彼女の心を必死で探した。
「僕はお前が望むことならなんでもしてやる。僕に消えろというなら消える。触れるなというならもうお前に絶対に触れない。今までどおりに振舞えというならそうする。」
「せいしろ・・・」
「だが一つだけ言わせてくれ。僕は気づいたんだ。お前を愛してる。」
悠理の瞳孔が開くのがわかった。
そして一瞬遅れて、頬が赤くなった。
「な、何を突然・・・」
「もちろんこんな言葉であの行為を正当化するつもりはない。だけどそのとおりなんだと、認めざるを得ないんですよ。」
嫉妬した。
独占したかった。
ただ、お前が欲しかった。
お前の心が欲しかった。
「だから、振ってください。こんな男を許してはいけない。あとはお前が望むように今までどおりに振舞いますから。お前がいつか本当の恋が出来る日までお前を守り続けますから。」
清四郎は一気に言った。
それは彼なりに出した結論だった。
本当は“愛してる”なんて言うつもりはなかった。
言ってはいけなかった。
悠理が迷うから。
悠理が清四郎を許してしまうから。
その言葉を、自らおかした行為が穢してしまうから。
言ってはいけなかった。
でも言わずにいられなかった。
「清四郎、あたいも気づいたことがある。」
一瞬そらしたのちに清四郎に戻した悠理の目は、存外に温かかった。
清四郎は胸が締め付けられるのを感じた。
「なんですか?」
と応えたかったのに、喉がからからに渇いていて、声にならなかった。
「あたいも、お前が好きだった。」
心臓が止まったかと思った。
「お前はいっつも偉そうで、いばりんぼで、意地悪で、今だって独りよがりで。大事なことも一人だけで決めようとする。」
清四郎はそのとおりなので何も言えない。
「でも、気づいた。いつだってお前は優しかった。あたいを見るお前の目は、優しかった。」
いつだってあたいを守ってくれるのは、支えてくれるのはお前だった。
幽霊が出たときも。
試験が迫ったときも。
仲間のピンチでも。
いつもそばにいてくれた。守っていてくれた。
清四郎は真綿で首を絞められて、窒息しそうだった。
早く判決を下して欲しい。
お願いだから僕を許さないでくれ。
その想いが聞こえたかのように悠理は続けた。ちらりとも声は震えていなかった。
「だけど、あたいたちは間違えた。お互いの想いが歪んじまった。」
清四郎に無理やり抱かれた。
悲しかった。ショックだった。
そのとき悠理がまたそっと目を伏せた。その目の色に清四郎は吸い込まれるかと思った。
「あの時のお前の目には剣菱しか映ってなかった。なのに思わず声を挙げそうになる自分が嫌だった。」
愉悦の声など挙げてやるものか。
お前など許してやるものか。
だってお前が見てるのはあたいじゃない。
あたいなんかじゃ、ない。
彼への淡い想いに気づいたとき、彼女はそれを失った。
「自分がこんなに人を憎めるなんて知らなかった。お前を憎みたくなんかないのに、お前への気持ちを認めようとするとお前が憎かった。」
抱かれる前にはそんな感情、知りもしなかった。
彼を愛していると認めたら、体が凍りついた。
まぎれもない怒りだった。
そして愛しているから、そんな感情を清四郎に向けることは辛かった。
本当はただまっすぐ、彼を愛したかった。
「お前の申し訳なさそうな目も嫌だった。その目が、お前はお前自身を一生許さないって言ってた。」
ただまっすぐ一点の曇りもない愛で、彼から愛されたかったのに。
恐怖も、憎悪も、贖罪も、償いも。
そんなもの欲しくなかった。
この想いがそんなものしかもはや生まないのであれば、いっそ捨ててしまいたい。
何も知らなかった頃に戻りたかった。
友情だけでよかった。同士愛だけでよかった。
「あたい自身はお前はただのダチだって自分に言い聞かせてたらさ、別にそこまで気にならなくなったんだぜ?」
髪に触れられても、頭を抱かれても、二人きりになっても、体が近づいても。
だってあたいたちはガキの頃から知ってるダチなんだから。家族と同じかそれ以上に近しい仲間なんだから。
悠理の顔に浮かぶのは昔から清四郎がよく知っている笑み。
子供の頃から変わらない。
太陽のような、天真爛漫な笑み。
清四郎を憧れさせてやまない、笑み。
そして、彼をまっすぐ見据える、無垢な瞳。
「だから、ただのダチに帰ろう。」
お互いの想いをリセットしよう。
こんな物思いは終わりにしよう。
悠理が微笑んで差し出した手を取ることを清四郎はひどくためらった。
だが、彼には別の選択肢は残されていなかった。
きゅっと握り締めた手は、柔らかく、泣けるほど温かかった。
一滴の涙も流さない悠理に、清四郎は従うしかなかった。
「そうか。そうしたか。」
としか魅録は言わなかった。
そしてにかっと笑うと、二人の肩を叩いた。
二人が日常に戻るのを後押しするという、無言の宣言だった。
「結論が出たんだ。」
と悠理は何気なく言った。
放課後の生徒会室。今日も今日とて閑人どもが集っていた。
「は?何の?」
と可憐は首をかしげた。
「今すぐは言えない。だけど、絶対に白状するから。何年かしたら、絶対に言うから。」
「悠理?それって・・・」
と野梨子が訊ねようとしたが、もう悠理は魅録とともにギターをつまびいていた。
そのどことなくすっきりとした笑顔に、可憐と野梨子は、美童と顔を見合わせた。
「ま、悠理がそうしたいってんならそれでいいんじゃないの?」
と美童は肩をすくめた。
清四郎はいつものように新聞を読んでいたし。
魅録は悠理のギターをアンプに繋いで出力を調節してやっていた。
野梨子はふっと溜息をつくと、給湯室へ向かうべく立ち上がった。
「さ、皆さん、今日はどのお茶にします?いい紅茶をいただいたのですけど?」
「じゃあそれにしよう。」
「お菓子は差し入れのシモーヌのケーキがあるわよ。」
「うまそー。」
「悠理、今日は九江のお弟子さんが剣菱邸に来るからおやつは節制するんじゃなかったんですか?」
「ケーキ1個くらい平気だよ。」
「お前が1個で我慢できるのかよ?」
「・・・できないかも。魅録のいじわる。」
笑顔が溢れる。
それは愛しい大事な場所だった。
前はいつまでもこんな時間が続くと錯覚していた。
でもそれは守ろうとしなければ、いつでも簡単に壊れてしまうものだと、彼らは知った。
だからこそこの場所は泣きたくなるほどに愛しいものだった。
いつか悠理と清四郎の二人の間がまた変わる日が来るかはわからない。
なりゆきまかせでよい、とも思う。
そのとき二人の間にある想いが、恋愛感情なのか、友情なのか、贖罪なのか、それはわからない。
だけど、それは紛れもなく、愛という感情なのだと思う。
どんな形であれ、どんな感情であれ、愛の一つのあり方なのだと思う。
だから僕たちは・・・。
(2004.7.22)(2004.9.2加筆修正)
(2004.9.4公開)
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