2015/02/19 (Thu) 00:19
大事な話があるから、と剣菱邸に倶楽部のメンツが呼ばれたのは、週末の夜だった。
白いワンピースの可憐と白シャツに藍色のスカートの野梨子は事情がわからず、二人で顔を見合わせていた。
通された悠理の部屋は、いつものような明るさがない。悠理の顔がお化けでも見たときのように緊張しているのだ。
白いカットソーを着てブルージーンズを穿いた彼女は、6人でその部屋に群れるときの定位置にじっと正座していた。
彼女の隣では、やはり白いシャツを着てグレーのチノパンを穿いた清四郎が正座して、皆をじっと見つめていた。
魅録は青い長袖Tシャツにケミカルウォッシュのブルージーンズを穿いて、すでに脚を崩してあぐらの体勢になってそっぽを向いていた。
淡いピンクのシャツを着てチャコールグレーのズボンを穿いた美童が沈黙を破った。
「あのときのこと、だね?」
その顔は、強張ってこそいないものの、かなり硬いものだった。
「ええ、あなたには察しが付いていたと思いますが・・・」
と言う清四郎の笑みは頬に張り付いたように見える。緊張しているのだ。
「何の話?」
可憐が眉をひそめながら言う。話が見えない。
美童は野梨子も同じく、と言った風情であるのを見て一瞬言いよどんだが、それを言葉にした。
「あの時、悠理をレイプしたのは清四郎。そうだろう?」
美童の青い瞳が清四郎の黒い瞳を見据えた。清四郎は今日は逃げるつもりはなかった。
「ええ、そうです。」
そして彼はゆっくりと向かいに座る友人たちの顔を見渡す。
己の罪から逃げるつもりはない。彼がしたことは悠理が告訴すれば立派に犯罪として裁かれる罪なのだ。刑法にいわく「第百七十七条 暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、二年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。」。時効は7年。まだ時効は成立していない。
だが、たとえ法律上の時効を迎えていたとしても、人の心に時効などないのだ。
可憐と野梨子が驚愕の目を見開いていた。魅録は相変わらずそっぽを向いていたが、横目で女たちの様子を伺っていた。
「悠理、あんた、それ、ホントなの?」
可憐の口から途切れ途切れに言葉が出てくる。さすがに声が掠れている。
「そうだよ。」
悠理の目に迷いはない。覚悟は出来ている、そんな時のはっしとした強い目線だった。
「そうだよって、なんでそれでいま清四郎と付き合ってるの!?何で何もなかった振りをしたの?!」
可憐の目が吊り上がった。顔色が白い。目の色が普段より少し薄く見える。本気で激怒しているときの顔だ、と悠理は思った。
なぜ自分をレイプしたような男と、それまでどおりに親友として付き合えたのか?
そしてなぜそんな男と今は何食わぬ顔で恋人同士となっているのか?
なぜ、自分たちに明かしてくれなかったのか?
「清四郎のことが好きだったからだよ。」
もとより覚悟を決めていれば可憐の迫力に負けるはずもない悠理である。しっかりと可憐から目を離さずに言った。
その真剣な色に可憐は少したじろぐ。
「好きだったなら・・・なんで・・・」
清四郎が悠理のことを愛しているのにはあの頃から気づいていた。愛し合っていたならなぜあんなに悠理が傷つくような形になってしまったのか?なぜ?
可憐の言いたいことが清四郎にはわかった。
「あのときにはまだ二人とも互いの気持ちに気づかないままにぶつかってしまったんです。取り返しのつかない間違いを犯した後で、僕たちは自身の気持ちに気づいたんです。」
──あれは悠理との婚約騒動のときでした。僕は自分でも気づかないうちに疲れていたのだと思います。
そしてやっぱり、自分でも気づかないうちに、悠理を愛していたのだと。
だから、悠理が僕ではない、僕より強い誰かが自分をいつか救い出してくれると言った、その言葉でその相手に嫉妬した。
僕は最低のことをしでかしたんです。悠理を力ずくで僕のものにした。
すべてが済んだ後で悠理は「友達に戻ろう」と言いました。僕は彼女を友人の座から見守ることを決めた。
そうして彼女を見ているうちに気づいたんです。──
「悠理を好きだったって?」
嫉妬していたって?
美童が悲しげな表情を浮かべて言う。
あの頃は僕たちは皆、まだ子供だった。清四郎だって例外じゃなかった。並みの大人よりも大人だと勘違いしていた。
だから、間違えたのだろう。
「そしてあたいはあのことの後で清四郎をどこかで憎んでいた。でも憎みたくなかった。それはどっちも清四郎のことが好きなんだからだって、頭が悪いあたいだけど、気づいたんだ。」
悠理が言う。
あの頃に比べればかなり痛みは和らいだ。けれどあの頃は本当に苦しかった。痛かった。
いつも胸が切り裂かれているような気がした。
「好きだって気づいたときには遅かったから。清四郎に罪の意識を持ってほしくなかった。あたいも清四郎を憎みたくなかった。だからダチに戻ったんだ。」
「でも結局気持ちはごまかしきれないで、今の通りってわけさ。皆も知っての通り。」
魅録があぐらをかいた膝に肘を乗せ、頬杖をついて話を引き取った。
「魅録は知ってましたのね?どうして知りましたの?」
野梨子が訊ねた。
「あの件のとき、清四郎が『殴ってくれ』っつって話してくれた。」
魅録の部屋での対峙。
これまでもこれからも、魅録の人生にあれほど重大な局面が他にあるだろうか?
あるとすれば彼自身の人生の転機に関連したことくらいであろう。それですらこんなに重いだろうか?
「でも魅録は殴らなかったんだ。」
美童や他のメンバーの記憶にある限り、清四郎がそんな風に彼らの知らないところで頬を腫らしてきたことなどなかった。
それとも服で隠れる腹にでもくっきり魅録の拳の痕がついていたのだろうか?
「殴れなかった。だってそれは悠理の役目だろ?」
「魅録一人に殴られて済まそうなんて虫が良すぎると言われましたよ。」
清四郎が苦笑する。都合のいいほうへ逃げようとしていたあの頃の自分に自嘲する。
「あの時に本当はあなたたち皆の制裁を受けるべきだったんだ。」
「内緒にしたのは清四郎のせいじゃない。あたいがそうさせたんだ。」
清四郎が彼の膝の上で握り締めた拳を上から手で包み込みながら、悠理は言い切った。
「あたいが清四郎を失いたくなかったから、元通りに戻って起こった事をなかったことにしようとしたから。清四郎はそれを受け入れてくれただけなんだ。」
好きだから、憎かった。
好きだから、憎みたくなかった。
好きだから、罪の意識を持ってほしくなかった。
好きだから、傍にいたかった。
「それで内緒にして、あんたたち、自分が何やったかわかってるの?」
可憐の瞳に嫌悪にも似た色が浮かんでいた。静かな口調だけに、その怒りが滲み出ているようだった。
「たくさんの人たちを傷つけました。二人とも自分を好いてくれた相手を何人も傷つけて、しまいには九耀くんのような人まで出してしまった。」
悠理と二週間だけ付き合って振られた男、九耀将(くよう・まさる)。
病死したのは不幸な偶然で彼らのせいではないが、彼は生前、悠理に想いを伝えることが出来なくて、その死の後で霊となってさまよってしまった。
それは極端な話かもしれない。だが悠理と清四郎のすれ違いが、他にも何人もの相手に辛い想いを強いてしまった。それは間違いない。
「そして何も話さないことで、あなたたちの友情も踏みにじってしまった。」
清四郎の顔が歪んでいた。
親友を裏切った。親友を傷つけた。そのことが、また許せなかった。
それは、悠理も同罪であった。いつしか二人はその手を無意識に握り合っていた。
「魅録も知ってて黙ってたんだから同罪よね?」
可憐が怒りに震えながら傍らの魅録を睨みつける。
「それに関しちゃ否定はしねえな。」
「違う!魅録にはあたいたちから頼んだんだよ!」
他ならぬ可憐が憎々しげに魅録を睨むのが悠理を焦らせた。
魅録の気持ちを知っているから、可憐にだって魅録が必要だと思うから、だからあたいたちのせいでどうこうなんてなっちゃダメだ。
「でも、清四郎も悠理も、そして魅録も、それでたくさん傷つきましたでしょ?」
と不意に言う野梨子の声は、少し震えていた。だが、芯のあるしっかりとした声だった。
悠理とて以前のように無意識に無邪気に人を傷つけていた頃とは違う。
みんな、人を傷つけることで自分も傷つくような人たちなのだ。だからこそ、倶楽部の仲間なのだ。
「そうだ。俺はともかく、二人は充分に傷ついた。」
と、魅録が優しい目で清四郎と悠理を見つめた。
「僕はこの半年、二人がどれだけお互いを必要としてるか、二人がどれだけ想いあってるかを見てきた。だから何も言わないよ。」
美童の声は落ち着いていた。
あの日、清四郎が悠理を傷つけた犯人だと気づいてから、今までずっと考えてきたことだった。
大学に入ってからも、相変わらず倶楽部の6人でつるんでいるときには事件に巻き込まれることがあった。
この間の冬もそうだった。
いつものように悠理が野生の勘でひらめきを見せ、清四郎がそこから頭脳を働かせて真相を掴んだ。
そしていつものように、6人の連係プレーで敵をぎゃふんと言わせた。
今まで以上に息の合った悠理と清四郎のタッグはその中でも際立っていた。
悠理の暴走を抑えられるのは清四郎しかいないし、考えすぎる清四郎に突破口を与えられるのは悠理しかいなかった。
清四郎に見守られることで悠理は何倍もの力を発揮して事件解決のみならず、スポーツなんかでも活躍することが出来たし。
悠理のピンチとなるとただでさえ化け物じみた清四郎の力がますます強く、頭脳の回転も速くなった。
この二人はそばにいることで高めあえる仲だ。
美童にはそう見えた。
「そうですわね。私も今まで話してくれなかったことは許せませんけれど、何も言いませんわ。」
野梨子も二人をここにいる誰よりも長く見てきたのだ。同じことを感じているのだろう、と美童は思う。
だが、可憐は震えながらそんな美童と野梨子を見据えた。
「あんたたち、なんで許せるのよ・・・あたしは許さないわよ・・・」
唇までわなわなと震わせながら可憐はよろり、と立ち上がった。
そして悠理と清四郎のほうをきっと睨みつけると、
「絶対に許さないんだから!」
と怒鳴った。
そしてくるり、と踵を返すと部屋の外へと走り去った。
「おい、待てよ、可憐!」
と、魅録は可憐が置き去りにした彼女のトートを引っつかむと、そのあとを追っていった。
あとに残された4人は、ただ呆然とそれを見送った。
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