2015/03/04 (Wed) 23:20
すらりとした、女性の眉を思わせる三日月が浮かんでいた。
茶の稽古を終えた野梨子は縁側に立ち、ガラス戸の向こうの空を見上げた。
「まあ、三日月ですのね」
細い三日月はまだ宵の口とも言えるこの時分に、すでに西へ傾いていた。
子供の頃に読んだ絵本を、思い出す。
あるところにおんなのこがいました。
おんなのこはまいにちすがたをかえるおつきさまがすきでした。
そのなかでもいっとうすきだったのは、みかづきでした。
ほそくて、はずかしがりで、すぐにしずんでしまう、みかづき。
かのじょはそんなみかづきが、だいすきだったのです。
あるひ、おんなのこはなかよしのおともだちとけんかをしてしまいました。
そのままかのじょは、もりのなかにとりのこされてしまいます。
だんだんとひがかげり、かのじょがだいすきなみかづきも、きのかげにかくれてしまいました。
「おかあさーん」
おんなのこはうずくまってなきだしてしまいました。
あの場面を読むたびに、野梨子は胸を締め付けられたものだ。
そして、主人公の少女に感情移入しては「怖くありませんのよ」と語りかけていた。
きがつくと、かのじょはもりのなかではなく、みずうみのうえにいました。
「ここ、どこ?」
けれどふしぎと、こわくはありませんでした。
なぜなら、かのじょはだいすきなみかづきのふねにのっていたのです。
そして、ふねのうえにはおんなのこだけではありませんでした。
「ここは、うてなだよ」
そこにいたのはしょうねんでした。おんなのことおなじくらいのとしごろです。
ふときゅうにあたりがあかるくなったのでおんなのこはまわりをみわたしました。
すると、そこらじゅうにしろいはすのはながさいているではありませんか。
よくみると、かのじょたちがのっているふねもみかづきではなくて、しろいはすのはなびらなのでした。
「なぜ?もうふゆなのに」
けれどなんとなくわかっています。ここには、はるもなつもあきもふゆも、はすがさいているのです。
幼い野梨子は、蓮の池の中に立っていた。
同じ蓮の台(うてな)の上に、ともに一人の少年が立っていた。
あの絵本に見入ったあまりに、夢の中で野梨子は少女になっていたのだ。
絵本の少女は、そこで目が覚める。森の中で泣きつかれて眠り込んでいるのを父親に助けられる。
そうして長じた後に彼女は夢の中で出会った少年と祝言を挙げる、というストーリーだった。
野梨子は、思う。
絵本の少女と同じように、きっとあの少年が野梨子の今生の伴侶となるのだろう。
遠い記憶の中の少年の顔を思い浮かべ、野梨子は三日月に微笑みかけた。
(2006.10.30)
(2007.9.20サイト再録)
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