2015/03/23 (Mon) 00:20
ふと歩く道端のペットショップ。
こんなところにこんな店があると気づかせてくれたのは悠理だった。
いつもは幼馴染の少女と他愛のないことをしゃべりながら何となしに通り過ぎてしまう街角。
ある放課後、野梨子宅にみんなで遊びに行こうと歩いていた帰り道、「あれ?新しくペットショップできてるじゃん。」と目を輝かせた彼女。
毎日歩いているのに気づいてもいなかった。
からから、と店先のハムスターが運動具を回して遊んでいる。
くるくるくるとどこまでもどこまでも終わりのないループを走るハムスター。
現実の彼らの日常はこんな風にずっとずっと空回りしながら過ぎて行くと思っていた。
「よお。清四郎。こんな時間に話ってなんだ?」
と、すっかり普段着に着替えた悠理が自分のデスクの椅子の背もたれのほうを向くように座って言った。
その姿も、その瞳も、すっかりいつもの彼女でしかなくて。
「すいませんね。遅くに。」
ソファーに座る清四郎は急に話を始めることができなくて、いつもの口調で謝る。
実際、何から話していいのかわからないのだ。
「放課後あたい、部室に行かなかったけど、なんか変わったことでもあったか?」
悠理はあくまでも無邪気に首をかしげる。
「いえ、特に変わったことは・・・ああ、いや。変わったことがありましたよ。」
清四郎はらしくなく歯切れが悪い。服装はいつものようにトラッドなシャツにVネックのベストにチノパンでかっちりしてはいるのだが・・・。
悠理はいらつく自分に気づいた。
「なんだよ。もったいぶらずに話せよ。」
と少しく怒気を含んだ声で言う。
自分を馬鹿にするような話題にでもなったのだろうか?自分に何か不都合な話にでもなったのだろうか?
それにしてもわざわざ一番仲のよい魅録ではなく、この意地悪な男が報告にくるくらいなのだから尋常な話ではあるまい。
美味しいディナーでよくなっていた機嫌がとたんに悪くなる。
こんな見慣れない清四郎の姿にいらいらする。
「今日は・・・誰かとデートだったんですか?」
清四郎がやっと開いた口から発された言葉に、悠理の頭は一瞬ついていけなかった。
「はあ?デート?」
と目を白黒させる彼女の様子に、清四郎は溜息をつく。ほんのりと頬が染まっていて、これもまたいつもの彼とは様子が違う。
「すいません、今日はおばさんのお客さんとのディナーでしたよね。」
「そ、そうだよ。かあちゃんの幼馴染って言うおばちゃんに着せ替え人形にされてただけだよ。」
悠理は言いながらだんだんと怪訝そうな目つきになってくる。
「なあ、あたいが言ったこと忘れるなんて、今日のお前、変だぞ。」
心配そうに首をかしげてこちらを見る悠理から、清四郎は目を離すことができない。
「忘れてたわけじゃありませんよ。ちょっと疑ってしまっただけです。」
そうやって自分を見つめる清四郎の瞳の色がやっぱり見覚えがあるようでないような、そんなものだったから、悠理も目をそらすことができない。
「なんで?」
「野梨子がね。近頃、悠理が綺麗になったって言い出したから。」
その言葉の意味を認識した途端に頭が真っ白になった。
悠理は思わず頬が赤くなる。「うわ、やばい。」と思ってしまうほどに。
「な、なんだそりゃ?!」
その声もひっくり返っている。
「その言葉の通りですよ。僕もね、思ってたことですし。」
静かな清四郎の口調なのだが、とにかく悠理は舞い上がる。耳まで真っ赤になるのを止めることができなかった。
ぱくぱくと赤面して口を利くこともできない彼女の様子を清四郎はじっと見つめ続けている。
悠理は思わず顔をそらした。
「そしたらね、可憐と美童が、それは悠理が恋をしているからだと言い出しまして。」
がつっ
「あで・・・・~~~~~。」
「ちょ、悠理、大丈夫ですか?」
椅子の硬い背もたれで悠理は額を強打したのだ。
思わず駆け寄ろうとする清四郎を悠理は片手の掌をぴっと立てることで制した。
「いや、大丈夫だから。・・・ったく、あたいがいないからってお前ら好き勝手しゃべってやがったな?」
顔は伏せたままで彼女は抗議する。
そりゃあ、悠理と恋なんてもっともそぐわない組み合わせだとは思う。普段の彼女を知るものならば。
だが・・・
「それは、否定してると思っていいんですか?」
ぴきっと悠理が固まるのがわかった。
ああ、やっぱり彼女は恋をしているのか・・・
沈黙が重い。
悠理が恋をしている。もしかしたらと思っていた。だけど否定したかった。否定して欲しかった。
倶楽部の連中がそれを言い出したとき、とにかく行き場のない焦燥感に襲われた。
他の男への恋で綺麗になる悠理。その相手にどうしようもない嫉妬を感じる。
「相手が問題よね。」
と可憐が言い出してますます不安になる。
「そうだよね。いったい誰なんだろうね?」
こういうことには鋭いはずの美童までもが相手はわからぬと言う。
「悠理が泣くことにならなきゃいいけど。」
何度も恋の涙を流した女の言葉が清四郎の胸をえぐる。
悠理が惚れる相手と聞いて、最初に思い浮かぶ相手は魅録だ。
まさかと思い、彼を見つめる。すると彼は青ざめた顔でこちらを見ていた。
思わず視線に嫉妬が篭っているのに気づかれたのか?と清四郎は慌てて目をそらした。
自分の気持ちに気づかれた?
その上で申し訳ないというふうに同情された?
清四郎はいたたまれなくなり、生徒会室を出た。
悠理が魅録に恋をしている?
清四郎はペットショップの前で一旦足を止めたが、また歩き出した。
魅録が相手なら文句はない。誰よりも信頼できる男なのだから。
だが、本当に彼かどうかもわからない。
そこではた、と思い当たる。
彼女が放課後の生徒会室に顔を出さなかった理由。
まさか他の男と会っている?
まさか、母親がセッティングした見合い?
清四郎は己が過ごしてきた日常がゆっくりと砕け散っていくことに気づいた。
いや。とっくにこの流れはできていたのかもしれない。
清四郎が気づきたくなくて目をそらしていただけで。
僕は、悠理に、恋をしている。
彼女は、誰かに、恋をしている。
悠理は、花が綻ぶように、美しくなった。
「な。今日のお前、変だよ。」
不意に悠理が言い出したので清四郎は我に返った。
相変わらず彼女は背もたれに顔を伏せたままだったけれど、ふわふわの髪の間から見える耳の赤みはもう引いている。
「そうですね。変ですね。」
清四郎はぼんやりと彼女を見つめ続けている。
「皆が言ってたセリフで、決心がついたみたいです。」
「決心?」
やっと悠理が顔を上げた。いつもどおりの、頓狂な顔でこちらを見ている。
「当たって砕けてみようかという決心ですよ。」
「はあ???」
彼女は呑気に疑問符を飛ばしている。呆れるほどいつもどおり。
なぜかそんな様子に少し清四郎の心が軽くなる。
「僕は悠理が好きだ。」
よどみなく、けれどはっきりと、口にした。
悠理は呆気に取られたようにこちらを見ている。
迷惑そうな、気の毒そうな顔をされていないだけましか、と思う。
次の瞬間にそんな顔に変わるのではないかという恐怖を抱きながらではあったが。
「悠理が他の男に恋しているというのなら、こんな風に言われても迷惑かもしれませんけれど、でも知っておいてほしかったんですよ。」
そして願わくば、悠理を綺麗にするのは僕の役割であって欲しかった、という続く言葉を飲み込んだ。
数瞬の間を置いて、悠理の顔が再び真っ赤に染まった。
「いや、だから、えっと・・・え?」
悠理はそのまま清四郎のほうを凝視している。
気の置けない友人だったはずの男が突然これまでの関係をぶち壊す発言をしたのだ。天地がひっくり返るほど彼女は驚いたかもしれない。
「すまない。困らせるだけでしたね。」
清四郎は苦笑して、初めて目をそらした。
これ以上見つめては彼女をますます追い詰めるだけだ。
だけど、この想いを伝えずにいられなかった。
ふと、がしがしと頭を掻き毟るような音がした。悠理が本格的に次の所作に困っているようだ。
清四郎にしてもこの場を立ち去らねばと思いつつも、動けずにいた。
「清四郎。確かにあたいは恋をしてるよ。」
そのセリフに清四郎は心臓が止まりそうになる。弾かれたように彼女のほうを見る。
彼女はゆっくりと椅子から立ち上がるところだった。
「そりゃ、さ。あたいに恋なんて似合わないって自分でも思うし、正直自分が綺麗になってるなんて言われてもぴんと来ないさ。」
「なに言ってるんですか。悠理は綺麗ですよ。」
悠理の顔がこれ以上はないくらいに赤く染まっていく。
「それはともかく!悔しいくらいに気になる奴がいるのは確かだ!」
そのまま悠理が清四郎の座るソファーのほうへと歩み寄ってくる。
「認めたくないよ。皆に気づかれてたのがめちゃめちゃ恥ずかしいよ。」
泣きそうな目をしている。清四郎はその目に射すくめられたように動けないでいる。
「めちゃめちゃ悔しい。」
そう言って彼女は清四郎の頬に触れた。
「でも、あたいも認める。お前が好きだ。」
その瞳の光に、貫かれる。
「ゆう・・・り・・・?」
清四郎が今度は目を見開く番だった。
体を引こうとする彼女の肩を思わず掴んで引き止める。
「夢・・・ですか・・・?」
呆けたように訊ねる彼に、悠理は口を尖らせる。
「殴ってやろうか?」
「ちょっと待て。」
という清四郎の言葉を聞き終わらないうちに悠理の掴まれていないほうの腕が動く。
だがその掌が清四郎の頬に到達する前に、彼の手がそれを受け止めた。
ばしっと音を立てて二人の手がぶつかった。
「どうだ?」
悠理がにやりと笑う。
「痛いというほどでもありませんが・・・一応現実の感触みたいですね。」
清四郎は受け止めたはずみでそのまま悠理の手を握り締めて、それをまじまじと見た。
そしてゆっくりと至近距離にある悠理の顔を見つめる。
ぐい、と手を引くと、そのまま悠理は清四郎の胸の中に飛び込んできた。
互いの背中に腕が回る。
抱きしめる。抱きしめる。
互いの恋を抱きしめる。
ちょっと体を離して見詰め合うと、いつものようににかっと笑いあった。
いつものような悠理のきりりとした笑顔。
いつものような清四郎の自信が満ち溢れたような笑顔。
だけど、いつもとはちょっと違って見える。
それは花のように美しい、彼女の笑顔。
ずっとずっと、この関係は変わらないと思っていた。
いつまでも壊せないと思っていた。
彼女が他の男に恋をするのなら、それを見つめながら傍にいられると思っていた。
だけど、できなかった。
抱きしめたこの愛しい感触を、もはや手放すことなどできない。
愛しい愛しい愛しい、このぬくもりを。
この、花を。
(2004.11.24)
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