2015/02/05 (Thu) 21:53
謝恩会会場は剣菱コンチネンタルホテルの大広間である。
前生徒会役員、つまり有閑倶楽部のメンバーと各クラスの実行委員とで手配し、保護者と教職員を招待した。
そこでの最初の話題は先ほどの卒業式での清四郎による答辞だった。
答辞の間、卒業生は在校生と保護者の方を向いて壇上の清四郎には背を向ける形になっていたので、その姿を窺うことはできなかった。
声だけ聞いていた彼らには、いつものようにそつなく大役をこなす清四郎の様子しかわからなかった。
しかしながら、最後に代表として自分の名前を読むときに彼の声が一瞬つまり、会場がざわめいたのだ。
思わず彼が泣いているのかと驚いて振り返る無作法をした卒業生も一人や二人ではなかった。
もちろん悠理を含めた有閑倶楽部の連中も振り返ったのは言うまでもない。そんな彼らの目に飛び込んできたのは、清四郎の優しいまなざしだった。
あんな柔らかな笑みを浮かべる彼の姿など見たことがないものが大半だった。何事もなかったように堂々と己の名前を読み上げる彼の姿に、女生徒たちはほうっとため息をつき、清四郎に憧れ続けた一部男子生徒たちも息を呑んだのだった。
華やかなパーティードレスに振袖や、タキシードやらスーツなどに身を包んだ卒業生たちはさわさわと最後の噂話に花を咲かせていた。
「あんな菊正宗君の様子は初めて見たよ。」
「そうですよね。やっぱりこの学園には特別愛着がおありなのですわ。」
などと口々にしゃべりあっていた。
しかし、ここでも話題は次には悠理の指輪へと移ったのである。
「まあ、清四郎のあの姿も意外だったけどな。」
「悠理の指輪以上にインパクトがあるものはありませんわよ。」
人波から逃れて会場の隅へとひとまず避難した魅録と野梨子である。黒いタキシードの美童とピンクのロングドレスの可憐は人に囲まれて嬉しい人種なので、まだ会場の真ん中にいる。
清四郎は先ほどの様子はどこへやら、いつものポーカーフェイスで来賓たちの接待にいそしんでいる。
そして悠理は、というとすぐに目に飛び込んでくる。
皆がパーティーということで艶やかな格好をしている中でも、やはり彼女は一際目立つ。今日は彼女にしては地味な格好かもしれないのに、だ。
目が覚めるような鮮やかな青のパンツスーツ。と概略してしまえばそのおとなしさがよくわかる。
しかし彼女らしいところは、上着の襟はそれよりも一段暗い深い青であり、金糸で龍の刺繍が縫い取りしてある。よくみるとスーツの生地もうっすら雲立涌の模様が同系色の糸で織り込まれていた。
左手の薬指を飾る金の指輪が一層その衣装の輝きを増していた。
「その、皆さんから同じことを訊かれてると思いますけど、私も訊いてもよろしいかしら?」
春の祝い事にふさわしく紅色を基調として御所車の柄が入った振袖を纏った小柄な少女がおずおずと言う。
「あいつの指輪の贈り主、か?」
今日は倶楽部の男性陣は揃って黒のタキシードを身につけている。長身ですらりとスタイルのいい男たちはピンク頭の魅録も含め、その古臭さをまるで感じさせない上品な着こなしを見せていた。
「え、ええ。まさか魅録ということはないのでしょ?」
「はあ?なんで俺?」
他の連中ならともかく、野梨子からまで言われるとは思わなかった。まさか可憐まで誤解しているということはないだろうな?
「私、ね。昨日、魅録と可憐が出かけるところを見てましたの。」
だからその時に受け取ったものかと、ふと野梨子は考えたのだった。
「み、見てたのか?」
と魅録の顔が真っ赤に染まる。グラスを持っているのとは逆の手で顔を覆う。
だが一呼吸おいてから再び口を開く。
「バカ。あんとき俺が指輪を受け取ってたら今日、可憐があんなに驚くかよ。」
「そ、そうですわね。私としたことが・・・。」
そうだ。今日は魅録と可憐に進展があったのかどうかを問い詰めるつもりだったのだ。
動転のあまりにあらぬ誤解をしてしまったようだ。
「ごめんなさい、魅録。可憐とのこと、応援してますのよ。」
「わかってるさ。サンキュ。悠理はあとで話してくれるつもりらしいぜ。」
野梨子が魅録のほうを弾かれたように見上げると、彼は片目を閉じて見せた。
「大騒ぎになっとるなー、悠理君は。」
まあ、野生児である彼女のあの姿だ。皆が驚くのも無理はない。
卒業式には仕事の都合で出席できずに息子の最後の晴れ姿を見ることができなかった菊正宗修平氏は、この謝恩会には顔を出していた。
そばにいる妻と視線を交し合う。
「ここではこれ以上騒ぎは大きくしたくないそうですよ。」
「そうだな。わしらも巻き込まれるのはごめんだな。」
と、彼らが意味深な会話を交わしているなどと、会場の誰一人として気づかなかった。
来る人来る人を適当にあしらいながら食事テーブルを漁っていた悠理は、ふと肩を叩かれたので振り向いた。
「時の人ね、ユーリ。」
「ミセス・エール!」
そこで微笑んでいたのは、黒いロングドレスに身を包んだ聖プレジデント学園理事長、レイニア・エールだった。
「水臭いですよ。私にも教えてくれないなんて。」
「あー、いや、あの、ごめんなさい。ミセス・エールにはお世話になりっぱなしだったのに。」
さすがに悠理もしどろもどろに弁解する。理事長と学生という垣根を越えて、年齢差さえも乗り越えて、ミセス・エールは倶楽部の皆のよき友人だったのだ。
「それで?私には教えてくれるんでしょう?」
悪戯っぽく悠理に顔を近づける彼女は、うきうきとはしゃぐ少女たちと大して変わらない表情をしている。
悠理は一瞬天井を見上げて、うーん、と唸ってから、ミセス・エールの耳元に口を寄せた。
「まだ野梨子たちにも内緒なんだ。」
「でも今日は謝恩会ですよ。」
「こんなときだけ恩師の振りするなんてずるいなあ。」
と悠理は苦笑すると、そっと彼女に正解を教えた。
完璧に手で口元が隠れていたので、周囲の好奇心旺盛な者たちにもその声は聞こえなかったし、口の動きを読むことすら出来なかった。
生徒たちと変わらないような若い心を忘れない心優しき理事長は、まあ、と一瞬目を見開いた後で、うんうん、と頷いた。
「言われてみればその通りね。ふふふ。そうだったの。」
「ま、まだ誰にも言わないでよ。」
「わかってますよ、私は口が堅いんだから。」
と、ミセス・エールはにっこりと悠理に微笑みかけた。
「ともかく、あなたたちが4人も聖プレジデントに残ってくれて嬉しいわ。ユーリたちの幸せな顔も見せに来て頂戴ね。」
「うん。ありがとう。ミセス・エール。」
「しかしなあ、あたいは思うんだ。」
「唐突になんですか?悠理。」
謝恩会は終わりを告げた。三々五々帰っていく客を幹事である有閑倶楽部と実行委員のメンバーが見送る。
「じゃあ先に帰るわよ。魅録。」
と、世間一般の母親らしく息子の卒業式と謝恩会に出席した松竹梅千秋は息子に暇を告げている。
「親父は悠理んちでの二次会に一緒するみたいだぜ。」
「あたしはやあよ。悠理ちゃんのアレの件は百合子に後で聞くわ。」
本日の白熱した噂の真相について松竹梅時宗は剣菱万作を問い詰めるのだと張り切っている。
とりあえず自分たちに知らされていないということはうちの息子の仕業じゃないらしい。
結局悠理はこの会場で真相を語ることはなかった(ただ一人、理事長にだけである)。
「これってあたいだけが目立つんじゃん。」
と、悠理は己の左手を右手でぎゅっとつかんだ。むうっと口を尖らせている。
周囲にまだ人がいるので、まっすぐ向いたままで隣の清四郎のほうを見ないで話しかけている。
「はずしますか?」
「今更遅い!」
「そりゃそうだ。」
くすくす笑う清四郎とはとうとう逆のほうを悠理は向いた。
「お前、答辞んときさ。」
悠理が口を開く。
「答辞のとき、なんですか?」
清四郎は客たちにサービススマイルを振りまきながら応える。
「泣きそうだったろ?」
沈黙。
しかし憎らしいくらいに清四郎は表情を変えなかった。
そして口を開く。
「思い出してたんですよ。15年間を。」
悠理と初めて出会った場所だから。
そして仲間たちとの様々な思い出が眠ってる場所だから。
なにより自分がこんなに感傷的になるとは思わなかったから、驚いた。
「じゃあ、今夜は剣菱邸に泊まるのね?」
「朝まで飲むだろうけどね。」
美童は母・真理子の頬にキスをした。可憐と野梨子もそれぞれの家族を見送っている。
いつの間にやら清四郎の両親もいないようだ。
三人は顔を見合わせた。
「じゃあ、あの水臭いお嬢さんに話してもらいましょうかね。」
とにやりと笑む可憐に、野梨子は頷き、美童はくすりと笑った。
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