2015/02/05 (Thu) 23:36
空気がひやり、とよそよそしい。
あたしは頭をすっきりさせたくて、歩いてた。
今回の男はあたしから振ってやった。ちょっと頼りなくて情けない奴だってわかったからさ。
ちょっとタチの悪いチンピラに絡まれてあたしを置いて逃げていこうとした。
ちょうどそこに、喧嘩がご飯の次に大好きという暴れん坊の友人が通りかかったからあたしは難を逃れた。
その場で男に引導を渡して、あたしはその中性的で並の男よりも当てになる女友達と飲み明かした。
歩道を歩くあたしの斜め後ろでバイクのエンジン音が聞こえる。止まったみたいだ。
聞き覚えのある音。この排気音には聞き覚えがある。
でもあたしは振り返らない。気づいてない振りで振り返らない。
「可憐?朝帰りか?」
時計が指すのは午前3時。朝帰りというよりはまだ未明の午前様という時間だと思うけど?
その馴染んだ声に初めて気づいた振りであたしは振り返った。
「あんたこそ、魅録。」
自分の髪が顔にかかる。左手でそれを退けると、夜目に鮮やかなピンク色の頭をした目つきの鋭い男がそこにいた。
メットを脱いで手に持っている。
見慣れた黒い車体の450ccバイク。魅録は750cc以上の大きなバイクに乗りそうなイメージがあったが、日本の狭い道ではあんまり大きいと小回りが利かないんだ、とその排気量のバイクを愛用していた。
もちろんそのくらいとは言っても、いいエンジンを積んだレーシング仕様のもの。更に彼の手で法に引っかかるか引っかからないかというぎりぎりの改造も加えてあった。
だから、その音は独特だ。
青いライダージャケットを着ているが、下は普通にジーンズを穿いている。
その男臭さにあたしは目を奪われる。
「デートだったろ?昨夜。それで朝帰りか?」
そう訊く彼の表情はいつもと変わらないようにしか見えない。うっすらと笑みにも似た口元。
その気持ちはあたしには見えない。いつものこと、と思っているのか?
あたしが処女だなんて気づいてるのは美童くらいよね。
清四郎もわかってるかな。あいつは何でもお見通しに見える。
でも目の前のこの男は絶対にそうは思ってない。
そしてそのことにこの男は関心がない。
あたしに友人として以上の感情なんか持ち得てない。
「振ったわよ。あんな情けない男。悠理のほうがよっぽど男らしいわ。」
あたしがつん、とそっぽを向いてそう言ったら、彼は苦笑した。
「そりゃあなあ。悠理以上に男らしい男なんかそうそういないだろ。」
清四郎という幼馴染を持ったために男の判断基準が高すぎる野梨子の不幸をあたしたちは笑う。
だけどさらに悠理という存在がそれに拍車をかけている。あたしにも、野梨子にも、と魅録は笑った。
悠理に本気で恋している聖プレジデントの女子学生も一人や二人じゃないのだ。
でもね、あんたも、美童も、清四郎も、皆レベル高すぎよ?客観的に見て。
あたしは思うけど口には出さなかった。
口に出す必要がないことだもの。
あんたはそんなことどうでもいいんでしょう?
「で?魅録はこんな時間に何しに行くところだったの?」
それとも誰かと会って帰るところだった?
「急に夜明けが見たくなってさ。そうだ、可憐も一緒に行かねえ?明日は休みだしさ。」
魅録は後部座席をぽん、とグローブをはめたままの手で叩いた。
スカートではなくパンツスタイルをしていたあたしには、それを断る理由はなかった。
「ねえ。他の友達と行くつもりだったんじゃないの?」
おあつらえ向きに魅録のバイクにはサブのメットが積んであったのであたしはそれをかぶっていた。
見覚えのある紫のメット。
以前、このシートに跨っていた悠理がかぶってたのを覚えてる。
「んあ?ああ、失恋した奴がいるってから、そいつを誘おうと思ってた。」
そか。じゃあ悠理じゃないんだね。乗せる予定だったのは。
あの子はまだ恋を知らないから。
そしてあんたもあいつのことを男友達のようにしか思ってないから。
「ねえ、その人、放ってあたしを誘ってよかったの?」
でも魅録はそのあたしの呟きが聞こえなかったのか、
「飛ばすぜ。」
とだけ言って、グリップを回した。
波音だけが響いていた。
シーズンオフの未明の海岸はひどく静かだった。
ちょっと肌寒さを感じたあたしに魅録は自分のジャケットを脱ごうとしたが、あたしはそれを断った。
9月。まだ昼間は時折30度を超すような時節だ。別にそこまで寒くはない。
それに彼のジャケットを羽織る勇気はまだ持ち合わせてない。
波間に太陽が昇らないかと見つめているあたしだったが、魅録の呟きに振り返った。
「有明の月だな。」
真後ろ。西の空には少しだけ傾いた下弦の月が白々しく浮かんでいた。
ぼんやりとそれを見上げたあたしのほうを、いつの間にか彼がじっと見つめていた。
なに?なにを見てるの?
「男に腕枕されてああいうのを見上げてるのが、お前にはぴったりだな。」
馬鹿。本当にあんたって馬鹿。
どうせその言葉は、女友達の分析でしかないんでしょう?
あんた自身の感情なんか、一片もはさまってないんでしょう?
「そうね。それもロマンチックね。」
ふふ、と笑う。
本当に笑うしかない。
こいつにはあたしは女ではない。
女友達であって、女ではない。
あたしはこいつの母親に似すぎているらしい。
だから、女に見えないらしい。
性格はこんなに違うのに。
愛されるのが当たり前の彼女とはこんなにも違うのに。
生まれたときからお嬢様として愛されてきた彼女とはこんなにも違うのに。
あたしは父親を失ったただのちっぽけな女の子にしか過ぎないのに。
だから、あたしは魅録の目ではなく、月を見上げて言った。
「でも。今はあんたとここにいるわ。あんたとあの月を見てるわ。」
あんたがどんな顔をしてるかなんて見れない。
見ることはできない。
そんな勇気はまだ持ち合わせてない。
そしたらがしがしと頭を掻き毟る音が聞こえた。
たぶんこいつは苦笑している。困ったように苦笑している。
だから、あたしは月から目が離せない。
あの月はあんたとしか見たくない、なんて言えない。
あんたがあたしを女と認識してくれるまで、恋の遍歴をやめられない。
早くあたしを見つけてよ。ちっぽけなあたしを見つけてよ。
ただ、あんたに見つけてほしいだけなのよ。
いつか一緒に、夜明けのあの月を─────
(2004.8.25)
(2004.11.8サイト公開)
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