2015/02/06 (Fri) 21:56
「剣菱大納言家の大姫の裳着の式が恙無く執り行われたそうですよ。」
魅録は自分が寝床としている廃寺に、三人目の訪問者を迎えた。
「そっか。ちょうどいま美童と可憐が来てるんだ。お前も上がれよ。」
かすかに微笑んで中へ促す魅録に、清四郎は背後を振り返り、言った。
「彼らもいるのですね。ちょうどよかった。ほら、出ておいで。」
清四郎の視線の先を追って、その小さな藪のほうを見た魅録は、ひょっこりそこから顔を出した人物を見て仰天した。
にっこりとはにかむように微笑む、野梨子だった。
「あんたが野梨子?悠理から話は聞いてたわよ。顔に似合わず気が強くて楽しい奴だって。」
可憐が人懐っこく微笑んだ。
「可憐ですのね。よろしくお願いしますわ。」
花が綻ぶような野梨子の笑みに、ただただ美童は見とれていた。
「鼻の下!伸びてるわよ!美童。」
可憐が釘を刺す。
美童はあわてて顔を引き締めた。
「鼻の下が伸びてるって、この美しい僕に向かってそれはないんじゃないの?可憐。」
「いやあ、どこからどう見ても間抜け面だったぜ?」
魅録がにやりとする。
「ですな。」
清四郎も出された白湯の湯飲みを手に、涼しげに言い放った。(この時代、まだ飲茶の習慣は一般的ではない。後に一般に広がる緑茶伝来は直後の1191年。奈良時代にも伝来していたと言われるが、薬用としても一般には広がっていない。)
「清四郎、夜這いに気をつけなさいよ。この男、油断できないんだから。」
と、可憐が言う。
魅録の頬にぴりり、と緊張が走るのだが、それに気づいたのは清四郎一人だった。
「清四郎がいる屋敷なんか怖くて忍び込めないよお。」
美童が情けない声を挙げる。
野梨子は「ま。」と呆れたように袖を口に当てる。
「清四郎が宿直(とのい)の夜に忍び込むってさ。塗籠(ぬりごめ:四方を鍵のかかる戸で覆われた部屋。大事なものを置いたり、狙われている人が避難したりする為に使用される)にでも閉じ込めとかなきゃな、清四郎。」
魅録が横目で美童を睨みながら言う。
「ですわね。そうしてくださいな。清四郎。」
野梨子の表情は半ば真剣だ。
「ひどいやひどいや。初対面でそこまで言う?野梨子。」
美童は半べそをかいている。
それで残りの四人は顔を見合わせて、次の瞬間には吹きだした。
「あんたがそれだけスケベっぽいのよ。」
可憐が腹を抱えて笑う。
これが当代随一の人気の白拍子の姿とはとても信じがたい。
「私も初対面という気がしませんわ。」
笑いすぎて零れた涙を拭いながら野梨子が言う。
そうだ。皆、悠理を通してすでに出会っていたのだ。
「清四郎。野梨子を連れてきてくれてありがとう。」
女二人で衣装のことや香のことで話が盛り上がり始めたところで、美童がそっと清四郎に言った。
魅録は何も言わずに小刀で竹を削っている。こんなときにも内職の細工物を続けている。時折火にかざして竹を曲げる。
「可憐のあんな無邪気な笑顔、本当に何年かぶりに見たよ。悠理がいなくなって塞いでいたしね。」
優しげな瞳で女たちの方を見る美童に、清四郎は彼の想いを知った。
美童は、可憐が身を売るから、色んな女のところを渡り歩くんだ。
可憐だけを汚さぬように、だけど可憐に当てつけるように。
悠理が言っていた言葉を思い出す。
「野梨子もね、塞いでいたのですよ。話し相手がいなくなったから。」
清四郎はちらり、と魅録の気配をうかがいながら、そう言った。
野梨子が、自分の部屋の妻戸(つまど)の前の縁に置かれた花に気づいたのは翌朝のことだった。
文もなく誰の仕業かはわからなかったが、それから毎朝置かれる花を、彼女は楽しみにするようになった。
二月が経ったある夜。野梨子は、かたん、というかすかな物音に気づいて目を覚ました。
誰だろう?あの花の主?
もしも誰か夜這いに来た男だったらどうしよう、と不安になったが、決心して薄物を羽織った。
そのような不埒ものであれば、清四郎か、この屋敷の優秀な郎党(武装した縁故の手下たち)が気づいて捕まえているはずである。
妻戸をそっと透かしてみる。今夜も月が明るい夜だった。初めて悠理と語らい、青鬼の面をかぶった男がやってきた、あの晩と同じに。
「まあ、魅録じゃありませんの。」
小さな声を上げた野梨子に、縁にいた男はびくりと身を震わせた。
清四郎と同じくらいに大きな体の男が、身を縮こませている。
「あ、悪い。起こしちまったか?」
と彼は手に持っていたものをさっと背後に隠した。
彼の足元には、季節の花がそっと置かれていた。
「お花・・・魅録でしたの?」
野梨子は頬を赤らめた。夜でよかった。魅録には頬が赤いのがわからないから。
「あ、ああ・・・」
とだけ呟いて魅録はぽりぽりと顎を指で掻く。
彼も照れているのだろうか?
その時、彼の後ろで何かがぽとりと落ちた。慌てて拾う魅録だったが、野梨子はそれが何か一瞬だったが目の端に捉えていた。
「結び文・・・?」
信じられない想いだった。
書かれた文を、独特の折りかたで結ぶ。季節の花に添え、それを贈る。
それは恋文の形態。
「いや、その、あの・・・」
あからさまに焦る魅録の様子が見て取れた。
「あなたから、ということでよろしいの?」
少し首をかしげて野梨子は手を差し出した。
その黒い瞳から魅録は目を離せなくなった。
「ああ。俺の、気持ちだ。」
魅録はやっとの想いで、文を彼女の手に乗せた。
「十四の時に、俺は悠理に恋したと思った。だから用心棒になった。」
はしたないって、呆れます?と言いながら、野梨子は魅録を部屋の中へと招き入れていた。
そのまま縁先で話しているわけにも行くまい。清四郎にならともかく、郎党どもに見つかったらコトだ。彼は盗賊なのだから。
「だけどな、あいつが実家に帰っちまって辛いはずなのに、しんどいはずなのに、気づくとあんたの顔ばかり浮かんでいたんだ。」
やんわりと微笑む野梨子。
その笑顔を、守りたいと思った。
悠理を失って寂しがる彼女を、慰めたいと思った。
「魅録は実家に帰って、悠理に妻訪いとしようとは思いませんの?清四郎ったら身分違いだと諦めてますのよ。」
検非違使別当。律令によれば、正三位(しょうさんみ)相当の官職。いっぱしの公卿(三位以上の上流貴族)である。魅録は望めば大納言家の姫を妻にすることも可能であるといえた。
「最初はそれも考えたさ。でもあいつを妻訪いするために実家に帰るなんて決心はつかなかった。」
悠理が待っているのは清四郎。
そして魅録はどうしても貴族には戻りたくなかった。
「もし、俺が実家に帰ることがあるとすれば・・・」
ちらりと魅録は視線を野梨子に向ける。
彼女は静かに聞いてくれている。胸中何を思っているのかわからぬ、曖昧な笑みを浮かべて。
「あんたを妻として迎えるためだ。」
赤面しながらもはっきりと彼女の目を見て、言ってのけた。
それを言えた自分を自分で褒めてやりながら。
野梨子はしばし微笑んでいた。その目が、ゆらゆらと揺れている。
「でも、そうしてあなたに妻訪いをされても、私はお断りするしかありませんわ。」
少し顔を俯かせて彼女は言った。
「なぜ・・・?」
という魅録の声は喉に貼り付いていた。
「私みたいに実家の後ろ盾のない娘を妻になどしてもあなたに益はありませんもの。夫の身支度を整える。それが女の誇りですもの。」
この時代、男が女を訪ねて婿に入る、通い婚が一般的である。なので家の地位は男に引き継がれていき、家の財産は女に引き継がれていく。
男は妻の財力で身支度を整えられ、父から引き継いだ血筋と合わせて地位を得ていく。
もちろん、零落した家の娘を妻として引き取って結婚する形も例外としてないわけではない。『源氏物語』の若紫などは実家と絶縁状態で源氏に引き取られている。
そのような妻は日陰者としての扱いを余儀なくされたりもするのが悲しいかな、この時代であった。
(財産も男が引き継ぐようになり、女を家に迎える結婚形態が定着するのは鎌倉・室町など武士の時代になってから。)
「野梨子・・・」
女としての誇り。
もちろん、魅録は彼女がそのような引け目を感じぬように愛する覚悟は出来ていた。
だが、人の世のしがらみはどうしようもなく絡みつく。
このなよやかな女をそのような修羅の世界に連れて行くのも確かに気が引ける。
「だから、ねえ、魅録。私を辻盗り(つじとり)してくださいな。」
彼女が急にあっけらかんと顔を上げて言うものだから、魅録はしばし固まった。
「辻盗り!?」
これは逆に庶民の結婚形態であった。
男が道端で気に入った女を強引に自分の家に連れ去り、無理やり自分の妻としてしまうことである。(これも庶民の間では中世(戦国時代ごろ)まで一般的な風習だった。)
魅録はあまりのことに絶句する。
「だって、あなたは盗賊なのでしょう?」
にっこりと野梨子は微笑んだ。
ずっと魅録を想っていた。
悠理が去って寂しい彼女を慰めたのは彼の存在だった。
そして、誰からのものかわからぬ花だった。
やっと今宵、その花に文が添えられた。
ただ、嬉しかった。
悠理の代わりとしてでもいいと思っていた。だけど、そうではないと彼は言う。
「いいとこのお嬢さんが、野の暮らしをするのか?」
魅録はおろおろとしている。
「ええ。だってあなただって十四まで公卿様のご子息だったのでしょう?悠理だって野の暮らしをしてましたわ。」
野梨子はすでに決意を固めたかのようにどっしりと構えている。
魅録は「参ったな・・・」と呟くと手で顔を覆った。しばらくそうして考えていたかと思うと、がばっと顔を上げた。
「よし!決めた!次の朔の晩に迎えに来る!あんた一人くらいなら竹細工で養ってやるさ!」
魅録は膝の上に行儀よく重ねられていた野梨子の手を握ると、そう告げた。
彼女はその手をぎゅっと握り返した。
「ええ。ええ。待ってますわ。魅録。」
涙ぐみながら顔をほころばせる彼女の頬を、そっと握っていた手をはずして撫でる。
「本当に、いいんだな?家族を捨てて、この京を出ることになっても。」
魅録は確認する。すべてを捨てさせることにためらわずにいられない。
「あなたとなら、地獄に落ちても構いませんわ。」
しっかりと言う野梨子に、魅録は覚悟を決めた。
「俺も、あんたのためなら、何だってしてやれるよ。」
そっと、唇を触れ合わせた。
夜明け前。門の外で魅録を待っている者があった。
「無粋だな。聞いてたのか?」
魅録は口を尖らせた。
「あなたたちの声が大きいのです。父上と母上が気づかぬかひやひやしましたよ。」
あくまでも無表情で狩衣姿の清四郎は言う。
魅録はふいっと顔を背けた。別に口を吸っただけなのだから、お前と同じだろうが、と思いながら。
「それで?行くあてはあるんですか?」
冷静に言う清四郎に、魅録も口を開く。
「松竹梅の縁の荘園が武蔵の国にある。親父よりも俺と仲がよかった奴が管理してるから適当な空き家を手配してくれるだろうさ。」
親の伝手を密かながら借りることにはなるが、それくらいは我慢せねばなるまい。
落ち着いて彼女と暮らせる場所。そこが一番適当に思われた。
「朔の晩。両親には寺にでも詣でてもらいましょう。」
と、清四郎は微笑んだ。
「協力してくれるってのか?」
「その代わり、条件があります。」
ぴん、と空気が張り詰める。魅録はごくり、と喉を鳴らした。
「野梨子を幸せにすること。これが絶対唯一の条件です。」
二人の男は沈まんとする月に照らされて向き合っていた。朝日が、昇りかけていた。
「約束するよ。それだけは自信があるんだ。」
魅録は、にやり、と微笑んだ。
PR
Comment
カテゴリー
最新記事
(08/22)
(08/22)
(03/23)
(03/23)
(03/23)
メールフォーム