2015/02/17 (Tue) 23:36
はずした手袋がぽとりと落ちる。
「え?」
問い返した声が掠れていた。闇の中から、いつもは優しい従兄の青い瞳が冷たく見据えてくる。
「野梨子にはお前しかいないのに、お前が恋なんかするから。」
恋?違う。あいつへの気持ちは恋なんかじゃ、ない。
思いながらも、浮かぶのはあの男の面影。
唇をかみ締めてきびすを返したら、肩を掴まれた。
「待てよ。もう夜が明ける。消滅する気か?」
「だって探してやらなくちゃ。あいつが消滅してしまう!」
従兄の腕を振り払い、彼女は叫ぶ。
己が守るべき少女。己のために闇に落ちた少女を、守らねばならない。
「ここは野梨子が生まれ育った森だ!この館にだって僕らが知らない秘密の部屋なんかいくらでもある!」
今度は強く二の腕を掴まれ、彼女は痛みに頬をゆがめた。
痛むのは、腕じゃなくて・・・。
「なんでお前はそんなに冷静なんだ・・・。」
咎めるように言うのが精一杯。
「冷静?僕が?」
その聞いたこともないような声音にぞくり、として、彼女は弾かれたように彼のほうへ振り返った。
彼の白磁の頬はかすかに青ざめ、唇の端が切れている。頬や首筋のところどころにある擦り傷は、恐らく館の周囲の森の中を茂みまでかきわけてついたものだろう。
いつもいつも綺麗に綺麗にブラシがかけられている伊達男のマントも埃にまみれたままだ。
「ごめん、美童。」
俯いた彼女の頭を彼はぽんと一つ撫でてくれた。
「野梨子が戻ってきたときに悠理が消滅してしまっていたら、今度こそあいつも破滅の道を選ぶだろう。それはわかるね?」
こくり、と悠理が頷く。
「野梨子は飢えている。その危険も、わかってるね。」
もう一度頷き、そのままうなだれる。
「日が暮れたら、すぐに出るぞ。」
「うん。うん。ごめん、美童。」
金色の髪で閉じ込めるように、彼は奔放な従妹をふわりと抱きしめた。彼自身、そうしなければここから駆け出してしまいそうだったから。
昼近くになって、警備隊副隊長は館を出た。
昨夜は非番だったこともあり、久しぶりに王都にある実家の持ち家に戻っていた。領地の本宅とは別に、王都滞在中に使用する館である。
寝不足の目に陽光が眩しかった。だが、確かめなければならない。
深夜の訪問者は、彼のつれない婚約者どのだった。いつもは丁寧にセットされている髪を振り乱し息を切らせて駆けつけてきた様子に、彼は心臓が跳ねた。
「どうした!?何があった!」
「魅録!清四郎が!清四郎が!」
彼らの幼馴染である親友が彼女と何か事件にでも遭遇したのかと、すばやく考える。
「落ち着け、可憐。清四郎がどうした?どこにいるんだ?」
「悠理、悠理、が・・・。清四郎!」
興奮しきっている彼女の話はまるで要領を得なかった。しまいには胸を押さえてひきつけでも起こしかねない勢いである。
「ちっ。」
女性の前で無作法だとわかってはいるが、非常時だ。魅録は小さく舌打ちすると、可憐をぐいと抱き寄せ、彼女の後頭部に手を滑り込ませた。
そして髪を掴み強引に顔を上向かせ、唇を重ねた。
暴れようとする動きを完全に封じ、彼女の唇を覆うように唇を蠢かせる。
吐息を奪われた彼女がほんの少し開いた唇の隙間から、荒々しく侵入する。
彼女の怯えたような舌を絡めとり、唾液を吸う。
次第に彼女の体の力が抜け、小さく彼に口付けを返した。
魅録はそれに気づくと、彼女の哀れな唇を解放した。
「落ち着いたな、可憐。」
じいっと彼女の瞳を覗き込む。やや熱で潤んではいたが、彼が知る冷たささえ感じさせる理性的なものに戻っていた。
「ごめん、取り乱しちゃって。」
少し頬を赤らめて俯く彼女ははにかんでいるようにも見えて、何度か触れるだけの他愛ないキスを交わした幼い日の彼女のようで。
「それで、清四郎に何があった。」
と、魅録はゆっくり問うた
可憐は自分が見たままのことを話した。
悠理と仲良くなったこと。
清四郎が驚くほど優しい瞳で悠理を見ていたこと。
そして、野梨子という少女。
魅録は夜目にも浮かび上がって見える桜色の頭をふるふると振った。
「つまり、あの悠理と、黒髪の野梨子って女が吸血鬼だ、と。」
言われてみれば悠理は、件の吸血鬼の男の目撃談と印象が似ている。すべてを見てきたかのような金色の瞳、透けるように白い肌。金茶色の髪は伸ばせばさらさらと異性を魅惑する音を立てるのだろう。
チンピラ相手に暴れていたたった一度の遭遇のとき、悠理は魅録と一定以上の距離をとって決して触れようとはしなかった。
魅録は服の下に提げてある十字架のあるあたりを思わず指で探る。
ちゃり、と音をさせてそれを取り出すと、可憐の首にかけてやる。
「とりあえず清四郎の無事を確かめてくる。」
あれから何度か清四郎が悠理と出歩いているという噂は聞いていた。そしてあの吸血鬼に襲われたおかみ。彼女は吸血鬼にはならなかった。
一応無事だとは思うが、奴の無事を確かめなくてはならない。
「待って、魅録。」
呼び止められ振り返ると、可憐の華奢な腕が前から魅録の首へと回された。
「これはあんたが持ってなくちゃ、ダメ。」
たった今、彼女に渡したばかりのクルス。また彼の首へと戻ってきた。
「あたしはここで待ってるから。だから絶対に帰ってきて。」
少し目を見開いて彼女の瞳を覗き込む。
先ほどとは違うしっかりとした光が彼を見つめ返していた。
「こんなに美人のフィアンセをいかず後家にするんじゃないわよ。」
にっと笑いかけられるから、彼もふ、と笑みを返す。
素早く彼女の唇を奪うと、隊服の上着とマントを手に取った。
清四郎も今夜は都の館に戻っていた。
顔見知りの門番に聞いたところでは戻った彼の様子に特に変わりはなかったという。
それだけ確かめて館に戻ると、可憐を準備させておいた部屋で休ませた。
「明日、清四郎に訊いてみるさ。」
ドアを開けて彼女を促しながら言うと、可憐はほんの少し青ざめた顔で頷いた。
それからふと、思い出したように言った。
「それにしてもあんた、意外と遊んでるでしょ。すごいキスだったわ。」
片目をつぶりながら告げられた言葉に、魅録は自身の髪の色以上に顔を赤くした。
「ば、馬鹿!忘れろ!」
と、彼女との間を隔てるドアを閉めた。
そしてそのままドアに額を当てて溜息をつく彼は、ドアの向こうで彼女が寂しげに笑んだことなど知る由もなかった。
それがほとんど夜明けのこと。
それから魅録は仮眠を取り、昼までに身支度を整える。可憐はまだ夢の中だ。
まず警備隊本部に行って、清四郎が先日提出した悠理の身元についての書類を確認しなければ。
声が聞こえる。懐かしい声。
旅から旅を続ける一族。長老と呼ばれる爺さんは、もう何千年も生きているという話だった。
ほとんど朽ちたような枯れ木のような体をいつも揺り椅子にもたせ掛けていた。
森に住まう鹿から分けてもらった生気を悠理は長老のもとへと届けに行く。
「あたい、美童と結婚なんてやだよ。あんな軟弱な奴。」
「しかしのお、お前さんと年回りの合うのは奴しかおらんのじゃよ。」
100年年長の従兄はすでに人間で言う10代後半の少年の姿をしている。対して50年ばかりを生きただけの悠理はまだ幼い姿のまま。
吸血鬼一族は人に追われ、闇から闇へと追いやられ、今では子供の姿はほとんど見かけなかった。
「いいさ。いつかこいつって人間を見つけて結婚してやる。」
「それはいけないよ、悠理。」
一族の掟は悠理も知っている。長い長い命の間に伴侶をなくし、ついには人間を伴侶にして一族を追放される者も見たことがあった。
「なんでダメなんだよ、じっちゃん。」
唇を尖らせる悠理に、長老は皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにして目を細めた。
遠くを見るような瞳に、悠理も静かに耳を傾ける。
「我々の血と、人間の血は、相容れないからだよ。」
たとえ姿は似通っていても。同じように心があっても。
人を闇に堕とすこと。最愛のものを堕とすこと。
しかしその罪よりも、もっと現実的な問題がそこにはあるから。
「ことは我々の存亡に関わるのだよ。」
だから、人間を仲間にしてはいけない。人間を伴侶にしてはいけない。
生まれつきの吸血鬼であるものを伴侶とし、子を成せ。
それが、一族の掟。
今日は悠理が来ない。やはり昨夜血を吸って満足したから?
でも悠理のぶんはステーキを食いにくるはずだと踏んだのだが・・・と清四郎は件の森の中の野原を目指すことにした。
さくさくと乾いた土を踏みしめて街道を歩む。
ふと小道に入り込む。
その後を追って黒い影が曲がりこんだ。そしてすぐに立ち止まった。
「今夜はあなたは夜番じゃありませんでしたか?魅録。」
「夜中に枯れた水路から都を抜け出す不審者を追ってきただけさ。」
王都警備隊の歴史に残ると言われる優秀なる隊長と副隊長が、息の合った親友同士である二人が、闇の中で見合っていた。
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