2015/02/17 (Tue) 23:37
長身の男二人が身じろぎもせず対峙したまま、どれほどの時間が経ったのか。
「場所を移しましょう。この先に野原がありますから。」
小さなランプを黒髪の男がかざす。桜色の髪の男は無言で頷くと、その後ろをついていく。
歩きながらぽつりぽつり、と二人は言葉を交わす。
「悠理のこと、ですね?」
「お前さんが出した書類の住所はただの空き地だった。」
町外れ。朽ちた住居の跡だけが残された場所。
「そこで昨夜、お前さんたちの姿を見た者がいる。」
何をしているところを、とは言わない。それだけでわかるはずだから。
「なるほど。あなたの屋敷に、冷淡なはずの婚約者殿が泊まったらしいと噂になっていたのはそういうことなのですね。」
「・・・噂好きな都だ。」
思わず状況を忘れて頬を染める男の姿を見たような気がして、黒髪の男は忍び笑いをもらした。
彼自身もあまりの噂の早さに驚いたことがあるから。
「可憐を驚かせてしまいましたね。すいませんね、魅録。」
「まったくだ。取り乱して大変だったんだぜ、清四郎さんよ。」
昨夜、己が彼女を落ち着かせるためにとった手段を思い出し、魅録はますます顔を染めた。暗闇で誰も見るものもないのが彼にとっては幸いである。
許婚のもととはいえ、未婚の娘が泊まることに世間はいい顔をしない。
いまは領地に戻っている魅録の堅物な父などがこれを知ったら、翌日にでも二人を教会の司祭の前に連れて行くだろう。
「その・・・お前さんは吸血鬼の、悠理の仲間にはなってないんだな?」
魅録は話を戻すべく、切れ切れにそれを訊ねる。
血を飲まれただけでは吸血鬼にはならない。その例は魅録も見ている。何より、血を吸われていたということが彼がまだ人間である証なのではないだろうか?
「なってませんよ。僕が餌になれば都の他の人が襲われることはないでしょう?だから血を吸わせたのですよ。」
清四郎のその返答に、魅録はほっと一つ溜息をついた。
だが続く言葉に、また魅録の顔は強張った。
「でもね、仲間になれるものなら、それを彼女が許してくれるのなら、永遠に傍にいるためにそうしたいんですけどね。」
「おい・・・!」
「ところが困ったことに、そうすると彼女が他の人間から血を吸うのを認めるか、僕が人間を襲うかしなくちゃいけないんですよ。」
彼女が他の男の首筋に口を寄せるなど許しがたい行為だというのに。それに・・・。
「悠理は、僕を仲間にしようなんて、たぶんこれっぽっちも思ってませんしね。」
そう言って振り向いた清四郎の顔は暗がりのせいでよく見えなかった。
だが、魅録にはわかった。たぶん、彼がまだ一度も見たことがない色をそこに浮かべているのだろう。
ざ。
魅録はふと、己のマントに引き止められた。道端の茂みにでもひっかかったか。
「魅録?」
「ああ、わりぃ。マントが引っかかったみたいだ。」
「あと数歩で目的地ですよ。」
「すぐ行く。」
数歩の距離を、清四郎は先に歩み出した。
そして、あの初めて悠理と会った夜に彼女に逃げられた場所に、足を踏み出す。
魅録は、己のマントを引き止めているものの正体に気づいた。
木立に刺さったボウガンの矢───
「おい!待て!清四郎!」
声を出すより先に感じた冷たい殺気。
こんなに至近に凄まじい殺気を放つ者が近づくまでこの二人が気づかぬとは・・・。
「うあっ。」
清四郎の短い呻きが聞こえ、魅録はマントの先を引きちぎって駆け出した。
野原に出て最初に見えたのは、腹を押さえるようにして蹲る黒衣の男。
「出るな!魅録!」
その声と同時に、魅録は右の大腿に焼けるような熱を感じ、その場にしゃがみこんだ。
見ると、先ほどと同じボウガンの矢が、鏃の姿が見えぬほどまで深く刺さっていた。
出血はさほどでもないが、激痛で脚に力が入らなかった。
清四郎は無事か?と再びそちらに目を向けた彼は、愕然とする。
まったく足音も気配すら感じなかったのに、清四郎の目の前まで小柄な人物が迫っていたのだ。
そしてこの場に飽和せんばかりの殺気。
ざわ。
木々や草を揺らして、風が吹き抜けた。
その人物のマントのフードが脱げる。
現れたのは真っ白なかんばせ。
魅録も清四郎も、状況を忘れてその顔に見蕩れた。
青々とした月のように青白んだ頬。暗闇でもなお赤い花のような唇。大きな黒々とした瞳。
闇に溶け込む真っ黒な髪は、ほのかなランプの光と弱しい月光とですら明らかなほどに艶やかである。
落ちてしまったフードで隠れている項も、白くすらりと伸びているのだろう。
「あなたが、野梨子ですか。」
「あなたが、清四郎ですわね?」
男の確認には答えず、彼女は自身の問いを唇に乗せた。どうせ彼の答えなど期待していない。
右手を、己を見上げる清四郎の頬へとすうっと伸ばす。
左手に持っていたボウガンを、とさり、と地面に落とした。
だが男たちは動くことができずにいた。
なぜだろう?最初に悠理に会ったときはその魔力から逃れられたというのに、今は凍りついたように体を動かすことができない。
ただ腹に感じる鈍い痛みが彼を現実にとどめている。そして、目の前の少女が発する殺気が。
「ここから、悠理が、あなたの血を吸いましたのね?」
そっと男の首筋に触れる。
「ここに唇を寄せて、牙を立て。」
指先で首筋をなぞる。
「私、ね。あなたの血など欲しくないと思いましたの。でも、考え直しましたのよ。」
清四郎の前にしゃがみこみ、ゆっくりと首をかしげる。あどけない子供のような仕草。
「悠理があなたなんかに唇を寄せるなど、もう二度とできないようにすればいいんですわ。」
そして、無邪気な笑みを浮かべた。
彼女は一瞬、逡巡したようだった。初対面の、憎い男の首筋に唇を寄せることに嫌悪を感じたのだろう。
だが次の瞬間、清四郎は天地が逆転するほどの浮動感を感じた。
首筋が、熱い。
悠理に噛まれたときとは比べ物にならぬ速さで、激しさで、清四郎は指先から足先から冷たくなるのがわかった。
悠理───。
意識は、すぐに暗転した。
あなたの生気をすべて私に。
そしたら悠理はかすかに残るあなたの気配を求めて生気をねだる。
それを悠理にあげられるのは私だけ。私だけですのよ。
悠理は、私だけのものですわ。
野梨子の心にあるのは、これで悠理を独占できるという昏い喜びだけ。
濃密な血の味に、うっとりと目を細めた。
魅録は、その光景にこれ以上はないほどに目を見開いた。
清四郎の体から急速に力が抜けていくのがはっきりとわかった。
「くっ!」
と、渾身の力を振り絞ると、無事なほうの左足で数メートルの距離を駆け寄った。
そして、懐に手を差し入れた。
「退け!魔物!」
銀の十字架をかざす。
「きゃあ!」
と、黒髪の少女は叫ぶと弾き飛ばされたように、清四郎のそばから離れた。清四郎はくたり、と地面に沈んだ。
「清四郎!」
なおも尻餅をついた形の少女のほうへと十字架をかざしながらも、ぴくりとも動かぬ幼馴染のほうを振り返る。
瞬間、飛んできたものに十字架を持っていかれた。
それは小さな投げナイフだった。
「野梨子から離れろ!」
飛び出してきたのは金髪で長身の男だった。これが噂の吸血鬼か、と魅録はサーベルの束へと手を伸ばし、抜いた。
不自由な脚でどこまで戦えるか。
しかし、その脇から転がるように飛び出してきた人物に、魅録は飛び掛るのをためらった。
「清四郎!」
「悠理、待て!」
金髪の男が止めるのも聞かずに、悠理は清四郎に駆け寄った。
その青ざめた顔を見て、息を呑む。
「やだ!死んじゃイヤだ!」
彼の体は冷たくなりかけていた。息もわずかにしかしていない。時にあえぐように顎が動くだけ。
ボウガンが刺さった腹からの出血もほとんどないほどだった。
悠理は一度唇をかみ締めると、清四郎を抱き上げて首筋に口を寄せた。
「な!」
何を、と魅録がやめさせようとすると、男が声で止めた。
「お前の相手は僕だ。野梨子にも悠理にも触れるな!」
と、男もサーベルを抜いた。魅録は清四郎と悠理のほうへも、野梨子のほうへも近寄れず、そこで剣を構えた。
その間にも、悠理は清四郎に生気を注ぎ込んでいた。
次第に彼に体温が戻ってくる。
彼の首筋に唇を寄せたまま、片手を彼の腹に這わせる。
ぐっと力を籠めて矢を引き抜くと、手からも傷口を癒すべく生気を注ぐ。
とくん、とくん。
確かな鼓動が、還ってきた。
野梨子は身じろぎもせず、そんな二人をまじまじと見つめていた。
いつの間にか頬を温かいものが伝っているのも、気づかぬままに。
「もう、やめて・・・。」
口から零れる言葉を、その場にいる誰も聞き取ってはくれない・・・。
「そこまでだ!」
一人だけ、彼女の呟きを聞いてくれたのだろうか?と、野梨子は美童のほうへと顔を向けた。
彼は魅録との間合いを計りつつも悠理のもとへと近づいており、悠理を清四郎から引き剥がした。
「お前のほうが消滅する気か?!」
険しい顔をする美童のほうを弱弱しく見上げると、悠理は目を閉じ、そのまま美童の腕の中に倒れこんだ。
「悠理!」
野梨子は飛び起きようとして、がくり、と膝を突いた。
清四郎からたっぷり吸ったはずの生気は、先ほど十字架を押し当てられたせいでほとんどを失っていた。
それでも、よろよろと立ち上がる。
「野梨子、自分で動けるね?僕には二人とも担ぐなんて芸当できないからね!」
「動けますわ!美童!」
と、彼女は地面を踏みしめた。
「おい、お前、魅録、だよな。お前が清四郎を都に連れて帰れ。」
サーベルを捨て悠理を肩に担ぐように抱えて、美童は魅録に言った。そしてふ、と同じくサーベルを鞘に収めた彼の前にしゃがみこむと、ぐい、と止める間もなく大腿に刺さった矢を引き抜いた。
「いでええええええ!」
「がたがた言うな!少しだけ癒しといてやるから。」
と、美童が魅録の傷口に手をかざすと、ほんのり温かさを感じたと思ったら、痛みが霧が晴れるように引いていった。
「ほら、これで清四郎を担いでいけるだろ。」
最後に一つぽん、と傷口を叩くと、美童は立ち上がった。
軽口やそのふざけたような行動とは裏腹に、彼の顔には笑みはなかった。
「あ、ありがとよ。」
「例なんかいらないよ。」
と、美童はふい、と顔を背け立ち上がった。
そして目顔だけで野梨子を促すと、悠理とともに森へと消えていった。
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