2015/02/20 (Fri) 00:22
1.悠理
ゆらり、と無数の影が動く。キャンドルの明かりの揺れにあわせて影が動く。
店内の照明はキャンドルの影が天井に映るほどに落とされていたが、暖色系の明かりだった。
どことなく温かい店内は客たちのさざめく声が飽和していた。
「うふふふふ。美味しいな、これ。」
「ちょっと、いくらあんたでも飲みすぎじゃない?悠理」
にこにこ笑って酒を飲む悠理を可憐がたしなめる。
食欲も化け物なみなら、酒量も底なしの友人であるが、今日はいつもと様子が違う気がする。
楽しい酒しか飲まない彼女。今日とて笑ってはいるがその目が笑っていない。
ウオッカを水のように呷っている。
「珍しいな、お前が酒に飲まれるなんて。」
とスツールの後ろに立ってぽんと頭を撫でてくる魅録の方を向かずに悠理は即答する。
「わざとだよ。」
照明のせいか?
今日は全部がセピア色に見える。
可憐のネイルエナメルも、太陽の下ではあんなに愛らしいベビーピンクなのに、妖しく光っている。
魅録の髪の色も美童の金髪と同じに見える。
うつらうつらとする野梨子の肌がやけに白く見える。
「わざと、ですか?」
黒い影がぬっと自分の背後に現れた。魅録の隣に立った清四郎だ。
悠理はそれには応えず、一瞬グラスを握り締めた。
そしてスツールを回してくるりと後ろを振り返ると、グラスを二人に掲げて見せた。
「マジ美味いよな、これ。お前らも飲めよ。」
と口の端を上げた。挑戦的でさえあるその笑顔に、魅録と清四郎は顔を見合わせた。
三歩歩けば大事なこともすぐに忘れる鳥頭だって?
馬鹿にすんなよ。
あたいだってたまには飲んで忘れたいことがあるんだよ。
ほんのたまには、ね。
2.清四郎
カウンター席でがばがばとグラスを空ける悠理が見えるテーブル席に男性陣は腰を下ろした。
野梨子や可憐を狙う男たちの視線だってここからなら丸見えだ。
彼女たちは真ん中に美少年然とした悠理をはさんでいるのでうかつに声をかけようとする者はいないだろうが、目を光らせるにこしたことはない。
「しかしいい店を見つけましたね、美童。」
落ち着いた内装。20席で一杯になる狭い店内。BGMはやや哀愁が漂うスロージャズ。
置いてある酒はどれも名品。良心的な値段に清四郎は思わず唸る。
彼のグラスにはアイリッシュ・ウイスキーが琥珀色の輝きをたたえている。
水差しの水も蒸留所から取り寄せた現地の水なのだろう。
やはり子供の頃から親の趣味でいい酒に浸かって育った魅録もじっくりとバーボンを嗜んでいるようだ。
「お前らなら気に入ると思ったよ。」
美童は片目をつぶって見せた。美童だからこそ様になる仕草だろう。
通好みの店だ。美童の好むデートコースではない。
「しかし清四郎のその顔。学校の奴らに見せてやりたいよ。」
くすり、と美童が肩を揺らした。
「どういう意味ですか?美童。」
少しカチンときて清四郎は彼を軽く睨んだ。
「歳相応の少年みたいな顔してる。魅録みたいだよ。」
わくわくと目を光らせて酒のボトルを眺めるさまは、楽しい遊びを見つけた少年のものだ。
「それだけでお前をこの店に連れてきてよかったと思うよ。」
美童はふわり、と微笑んだ。
魅録も美童が意図したことがわかったようで、頬をほんの少し緩めている。
いつも悟り済ましたような顔をして。
自分でも時々、まだ10代の少年だということを忘れてしまうことさえある。
倶楽部の連中の前では本当は幼いところを露呈してしまうこともあるが、基本的にポーカーフェイスを崩さない。
まるでマスケラを外せないピエロのようだ。
「少年らしいところを出すためにこういう店ですか?」
なんだかとんちんかんだ、と清四郎は口を歪めた。
「ここは大人が少年に返る店なんだよ。」
清四郎にもそういう時間が必要なんだ、と美童は1杯目のラムを空けた。
3.可憐
どことなく違和感は漂うものの、やっぱり悠理は酒もつまみもがばがばと口に運んでいる。
全くこんな店で恥ずかしいったら。
可憐が顔を赤らめたのは、いつもは飲まない強い酒のせいか、隣の友人の普段と変わらぬ行動のせいか。
「可憐にはやっぱり強かったんじゃありませんの?テキーラ。ここはカクテルもあるんだからそっちになさればよかったのに。」
悠理の向こうから野梨子が言う。
あの子も決して酒に弱いわけじゃない。実は日本酒を小さい頃から飲んでいるのだ。洋酒や蒸留酒をあまり飲みつけないというだけみたい。
人並みにしか飲まない可憐は、実は倶楽部で一番酒が弱いといえるかもしれない。
可憐は野梨子に片手だけ振って見せると、バッグの中からピンクのボックスに入ったタバコを取り出した。
「いいわよね?」
と傍らの友人たちに言う。
慣れた手で細身のライターを操る。
「なんだ、可憐。肌に悪いからタバコやめたんじゃなかったのか?」
テーブル席のほうから魅録が言う。
ヘビースモーカーのあんたに言われたくないわよ。
「精神安定剤よ。」
煙の中に見える顔がある。
とうに終わった儚い思い出。
何度目かの初恋。
夕闇の中にたたずむ彼は、可憐の魂を奪っていった。
霧が立ちのぼるように、煙の中に消えていったあのひと。
何よ、このタバコ、少し湿気ってる。
いつもはカクテルのベースとしてしか飲まない酒を、こんな店だからと生で飲んでみた。
思ったよりも甘いその味は、眩暈にも似たあの日の恋を思い出させた。
煙が、やけに目に沁みた。
グラスにうっすら残ったテキーラを、ぐい、と飲み干す。
目が、熱い。
4.魅録
女が吐き出すタバコの煙に包まれる。
メンソールが混じるあたり、やはり女性好みの煙だ。
魅録は自分のズボンの尻ポケットから、少しひしゃげたタバコのカートンを取り出した。
かちり、とジッポーの蓋を開ける。
少しヘビーな毒の煙を肺一杯に吸い込むと、ぬるんだ頭がすっきりとした。
「僕にも一本いいですか?」
と隣の黒髪の男がカートンに手を伸ばした。
「お前も吸ったっけ?」
「ほんのたまにですよ。自分で買うほどじゃありません。」
と言いながらも、妙にさまになる仕草で彼は自分のタバコに火をつけた。
「清四郎もちょっと酒に飲まれ気味じゃない?」
少しばかり東洋人の血が混じっているとは言え、基本的に北欧人である美童は文句なく酒に強い。
二杯目もラムを飲んでいるが、口直し程度にしか水差しの水には手を伸ばさない。
「そうかも知れませんね。あんまりこの店の雰囲気がいいものだから。」
清四郎の顔に浮かぶのは、皮肉でも自己顕示でも自嘲でもない、穏やかな笑みだった。
「魅録は無口になったくらいでいつもと変わんないね。ちょっと面白くないな。」
と美童は悔しそうだ。
「俺はいつだって少年だろ?」
「それもあるけど、魅録は酒じゃ変わらない。絶対に飲まれない。」
青い瞳がぎらりと光る。友人連中にはまず見せることのない野獣の瞳。
そうか、優男がここぞの場面で見せるこの目に女は落ちるのだろう。
こういうところこいつも狩猟民族の末裔だな。
「俺は酒は飲むが、飲まれるのは趣味じゃない。」
バーボンがほどよく俺の胃の腑を熱くする。
俺はこいつを従える。
こいつに従うつもりはない。
楽しい酒しか俺は飲まないのさ。
5.野梨子
彼女は、いつもは品行方正な幼馴染までもが煙を吐き出したのにちょっと眉をしかめた。
倶楽部以外の人たちならこの煙は嫌い。
いつも慣れ親しんだ匂いとは違いすぎるから。
彼女の人生にいつもあったのは柔らかな香り。
時には花のごとく甘やかなものを。
また時には初夏の森林のごとくすっきりとしたものを。
時に秋の夕暮れのごとく深いものを。
そして時には冬の雪のごとく透き通ったものを。
だがこの毒の香りにも、今では彼女も慣れてしまった。
リキュールベースのカクテルのグラスを揺らしながら、彼女は目を瞑った。
テーブル席から低い声で喋る声が時折聞こえる。
カウンター席の隣には、温かい太陽のような存在がある。
その向こうには物憂げな表情をうっとりと浮かべるさまがとても似合う横顔があるはずだ。
「野梨子、眠いんじゃないか?」
飲食に熱中していると思った悠理が不意に顔を上げた。
ふふ、やっぱり悠理は優しい。天真爛漫さが時に人を傷つけるけれど、やっぱり優しい。
赤子のように無垢なればこそ、優しさも残酷さも、限りないのだ。
「そうですわね。悠理が食べるのに夢中でおしゃべりしてくださらないんですもの。」
浮かべた笑みに全く毒はなかった。
初めて出会った幼い日のように、邪気のない笑顔だった。
まったく、これが怒ると鬼みたいに怖いんだからな、と悠理は心中で毒づいた。
タバコの臭いにも洋酒の匂いにも慣れましたのよ。
だってこれがあなたたちの香りですもの。
私をひどく安心させて、落ち着かせる香り。
あなたたちのいる場所が、私が深く眠ることが出来る場所。
6.美童
「野梨子、寝ちゃってない?」
と美童がカウンター席に近づいた。
「あ~、こいつほっぽってメシ食っちゃってたからな。悪いことしたな。」
悠理が気まずそうに頭を掻いている。珍しく目が泳ぎ気味だ。
「悠理も限界じゃないんですか?ウオッカをあんなペースで飲むもんじゃありませんよ。」
「説教はいらねえよ。」
いつも自分に説教を垂れる男に、悠理は口を尖らせた。
「可憐もやばくねえ?泣いてねえか?」
魅録が可憐の頬に光るものを見咎めた。やはり彼女にこの酒は強すぎたのだろう。
「大丈夫よ。煙が沁みただけだから。」
ふっと微笑んで振り返る彼女はそのまま煙の中に消えてしまいそうだった。
「そろそろ帰りますかね。」
「野梨子寝かせちゃったお詫びにうちの車でお前も送るよ。」
と悠理が清四郎の胸を指で叩いた。
「そうしてもらえるとありがたいな。」
二人の視線が一瞬、交錯した。
「可憐は俺が送ろう。」
「ん、ありがと。魅録。」
と、二人はタクシーに乗り込んだ。
「すいませんね。美童はまだ飲むんじゃないんですか?」
女二人を送って行く清四郎は、長い髪を今日は三つ編みにまとめた友人を振り返った。
「いいよ、適当に帰るから。二人ともまかしちゃって、こっちこそ悪いね。」
「まあ悠理のうちの車ですから。悠理は家に着けばメイドさんなんかが面倒見てくれるでしょう。」
「そうだね。」
一人になる。ふうっと溜息をつく。
おや、知的美人が手を振ってる。本当に僕って罪作り。
今夜の祭りは終わったから。あとは僕のいつもの時間。
今夜はカーニヴァルだった。
ここ、いい店だろ?
お前らにはぴったりだと思ったんだ。
日頃のすべてを忘れましょう。
この店の名は───カルナヴァル。
(2004.7.27)(2004.8.20加筆修正)
(2004.8.24公開)
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