2015/03/18 (Wed) 22:41
ひんやりとした空気が肌を刺す。
ああ、もう冬なんだな、と白皙の男は忌々しげに離れの一角を見た。
こんこん、という聞きなれた咳は今は聞こえない。さすがに夜中だし眠れたか。
労咳を患った弟分がそこに寝ていた。
自分が乗り越えられた病なのだから、彼も乗り越えてくれるのだと、そう思っている。願っている。
だが、この寒さだ。
毎日午後になると高熱に魘されるようになった総司。
それが彼の命を縮めているようで、忌々しい。
鬼の副長と呼ばれる土方歳三にも、病ばかりはなんともできぬ。
庭に佇む彼の足元には月がかたどった彼の影。
だが彼はそれを見てなどない。
彼が見ているのは、空に浮かぶ月。
そして己の胸から吐き出される白い息。
ぶる、と少し震えて二重の羽織の襟元をかき寄せた。
その時、離れの障子がすく。
誰かが病室から出てくる。
「夜中まで、か。お前が倒れるぞ、おい。」
と土方は呟いた。
病室から出てきた小柄な人物は綿入れを羽織り、足をふと縁から下ろして庭へと降り立った。
どうやら下を俯いているので、明るい月夜だというのに黒い羽織を着た土方が庭にいるのに気づいておらぬようだ。
「風邪ひく気か?この馬鹿。」
不意に頭上から声をかけられ、俯いていた人物は顔を上げた。
ああ、こいつも大人になったもんだ、とその顔を見るたびに土方は思う。
丸かった頬の肉は落ち、さりとてやつれたわけではなく、大きな瞳はそのままに大人の引き締まった顔になっていた。
今夜ばかりはその目もゆらゆらと揺れているようだが。
「副長こそ、羽織だけで寒くありませんか?」
小さく返す声が少し喉にかかった感じがする。
こういうところは子供だな。と土方はふふん、と鼻を鳴らした。
「へん!武士が寒いのなんの言ってられっか。」
「武士道はやせ我慢と見つけたり・・・」
「なんか言ったか?神谷。」
「いえいえ。」
神谷清三郎という華奢な武士は小さくくすり、と笑った。
その笑顔は静かに冬の宵闇に狂い咲く枝先の数輪の桜の花のようで、土方は目を細めた。
如身遷という女性化していく病の持ち主だと言われている。年々目に見えて女のような姿に変わっていく。
今の少年の姿は本当に女性のそれのようで・・・
土方が思わず彼の頬に触れると、神谷は驚いたのか身をすくめた。
「副長・・・?」
「いや、お前のほうが室内にいたくせに冷てえな、と思ってな。」
それが口実であることは百も承知だった。
本当に触れるまで、その指先にひやりとしたものを感じるなどと思っていなかったのだ。
「総司の前じゃ・・・泣くなよ。」
この頬を温めてやりたくて。冷たい雫で冷やしたくなくて。
せめてこの俺の声で温まって欲しくて。
その熱を声に込める。
神谷はぐっと唇を噛み締めた。
そして、おずおずと土方の頬に手を伸ばした。
「副長こそ、頬が冷たいです。こんな夜に外にいるから。」
「俺は泣いちゃいねえさ。」
「私も泣いてませんよ。」
じっと互いの瞳を覗きあう。
そこにあるのは、いま病床にあるかの人を大事に想う心。
かの人が魘される病の熱によって、逆に冷やされてしまった二人の魂。
冬の闇よりも更に冷たく凍りついた、絶望。
「おめえの手は、柔らけえな。」
片方の手を向かいの人の頬から離し、己の頬を包む手をその上から包む。
それは真実紛れもなく女性の手なのだから、と神谷はひやり、とする。
いくら懇意の医師・松本良順の好意で如身遷と偽っているとはいえ、ますます女の体に変わっていく自分の身を自覚しないではなかった。
ましてや愛しい男の病により、その女性としての恋心に身を引き裂かれる想いのしている今は。
そのまま向かいにいる端正な美しい顔に引き寄せられるままに唇を寄せ、己の正体を曝してしまいそうになる。
「そんなわけ、ありません。入隊してからこれまで毎日竹刀を振るっているのに。」
何度もマメがつぶれた。そのたびに彼女の掌は厚くなっていった。
「いや、柔らかい。」
土方は己の手に、ほんの少しだけ力を込めた。
そして彼女は奥歯を噛み締めた。
ふっと土方が微笑んだ。
「ばあか。何こわばってやがるんだ、この童(わっぱ)が。俺には衆道のケはねえっていっつも言ってるだろが。」
と、彼は彼女の頬に残しておいたほうの手を動かして、彼女の額をぺん、と叩いた。
「あ、童って言いました?まだ子供扱いしますか?」
「おめえも総司もまだまだ子供だ。」
彼女の手を離させながら一歩退く。
彼女もその手をおとなしく引く。
「はいはい。じゃあ子供はさっさと寝ます。“寝る子は育つ”って言いますからね。寝ても横にしか育たない大人とは違いますので。」
ぺろっと舌を出してから彼女は踵を返した。
「おいこら、言うようになったじゃねえか。」
と土方が殴るそぶりをするが、彼女はもうその手の届かないところまで逃げていた。
「おやすみなさいませ。副長も発句に執心したあまりに風邪で寝込んだとか言われたくないでしょ?」
そう言って神谷は去っていった。
「あのやろう、ますます総司に似てきやがった。」
土方はちっと舌打ちすると、またおもむろに腕を組み、月を見上げた。
とかくこの世はままならねえな。
長い白い息を一つ吐くと、己の居室へと足を向けた。
(2004.11.1)
(2004.11.13公開)
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