2015/02/05 (Thu) 23:08
ここでは太陽が真上に昇る。
なんか赤道より少しばかり北にあるとかで、8月のちょうどこの時期に太陽はこの島の真上を通る。
そんな理屈をこねこねとこねていた黒髪の男が、あたいの手を取って微笑んだ。
「じゃあ、海へ行きましょうか。」
かりゆしだかアロハだかよくわかんない濃紺の開襟シャツが、意外と似合っていた。
ぱしゃ。
やっぱり海水もぬるい。
でもそのぬるさのために、長く浸かっていても体がさほど冷えずにじっくり遊べそうだった。
「すっげ、水きれいだぞ。」
と、白いタンキニ姿のあたいは同行者のほうを振り返った。
「そうですね。まさしくエメラルドの海だ。」
と言いながらシャツを脱ぐ男が、眩しそうに目を細めた。
足が着かないくらい深い場所まで泳いでも、自分の爪先も、綺麗な砂の海底も、はっきり見ることができた。
小魚たちがひらひらと群れになって踊る。
砂の中にウニの針が見え隠れする。
どこまでもどこまでも広がる緑がかった青。
プライベートビーチなので、周囲には誰もいない。
ふと思いついてあたいは叫んだ。
「よし!清四郎!あのビーチの端っこまで競争だ!」
「あ、こら!フライングですよ!悠理。」
一足先にあたいは泳ぎだした。
だってタッパが違うじゃん。これくらいのハンデは欲しいぞ。
ぐんぐんとクロールで泳ぐ。
波に横に流されそうになりながらも力任せに泳ぐ。
すぐ傍に男の気配を感じながら。
ゴールが近づく。
そろそろ底にバタ足する膝がつきそうだ。
その時、不意に熱いものに体が包まれた。
「ぶわっ!」
海水を少しばかり飲み込んでしまった。涙が出る。
いったい何事が起こったのか理解したときには、あたいは清四郎の腕の中で空を見ていた。
もう二人とも波打ち際に打ち上げられる形になっていて、背中の下には砂が波に洗われてさらさらと流れていた。
体の半分ほどは海面上に出ている。
清四郎は、というとあたいの体の上にほとんど馬乗りに近い形だ。
「いきなり何すんだよ。」
あたいが口を尖らせると、清四郎はにっと笑んで、そこに己の唇を軽く触れ合わせた。
「すみませんね。急にあなたを抱きしめたくなったものだから。」
「しょっぱい。」
とあたいが眉をしかめて舌を出すと、清四郎は「確かに。」と苦笑してからあたいの舌にむしゃぶりついた。
二人が付き合うようになって初めての夏。
付き合い始めたのが去年の秋。9ヶ月経った。
春には互いの家族公認になっていたし、ほとんど婚約してるみたいなもの。(これを言うと清四郎は「プロポーズはもっときちんとやります。」と言い張るのだけど。)
二人だけで南の島に来ることに誰も否やは唱えなかった。
キスが深くなる。
あたいをいつも違う世界へと連れて行く手が、波のリズムに合わせてあたいの肌を撫でていく。
緩やかな、リズム。
満ちる。引く。
満ちる。引く。
ざああ、ざああ、という永遠のリズムが体に刻まれる。
こうしていると、二人して地球に還っていくみたいだ。
海に溶け、大気に溶け、地球をくるむ青いバリヤーになる。
「ずっと、こうしたかった。」
「あたいも。」
瞼を開けると目の前に黒い瞳。夜空を映したような、黒い瞳。
互いに忙しくて、こうして二人きりで抱き合うのは2週間ぶり。それもかなり無理に時間を作ってのことだ。
今日から2週間、ここで蜜月を過ごすことが出来る。
それだけで泣きたいほど嬉しかった。
あたいってこんな女だったっけ?と自分でも笑えた。
その日は清四郎の大学の近くに剣菱の用事で出かけたから、清四郎と昼時に学生食堂で待ち合わせていた。
背後で交わされる女子学生の会話を聞くともなしに聞いていた。
「葵。菊っち狙ってるでしょ?」
「こないだの飲み会、明からさまだったよね。」
「いやー、彼ポイント高いじゃん?結構気が合うしさ。」
「顔はいいよね、確かに。葵、面食いだし。」
「大病院の息子ってのは面倒そうだけどね。」
あれ?と思った。
聞こうと思って聞いていたわけじゃないから、最初に出てきた男の名前が思い出せない。
誰の、こと?
「でも彼、人当たりはいいけど、葵のこと相手にしてなくない?」
「なんか高校時代から熱愛中の彼女がいるらしいよ。」
「ていうか、菊っちの顔、どっかで見たと思ったらさ、前、剣菱財閥のお嬢様と婚約してなかった?会見で見たような気がする。」
「ああ!あれって菊っちだったっけ?」
なんか、いたたまれない気分になった。
彼女らに背中を向けてるから、あたいがここにいるなんて気づいてないんだろう。
「ふっふっふ。そこで略奪愛よ!」
「やめときなって。彼女に悪いじゃん。」
「葵ってば男殺しだからなあ。」
「何人餌食にすれば済むの。」
「篠峰くんが振り向いてくれないからって。」
「こら、それは禁句。」
あたいはめまいがした。
なんつうオンナノコオンナノコした会話なんだろう。やっぱりこういうのは苦手だ。
可憐が部室で野梨子つかまえてとか美童相手にとか話してるのを右から左に聞き流すのは平気だったんだけど。
要するに本命の男を手に入れるために他の男を食い続けてるってこと?
逆効果じゃないのか?
ふと、胸が痛んだ。
今更清四郎がこんな女に振り向くなんて思っちゃいない。
だけど、あたいを好きになってくれるまでは大人の女とお付き合いしていたあいつ。
こんな女に、いつも囲まれてるんだろうか?
やっぱり、他の女もあいつには惹かれるんだろうか?
この食堂のメニューの中でも一番好きなグリルチキンランチを食う手が止まった。
半分くらい残っているが、もう食べる気がしなかった。
いつもならこのあとデザートにうどんをつけるくらいなのに。
がた、と音をさせて立ち上がると一瞬のタイムラグの後、背後の会話がやんだ。
ふん、ザマ見ろ。
そう思っている自分に気づいて、自嘲した。
外はむせ返るほどの熱気だった。
蝉の声が耳に痛い。
そろそろ土用。一年で一番暑い時期がやってくる。あたいの方は来週半ばに1科目だけで期末試験が終わる。
清四郎たちは夏休み明けに試験があるのに、こんな時期にまだ講義があってるらしい。
日陰のベンチに座っていると、遠くから近づいてくる長身の男を発見した。
やっぱり目立つよな、惚れた欲目を除いても。
あ、こないだ一緒に買ったシャツだ。
白地にブルーグレーの細い線でチェックが入ったシャツ。そして見慣れたグレーの夏物のズボン。
ふと、目が合った。
あいつは一瞬眉を上げると、微笑んで手を振った。
「この暑いのに中で待ってなかったんですか。」
開口一番、半分説教。相変わらず、だ。
「飯食い終わったし、混んでるから。」
「そうですね。満席みたいだな。どうです?門の外の学生向けの店に行きましょうか。僕、お昼まだなんですよ。」
「うまいの?」
「ええ、昔ながらの食堂で、安くて美味くて量が多いのが売りです。」
「行く!」
満面の笑みを浮かべたあたいに、清四郎もにっこり笑んだ。
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