2015/02/02 (Mon) 23:05
はじめは清四郎のほうではほんの少しの打算があったのかもしれない。
こういう展開になってしまえば、あとで彼女が平静を取り戻したとて今日のことを絶対にあの親友たちには言えないであろうと。
だが、清四郎がそのことに思い至ったのは彼らにとって幸いなことにすべてが済んでからだった。
がちゃん、と音を立ててオートロックがしまる。
カラオケボックスみたいだ、と悠理は思った。安っぽいタバコのにおいが染み付いた安っぽい壁紙の貼られた部屋。
照明は存外普通のホテルのようだが、テーブルの上に乗っているチラシに載った卑猥な道具の写真がこの空間の作られた目的を語る。
備え付けのスリッパに履き替えて部屋に入ると、大きな(しかし彼女が普段使っているものとそう大して変わらない大きさの)ダブルベッド。
ヘッドボードのあたりにはよくわからないスイッチがたくさん並んでいる。
吐き気がしそうなほどに安っぽい。吐き気がしそうなほどに直接的だ。
こんな汚いところをこの完全主義の男が使うなんて。
「お前がこんなとこ使うなんて意外。」
とつぶやいた悠理のセリフに清四郎は苦笑せざるを得なかった。
「僕だってこういうところは初めてですよ。いつもはもう少しましなところです。」
いつもは、という言葉に悠理はまたも胸が痛くなる自分を感じた。
無言でベッドサイドに近づくと枕もとに並んだスイッチ類をじっと見詰める。
つ、と彼女の喧嘩慣れしているくせに形の良い指がヘッドボードのスイッチの一つを探る。
清四郎がその指の細さに我知らず見とれていると、彼女の指の動きに反応してカーテンが音を立てて閉まり、無粋なまでに清らかな昼間の太陽はさえぎられた。
部屋を照らすのは罪深い人工の光のみ。
「こういうところでの手順なんかあたいは知らないからな。」
とだけ言うと、彼女は自らTシャツの裾をつかむと清四郎があっという間もなく、それを脱ぎ捨てた。
煌々と蛍光灯の光が照らす中で、隠されていた日焼けした肌が清四郎の目をさした。
その美しさは少年のように華奢な肉付きと相まって、一切の性的な穢れを感じさせない純粋なものだった。
水着姿や露出の高い夏の服装で見慣れているはずの体なのに、まるで違うものに見える。
性を持たない天使の類はこういうものなのだろうか?
ここにいる少女は誰だ?
本当にあの下品でがさつな、生物学的に女性の体を持っていることが哀れにさえ思える友人なのか?
カーゴパンツも自らの手で脱ぎ捨て、彼女は健康的な白いブラジャーと愛猫の顔をプリントしたショーツだけという姿になった。
「ほら、女だろう?」
と言った声が少しいつもの調子に聞こえたので清四郎は我に返った。
時には自分でも本当の顔はどこへ行ったのかと思うようなポーカーフェイスに、今日ばかりは心底感謝する。
「そんなふうに開放的にされても色気のかけらもありませんよ。」
下世話な意味ではなくね、というあとに続く言葉を彼は飲み込んだ。
居心地が悪かった。
彼女にそんな自分を悟られることだけは死んでも嫌だったが、とにかく居心地が悪かった。
普段の調子を取り戻さねば。早くいつもの僕たちに戻らなくては。
2メートルほど離れていた場所から悠理が一歩ずつ近づく。清冽な光を宿した瞳はじっと清四郎の目を見つめている。
ほとんど触れそうな距離まで近づいて、悠理は止まった。
「じゃあこの先はお前が脱がせばいい。」
その言葉に不思議な強制力があった。
清四郎は自分の手が自分の意思など関係なしに動いていると思えた。
声もなく彼女の背に手を伸ばし、ぷつん、と下着のホックをはずした。
彼女は首筋に唇を這わせる男の髪から漂う嗅ぎなれた彼の香にくらりとした。
そして倒れこむベッドの感触に、へえ、ウオーターベッドだ、と思ったどこか冷静な自分がいた。
男の舌が彼女の喉を仰け反らせる。
「っあ・・・」
我知らず漏れ出た声は、彼女が知らない彼女自身の声だった。
その間にも男の手が彼女のささやかな胸元をなぞる。
そういえば普段は性的なことを全く漂わせていない彼女も自分の胸の小ささは気にしているようだったな、とどこかで思い出す清四郎だった。
だがささやかであれ充分に柔らかい。清四郎の理性を絡めとるには充分に。
ぐっと手に力が入る。
「んん・・・」
と声を押し殺す彼女に気づき、清四郎は彼女の顔を見上げた。
そうは言っても完全には理性を失っていなかった彼は、最後の良心でその言葉を口にした。
「唇にキスはしませんよ。」
その言葉はまるで覚醒剤だった。
いわゆる幻覚効果のあるアレではなく、言うならばカフェイン程度の。
彼女が理性を取り戻すための、覚醒のための、カフェイン。
気がつけば男はまたも彼女の鎖骨の辺りに唇を這わせている。
その手が胸を愛撫する。
だがそこに彼女は男の愛情を見つけられなかった。
機械的に、義務的に、ただそこを漂うだけ。
それを証拠にキスはしないという。
初めて、怖いと思った。
清四郎は己の体の下で、悠理の体に変化が現れたことに気づいた。
こわばり、震えている。
「やだ・・・やめ・・・」
「悠理?」
と再度彼女の顔を見上げる。
息も絶え絶えに懇願する彼女はぼろぼろに泣いていた。
「こんなんやだよお・・・」
彼は彼女のその泣き顔に一瞬嗜虐的な想いが浮かびかけたが、やめた。
ふ、と一息ついて彼女から体を離すと、彼女の横に寝転んでやさしく抱きしめた。
悠理の涙は清四郎のいつもの制服のものとは違って柔らかな綿の布地に吸い込まれていった。
彼女の震えが治まるまで、じっとやさしく抱きしめていた。柔らかな髪に唇を寄せたが、彼女は恐らく気づいていまい。
もとより、彼女と最後の一線を越えるつもりはなかった。
そこまで彼女を傷つける行為をするつもりはなかった。
少しばかり予定よりも彼女の肌におぼれてしまったけれど、彼女が拒否する瞬間を待っていた。
「本当にバカなんだから。僕だからここでやめてあげますけど、今度からは愛のない相手とこんなことするんじゃありませんよ。」
彼女の嗚咽が引いてくるのを確かめて、清四郎は彼女の耳元で低い声で囁いた。
それがあんまり優しいものだから彼女はまた涙がこぼれそうになって虚勢を張る。
「自分のことは棚にあげやがって。腰に当たってるのはなんだよ。」
おやおや、と清四郎は赤面した。やはり気づかれてましたか。
本当に男の生理というのはやっかいなもので。
「ちゃんと悠理が女の子に見えた証です。他の男だったらこんな状態でやめてはくれませんよ。」
あくまでも気恥ずかしさは押し隠してなるべくいつものからかうような声音で言う。
だが彼自身、それがいつもの調子を保てているかの自信はない。
「自分だけ聖人君子ぶりやがって。」
と返す彼女の口調には幸いにも自分への悪態の色が戻りつつあった。
たとえそれが虚勢だったとしても、そのことに清四郎は心底ほっとした。
「キスも、この続きも、今度は悠理が好きだと思って、相手も悠理を好きだと思っている、そういう人に教えてもらいなさい。」
悠理は声を出して返事をする代わりに、小さくこっくりと頷くことで清四郎の胸にその返事を告げた。
いくら情の薄い自分でも、悠理への恋愛感情もなくこういう行為をする自分に罪悪感を感じないはずがなかった。
彼女には幸せな恋をしてもらいたい、と、そしたら今日の出来事も笑って話せる日が来る、と、そう願わないではいられなかった。
彼女は天真爛漫に太陽のように笑っている顔が良く似合うから。
タクシーで彼女を剣菱邸まで送り届けた。
車を降りてから、彼女は車の中に残る清四郎を少しだけ覗き込んで、蚊の鳴くような声で言った。
「ごめん。ありがと。清四郎。」
それからいつもよりも儚げに微笑んだ悠理のことを、清四郎はとても可愛らしいと思った。
(2004.7.2)
(2004.8.20公開)
(2004.8.20公開)
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