2015/02/02 (Mon) 23:29
「そっか。好きな歌の歌詞から英語を勉強してみるのもいいな。」
と湯飲みを両手で握り締めて悠理がしみじみと言ったので、清四郎は、
「それはいい傾向ですね。でも明日大雪にならなければいいんですが。」
と冗談めかして返した。
「まだ秋だじょ。」
「秋ですねえ。」
と、清四郎は一息つくために母親が差し入れてくれたお茶をすすりながら悠理の顔を見て笑った。
ほんのり気持ちが緩む休憩時間。夜はまだ長いですよ、と清四郎が意地悪な笑みを浮かべる。
悠理はそんな彼のまなざしを受けて手の中の湯飲みの熱さがちょうどよい温度で自分の肌を温めているような気がした。
だからなのか、温かさに負けたように、あの曲の切ない曲調に負けたように、そのセリフを言うのは今だという気がした。
清四郎の目から視線をはずして少し冷めかけた液体の液面を見つめる。そこに映っているのはちょっと困ったような顔の自分。
そのお茶が冷めてしまう前に。
完全に冷め切ってしまう前に。
「なあ、清四郎。教えて欲しいことがあるんだ。」
「なんですか?」
「あたい、やっぱりあの続きも清四郎に教えて欲しい。」
すらすらと出てきた彼女のセリフに清四郎は一瞬、「なんの続きだ?」と首をかしげた。
さっきまで教えていた試験勉強の内容?
いや、それにしても僕に名指しで・・・え?
「あの続きとは、一ヶ月前のアレの続きのことですか?」
と清四郎が恐る恐るといった感じで尋ねる。その視線は彼女のほうではなく彼自身の湯飲みへと注がれている。
彼が一気に緊張したのがわかって悠理は止まっているように感じた心臓の鼓動が今度はがんがんと頭を打ち付けるように戻ってくるのを感じた。
「そ、そうだよ。」
何もこんなシチュエーションで言うこともないとわかっちゃいる。
それにこんなことで二人がぎくしゃくすることになったら倶楽部の結束も崩れる日が来るかもしれない。仲間想いの悠理だからこそそうなることは辛い。
だけど、どうしようもなく募ったこの想いを、吐き出さずに飲み込んだままでいられるほど自分は器用じゃない。
ひと月前。
自分が女であると認めさせたくて、売り言葉に買い言葉で彼とつかの間肌を合わせた出来事。
でも結局彼が望んだとおりにだろう、自分が耐えられなくなって入り口に足をかけるまでもなく逃げてしまった。
彼が自分を愛しての行為ではないということに耐え切れなくて。
他の女と肌を合わせる彼の姿に嫉妬していた自分に否応なく気づかされて。
「・・・僕なんかでいいんですか?」
「・・・お前がいいんだ。って、言わせるなよ。」
と悠理はぼそぼそとしゃべる。
おかしな光景だった。テーブルを挟んで向かい合った二人が二人とも自分の湯飲みだけを見つめて会話しているのだから。
「しかし、ああいう出来事があって、その記憶でドキドキしているのを勘違いしているということはないんですか?」
あまりにも強烈な記憶だから、それに惑わされているだけじゃないのか?
純情な悠理だからそれもありえるのでは?
「あんまりあたいをバカにするなよ。ひと月は頭を冷やすのに短すぎるか?」
「まあどれだけの期間を置けば十分かは人それぞれだと思いますけど、悠理自身は頭は冷えていると思ってるんですね。」
「あの時のことはある意味冷静に思い出せてると思う。」
清四郎はやっとの想いでのろのろと視線を悠理の湯飲みへ。
そして彼女の白い手へ。
そこから俯く顔へとたどらせていった。
「あの時は怖かったんじゃない。悲しかったんだ。お前に惚れられてないのが悲しかったんだ。」
目に涙を溜めて湯飲みを握り締める悠理はとても弱弱しく見えた。
まだいつかのように泣き喚かれたほうがいい。
静かに涙をこらえる悠理は自分の知ってる悠理じゃない。
「僕は愛のない相手を抱ける種類の男ですよ。」
「でもお前は愛してないあたいを抱かなかった。」
正直、悠理がこれだけ当意即妙に自分とこういう会話を交わせるとは清四郎は思っていなかった。
こいつを見くびりすぎていたのかもしれない。まあ自分がこういう色恋沙汰の会話が苦手なせいもあるけれど。
悠理だからこそ気が抜けないという感覚もある。
まるで二人の婚約をかけて決闘をしたときのようだ。油断をすると打ち込まれる。こいつにはそれだけのスピードがある。
すう、と雲海和尚と立ち合う時の様に清四郎は丹田に気を吸い込んだ。
「悠理、僕はお前が好きだ。だが、それは友人として、だ。」
悠理の肩がかすかに揺れた。だがすぐにぴたりと止まり、体勢を立て直す。
彼女が次の言葉を捜しているうちに清四郎は先手を打った。
「お前が好きだから、お前には愛のない相手と気軽に体を合わせるようなことはしてほしくない。お前が納得の行かない恋愛はしてほしくない。」
もっともあの出来事があるまではお前が恋愛をするようになるなんて毛ほどにも思っちゃいなかったが。
あのとき初めて、お前には太陽のように笑っていて欲しいという気持ちに気づいたんだ。
自分でも身勝手な願いだとわかってはいるんですけどね。
これは口には出せない想い。
思わず自嘲の笑みが口元を歪める。
清四郎はもう一度静かに丹田に気を込めた。
「だから今は、悠理を恋愛感情で愛してるわけじゃない僕が悠理にキスすることも悠理を抱くことも許さない。」
きっぱりと清四郎は言い切った。
悠理はそれを聞いてぐっと唇をかみ締めて顔を上げた。
「ダチにしか思われてないのはわかってたよ。でもそこまで言ってくれるなんて思わなかった。」
ぽろり、と涙が一滴こぼれる。
透明で綺麗な涙だった。
「ありがとう。」
と言って微笑んだ悠理に清四郎も柔らかい微笑を送り返した。
「悠理。僕は“今は”と言った。これから先のことを保障することはできないけれど、気持ちは移ろっていくものだと思う。」
「待ってろって言うのか?」
待ってていいのか?
見つめていていいのか?
「まさか、言えるわけないでしょう?」
無責任にそんなことは言えませんよ、と言外に含む彼である。
じゃあ、そんなこと言うな、この卑怯者。と悠理は思い、口を尖らせた。
「待たないからな。あたいバカだからほっとくと今の気持ちなんか綺麗さっぱり忘れるかも知れないぞ。」
とせめて抵抗してみせる。
清四郎は片方の眉を上げる。
「おや、忘れられてしまうくらいの想いだったとは残念ですね。」
その目が普段のようないたずらな光を宿していることに悠理は気づいた。
「わ、忘れられたくなきゃあ、その前にあたいを好きになりやがれ!」
真っ赤になって噛み付く彼女に清四郎は本格的にくすくすと笑い出した。
「そんな偉そうに愛の告白をするのはあなたくらいでしょうね。」
「いいじゃん、あたいらしくて。」
ふてくされてそっぽを向いてしまった悠理に、清四郎はまだくすくす笑いをやめなかった。
「言えてます。」
その後はとても勉強どころじゃなかった。
でももっと大事なことをお互いに知ることができた夜だったと思う。
「これからお互いの気持ちがどうなるかはわからない。だけど勉強だけはせっかく悠理がやる気になったんだから一緒に頑張りましょうね。」
「ちぇえ。余計なこと思いついちゃったな。」
「余計じゃありません。いいことです。」
「じゃあ、これからもあたいの家庭教師はお前な。」
「望むところだ。」
清四郎に言い渡された英語の課題を手に、剣菱邸に帰宅する車に乗る悠理なのだった。
と湯飲みを両手で握り締めて悠理がしみじみと言ったので、清四郎は、
「それはいい傾向ですね。でも明日大雪にならなければいいんですが。」
と冗談めかして返した。
「まだ秋だじょ。」
「秋ですねえ。」
と、清四郎は一息つくために母親が差し入れてくれたお茶をすすりながら悠理の顔を見て笑った。
ほんのり気持ちが緩む休憩時間。夜はまだ長いですよ、と清四郎が意地悪な笑みを浮かべる。
悠理はそんな彼のまなざしを受けて手の中の湯飲みの熱さがちょうどよい温度で自分の肌を温めているような気がした。
だからなのか、温かさに負けたように、あの曲の切ない曲調に負けたように、そのセリフを言うのは今だという気がした。
清四郎の目から視線をはずして少し冷めかけた液体の液面を見つめる。そこに映っているのはちょっと困ったような顔の自分。
そのお茶が冷めてしまう前に。
完全に冷め切ってしまう前に。
「なあ、清四郎。教えて欲しいことがあるんだ。」
「なんですか?」
「あたい、やっぱりあの続きも清四郎に教えて欲しい。」
すらすらと出てきた彼女のセリフに清四郎は一瞬、「なんの続きだ?」と首をかしげた。
さっきまで教えていた試験勉強の内容?
いや、それにしても僕に名指しで・・・え?
「あの続きとは、一ヶ月前のアレの続きのことですか?」
と清四郎が恐る恐るといった感じで尋ねる。その視線は彼女のほうではなく彼自身の湯飲みへと注がれている。
彼が一気に緊張したのがわかって悠理は止まっているように感じた心臓の鼓動が今度はがんがんと頭を打ち付けるように戻ってくるのを感じた。
「そ、そうだよ。」
何もこんなシチュエーションで言うこともないとわかっちゃいる。
それにこんなことで二人がぎくしゃくすることになったら倶楽部の結束も崩れる日が来るかもしれない。仲間想いの悠理だからこそそうなることは辛い。
だけど、どうしようもなく募ったこの想いを、吐き出さずに飲み込んだままでいられるほど自分は器用じゃない。
ひと月前。
自分が女であると認めさせたくて、売り言葉に買い言葉で彼とつかの間肌を合わせた出来事。
でも結局彼が望んだとおりにだろう、自分が耐えられなくなって入り口に足をかけるまでもなく逃げてしまった。
彼が自分を愛しての行為ではないということに耐え切れなくて。
他の女と肌を合わせる彼の姿に嫉妬していた自分に否応なく気づかされて。
「・・・僕なんかでいいんですか?」
「・・・お前がいいんだ。って、言わせるなよ。」
と悠理はぼそぼそとしゃべる。
おかしな光景だった。テーブルを挟んで向かい合った二人が二人とも自分の湯飲みだけを見つめて会話しているのだから。
「しかし、ああいう出来事があって、その記憶でドキドキしているのを勘違いしているということはないんですか?」
あまりにも強烈な記憶だから、それに惑わされているだけじゃないのか?
純情な悠理だからそれもありえるのでは?
「あんまりあたいをバカにするなよ。ひと月は頭を冷やすのに短すぎるか?」
「まあどれだけの期間を置けば十分かは人それぞれだと思いますけど、悠理自身は頭は冷えていると思ってるんですね。」
「あの時のことはある意味冷静に思い出せてると思う。」
清四郎はやっとの想いでのろのろと視線を悠理の湯飲みへ。
そして彼女の白い手へ。
そこから俯く顔へとたどらせていった。
「あの時は怖かったんじゃない。悲しかったんだ。お前に惚れられてないのが悲しかったんだ。」
目に涙を溜めて湯飲みを握り締める悠理はとても弱弱しく見えた。
まだいつかのように泣き喚かれたほうがいい。
静かに涙をこらえる悠理は自分の知ってる悠理じゃない。
「僕は愛のない相手を抱ける種類の男ですよ。」
「でもお前は愛してないあたいを抱かなかった。」
正直、悠理がこれだけ当意即妙に自分とこういう会話を交わせるとは清四郎は思っていなかった。
こいつを見くびりすぎていたのかもしれない。まあ自分がこういう色恋沙汰の会話が苦手なせいもあるけれど。
悠理だからこそ気が抜けないという感覚もある。
まるで二人の婚約をかけて決闘をしたときのようだ。油断をすると打ち込まれる。こいつにはそれだけのスピードがある。
すう、と雲海和尚と立ち合う時の様に清四郎は丹田に気を吸い込んだ。
「悠理、僕はお前が好きだ。だが、それは友人として、だ。」
悠理の肩がかすかに揺れた。だがすぐにぴたりと止まり、体勢を立て直す。
彼女が次の言葉を捜しているうちに清四郎は先手を打った。
「お前が好きだから、お前には愛のない相手と気軽に体を合わせるようなことはしてほしくない。お前が納得の行かない恋愛はしてほしくない。」
もっともあの出来事があるまではお前が恋愛をするようになるなんて毛ほどにも思っちゃいなかったが。
あのとき初めて、お前には太陽のように笑っていて欲しいという気持ちに気づいたんだ。
自分でも身勝手な願いだとわかってはいるんですけどね。
これは口には出せない想い。
思わず自嘲の笑みが口元を歪める。
清四郎はもう一度静かに丹田に気を込めた。
「だから今は、悠理を恋愛感情で愛してるわけじゃない僕が悠理にキスすることも悠理を抱くことも許さない。」
きっぱりと清四郎は言い切った。
悠理はそれを聞いてぐっと唇をかみ締めて顔を上げた。
「ダチにしか思われてないのはわかってたよ。でもそこまで言ってくれるなんて思わなかった。」
ぽろり、と涙が一滴こぼれる。
透明で綺麗な涙だった。
「ありがとう。」
と言って微笑んだ悠理に清四郎も柔らかい微笑を送り返した。
「悠理。僕は“今は”と言った。これから先のことを保障することはできないけれど、気持ちは移ろっていくものだと思う。」
「待ってろって言うのか?」
待ってていいのか?
見つめていていいのか?
「まさか、言えるわけないでしょう?」
無責任にそんなことは言えませんよ、と言外に含む彼である。
じゃあ、そんなこと言うな、この卑怯者。と悠理は思い、口を尖らせた。
「待たないからな。あたいバカだからほっとくと今の気持ちなんか綺麗さっぱり忘れるかも知れないぞ。」
とせめて抵抗してみせる。
清四郎は片方の眉を上げる。
「おや、忘れられてしまうくらいの想いだったとは残念ですね。」
その目が普段のようないたずらな光を宿していることに悠理は気づいた。
「わ、忘れられたくなきゃあ、その前にあたいを好きになりやがれ!」
真っ赤になって噛み付く彼女に清四郎は本格的にくすくすと笑い出した。
「そんな偉そうに愛の告白をするのはあなたくらいでしょうね。」
「いいじゃん、あたいらしくて。」
ふてくされてそっぽを向いてしまった悠理に、清四郎はまだくすくす笑いをやめなかった。
「言えてます。」
その後はとても勉強どころじゃなかった。
でももっと大事なことをお互いに知ることができた夜だったと思う。
「これからお互いの気持ちがどうなるかはわからない。だけど勉強だけはせっかく悠理がやる気になったんだから一緒に頑張りましょうね。」
「ちぇえ。余計なこと思いついちゃったな。」
「余計じゃありません。いいことです。」
「じゃあ、これからもあたいの家庭教師はお前な。」
「望むところだ。」
清四郎に言い渡された英語の課題を手に、剣菱邸に帰宅する車に乗る悠理なのだった。
(2004.7.6)
(2004.9.16公開)
(2004.9.16公開)
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