2015/02/02 (Mon) 23:44
聖プレジデント学園の校舎は、中世ヨーロッパの修道院を模した外観をしている。
高等部の正門から校舎にやってくると、煉瓦の外壁に曲線をうまく配した窓。玄関ポーチには石造りの階段。
玄関のある棟より横に伸びる建物は一階が回廊になっており、モーターショーさながらの車止めの様子が望める。
質素かつレトロな風合いがこの金持ち学校の生徒たちをますますお上品に見せる。
校舎の中に入ってしまえば、フローリングの床を磨くために用いられている古い油の匂いがつん、と鼻をさす。
少し甘酸っぱいような匂いも混じるのは床磨きに牛乳を使用することもあるからである。
教室のつくりはごく普通。普通でないのは窓が上下にスライドする木枠の窓であることくらいか。
だが、モデルにした修道院のつくりを一部そのまま真似てしまったのか、用途の決まらない小部屋が並んでいる一角がある。そこは玄関棟の最上階にある。
大体はそういう部屋は鍵がかかっていたり、開いている部屋も倉庫として使われていたりする。
たまにわけのわからない小さな同好会や部活ができたときに部室として解放されることもある。
現在、次期生徒会役員選挙中で失職中の前生徒会長、菊正宗清四郎は弁当を持ってその一角をうろついていた。
いまは昼休みであるが、一番奥のほうは空き室しかないので他の生徒は誰も寄り付かない。
いつも溜まり場にしていた生徒会室から、3年間で積もり積もった私物を彼ら前役員は寂しく思いながら撤収した。
新しい溜まり場をこのあたりに見つけようかとも思ったが、やめた。
人気があまりにもないし、埃っぽい。こんなに陰鬱で狭い部屋に閉じこもっておけるような彼らではなかった。
学校にいる間の溜まり場がないのは寂しかったが、さすがに受験の秋に甘えたことも言ってられまい。
留年という形で1年生の秋から異例の3年もの間、生徒会長を勤めた彼は、この一角に鍵が壊れた部屋があることを知っていた。そしてそこにある人がいることをなんとなく確信していたのだった。
こんこん、と軽くノックしてみる。
当然ながら返事はない。
窓の外では陰鬱に雨が降っていた。
そのしとしととした雨の気配はこの校舎に漂う匂いを濃厚に閉じ込めていた。
その雨の気配よりも近いところ、ドアのすぐむこうに気配はあった。
一応礼儀として一瞬返事を待ったがもとよりそんなものは期待していない。
清四郎はその恐らくはじっとりと古い匂いが閉じ込められているだろう部屋に、ドアを開けることで廊下からほんの少しだけ新鮮な空気を送り込んだ。
雨の風景が見える窓の下には昔はベンチの代わりとしていたのだろう、長い木箱が置いてある。
尋ね人はそこに腰掛け、窓の外を静かに見つめていた。いつも元気に跳ね回っている彼女にしては珍しい。
彼女のその様子はこの雨の匂いと油の匂いとによって、この重く古い景色の中に塗り込められてしまったかのようだった。
色素の薄い野放図な髪も、毎年夏になると呆れるほどにこんがりと焼いてしまう肌も、意志の強そうな薄い茶色の瞳も、すべてこの景色の中に同化して溶けていってしまいそうだった。
清四郎はなぜか焦りにも似た気持ちが自身の声を紡ぎださせるのを感じた。
「サボりですか?悠理。」
その声に尋ね人は身じろぎもせずに応えた。
「恋煩いで病欠。」
少々薄暗い上に、彼女は窓の外を見つめたままだったので、彼には彼女の表情はよく見えなかった。
だが、窓に映る彼女の影に赤みが、生色がさしたような気がしたのは自惚れだろうか?
「ただの口実でしょう?」
「でもレンアイしちゃってるのは本当。」
彼女の言うレンアイの相手である男はその言葉に視線をわずかにそらすことで反応した。だがすぐに彼女へと目を戻したし、彼女は彼の顔を見ていなかったので、彼女はきっと彼の応答には気づかなかったはずだ。
だから彼の視線が戻ってくるのを確認したはずはないのに、まるでそれを待っていたかのように彼女は振り向いた。
「で?なんでお前もここ来たんだ?」
「落ち着いて弁当を食べられる場所を皆で探してたんですよ。ついでに悠理が授業をサボって行方不明だと魅録に聞きましたのでね。」
「あたいはついでかよ。」
彼女はちょっと頬をふくらませる。
「でも僕は見つけましたよ。」
「そうだな。お前が見つけてくれた。」
するとそれが嬉しくなったのか悠理はすぐに機嫌を直して清四郎に微笑みかけた。
その顔は清四郎が最近になって知った彼女の顔だった。
彼女から告白されたのが一ヶ月前。更にその一ヶ月前にニアミスともいえる事件もあった。
あのニアミスがあるまでは知らなかった悠理の表情の数々。恐らくは悠理自身もそんな顔ができることにそれまで気づかなかったに違いない。
ぐらり、とその笑顔に引き込まれそうな自分を感じて清四郎は戸惑った。
これではまるで初恋を知った十代の少年ではないか。
木と油と雨の香のする古ぼけた部屋の中。
見詰め合う制服姿の若い二人。
ともにこれまでこんな切ない物思いなど露ほどに知らず・・・
笑えるほど大正の少女文学だ。清四郎は思わずくすり、と吹き出した。
それに実際その通りなんだからしょうがないな。
「なに笑ってるんだ?」
悠理が首をかしげる。
「いえ、ちょっとあまりにそれっぽすぎて・・・」
「はあ?」
清四郎はいまだくすくす笑っている。
「変な奴。」
と言うと、悠理はまた窓の外に眼をやった。
「悠理はもう弁当を食べてしまったようですね。」
ひとしきり笑って一息ついた清四郎が言った。彼女の足元に、剣菱家の料理人の手によったものであろう、三段重ねの重箱が置かれていた。
風呂敷の結び目がひんまがっている。悠理が不器用に結びなおしたものだろう。
「腹へってたから昼休みに入る前に食っちまった。清四郎は?」
「だからまだですよ。他の連中を探すのも面倒ですし、ここで食べてもいいですか?」
「いいよ。」
と、悠理の視線はまだ窓の外を向いていた。
清四郎はベンチ代わりの箱の、悠理が背を向けて空いているスペースに座り、弁当を広げた。
「悠理がそんなに静かに外を見てるなんて珍しいですね。寝るところでしたか?」
合間に清四郎が言う。
沈黙が彼の味覚を奪い、いつもより薄味に感じる。
この出汁巻きも、この煮物もこんなに薄味だったろうか?
「眠くはないけどな。寝ちゃいそうだったのは本当。」
小さな子供みたいだ。腹いっぱいになってすることがなくなったら眠る。
「しかし食欲は衰えないようですね。これが自称・恋する乙女の食欲ですかね?」
と清四郎は重箱を目に捉えながら言う。
「いいじゃん、あたいらしくて。」
と悠理はぱっと振り返ると、
「いっただき~。」
と清四郎の弁当からエビフライを奪っていった。
「ん?ぼっとしてるともっと取るぞ。」
もぐもぐと口を動かしながら言う悠理に、清四郎は「さっきまでの僕の物思いを返せ。」と思った。
「おごちそうさまでした。」ときっちり手を合わせてから弁当箱の蓋を閉める。
シンプルな濃紺の大判ハンカチでくるみなおしてきゅっと結ぶ。
間違っても悠理のそれみたいに歪んだ結び目にはしない。
さて、どうしようか、と思う間もなく、清四郎の右肩に悠理の背中が寄りかかってきた。
眠ってしまったのか?と彼女の方を見るとほんのり耳が赤い。
「悠理?」
「恋人距離だなあって思って。」
と、彼女は彼の右肩に頭を仰向けるように乗せた。
彼女の柔らかい髪が彼の首筋をくすぐった。
「こんなん困るか?」
と少し眉をしかめて彼女が言う。
「ちょっと困ってます。」
としれっと彼が言うので、彼女は口を尖らせるとよっと彼から身を離した。
だが彼女は、次の瞬間、何かが自分と窓際の壁の間に入ってくるのを感じて驚いている隙に後ろから抱きすくめられてしまった。
いつの間にか悠理は清四郎の脚の間に挟まれる形で後ろから抱きしめられていたのだった。
彼女の髪に彼が顔を埋めているのがわかる。耳元に吐息を感じて悠理は心拍数が一気に跳ね上がるのを感じた。
「これが本当の恋人位置でしょ?」
目眩がした。
頭が痛くなるほどの雨と油の陰鬱な匂いはどこかへ霧散してしまった。
そして後ろから自分を包む熱だけを感じていた。
その人物から漂う、かすかな整髪料の匂いだけを感じていた。
「うん。」
と呟くと、彼女は静かに目を閉じた。
この時間がなるべく長く続きますように。
待ってたわけでもないけど、やっぱり期待している自分がいた。
こんな風にこの男から友達以上に思ってもらえる日を期待していた。
雨の音が好きになりそうだ、と彼女は思った。
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