2015/03/06 (Fri) 22:30
「もう撩なんかさいってい!!」
香は掲示板のチェックもそこそこにアパートに帰ってくると自分の部屋に閉じこもってそうひとりごちた。
なにさ。デリカシー0のスケベ野郎!
バカバカバカ!
撩の馬鹿野郎!
今朝方のあまりにもロマンチックとはかけ離れた例のアレで随分お冠である。
ぶつぶつと呟きながらベッドの端に腰掛けると枕を抱きかかえた。ついつい癖になっているらしい。
「撩のバカ。」
ぽかり。
「本当にバカったらバカ。」
ぼすり。
「・・・・・・。」
でもぎゅっと膝まで抱え込んで枕を抱きしめた。
こんなことなんかで怒ってる自分が一番バカ。
たかだか唇が触れ合っただけ。
それ以上の意味なんかないじゃない?
ただの事故だったんじゃん。
ふと唇に柔らかい感触を感じる。
枕を膝に抱えてるんだから当然いま触れているのは枕カバーの柔らかい布の感触。
全然湿り気なんかなくて。
繊維の渇きと、温かくも冷たくもない温度と。
ふと思い出す。
あの時、触れた感触は。
適度に湿っていて。
温かくって。
まあ、あんなとこで夜明かししてたせいで少し冷えてたけれどね。表面はね。
そしてあのちょっとやそっとでこわれなさそうな頑丈な体なのに。
口さえ開かなければあんなにも精悍で獣の堅さを感じさせる顔であるのに。
驚くほど柔らかかった唇。
ばさばさばさっ。
びくり。
香が顔を跳ね上げてベランダを見る。
窓をよぎっていく黒い影があった。
鳩だ、と無意識が直感した。
今度は頬が火照る番だった。
こんなに撩を意識している自分が、急に恥ずかしくなった。
「ばかみたい・・・」
撩にとってはきっとなんでもないこと。相手があたしだったことすらわかってないんだろう。
わかってるの?
二人の初めてのキスだったんだよ?
路地裏。
いつもみたいに酔っ払って眠りこけてる撩。
確かにあれは不意打ちで、避けることなんか出来なかった。
撩はあたしに抱きついて。
キスを、して。
「大好きだぜ~。さえこ~。」
と言った。
「本当にばか!」
そのまま夜まで不貞寝を決め込んだ香だったが、日が傾いて来る頃にはさすがに空腹に耐えかねてきた。
撩はそのまま帰ってこなかった。
「撩の奴は晩飯抜き!決まりね。」
と呟いて香は一人分だけ食事を用意した。
カウンターに並べてみる。うん。ここ最近で一番の自信作ね。
と、玄関のドアが開く音がした。
「うお~い、腹減った~。香~、めしめし~。」
色気もくそもない、いつもの調子の同居人の声がしてダイニングのドアが開いた。
「うお!うまそう。タイミングいいじゃん、香ちゃん。」
とカウンターに並べられた料理に舌なめずりした。
だが、香は料理に伸ばされかけた撩の手をぺしっと払いのけた。
「あんたの分は抜きよ。」
「ああ?なんでだ?」
「自分の胸に聞いてみたら?またツケを溜めてきたろくでなし。」
本当。罵る言葉はすらすら出てくるのよね。いつものことながら。
「へ~へ~。香ちゃんは自分だけ美味しいものを食べる気なのね?」
「そ。あんたのお守で疲れた自分への慰安よ。文句ある?」
背の高い椅子に腰掛けて、腕組みでふんぞり返る香に撩は床に座り込んで溜息をついた。
「い~え。ありましぇん。」
と自嘲的な笑みを浮かべてがっくりうなだれた。
ふん。これくらい、サイテーのファーストキスの代償には安いくらいよ。
まだしょんぼりとしている撩を横目で見ながら香は美味しそうに自分の作った料理をぱくついた。
うんうん。我ながら今日のホワイトソースは絶品だわ。
撩に食べてもらえないのが残念なくらい・・・たは。やっぱあたしって撩には甘いのよね。
と、ちらり横目で撩を見る。
撩は今にもよだれをたらしそうな風で床からじと~っと香の方を見ていた。
「なんだよ。人が空腹に耐えてるのがそんなに面白いか?」
と頬を膨らませる撩に香はくすっと笑った。子供みたい。
なんか大きな子供を持った気分ね。
あの路地で、傷だらけのこいつを拾って。
名前を付けてやって。
あの時、子供みたいに無邪気に喜んでたこいつ。
どうもあれ以来、時々こいつがあたしの子供みたいな錯角を覚えてしまう。
どう見てもあたしよりも年上。アニキと同じかそれより年上のおっさんだってのにさ。
「じゃあ、はい。一口だけ味見させたげるわよ。」
と帆立を一つ、フォークに刺して差し出した。
撩はすねた表情のままぱくっとかぶりついた。
あ、間接キスになっちゃった。って何を今更・・・
もぐもぐと口を動かす撩となんとなく気まずい沈黙の中、見詰め合っていた。
ごくり。
にやり。
どきん。
「うまかった~。やっぱ空腹には何でもうまいな~。」
と無邪気な微笑みを浮かべる撩に香は拍子抜けした。
「はいはい。もう。本当に減らず口なんだから。」
と香は口をとがらせて残りの食事を平らげた。
「ちぇっ。やっぱこれだけなんだな?」
「言ったでしょ。夕食抜きって。」
平然とした風を装って香は皿をまとめた。
「これ以上待ってもなんも出なさそうだし、今夜はおとなしく寝ますかねと。」
と独り言にしては大きな声で言うと、撩は伸びをしながら立ち上がった。
「はいはい。そうやっていつもおとなしくしててくれるとツケも溜まらないのにね。」
と香は撩に向かってにやりと笑いかけた。
立ち去りかけていた撩だったが、急に何かを思い出したように立ち止まった。
「撩?」
と呟いた香の腕を振り向きざまに握り締め、自分のほうへとぐいと引き込んだ。
ふと、唇が触れた。
「お休みのキス。」
と撩が耳元で囁いた。そしてぱっと体を離すといつもの平然とした顔で去っていった。
朝同様の不意打ちに香はまたも呆然としてしまった。
「また、やられた・・・」
でも朝のものとは違う。
今度の撩のキスの相手はあたしだった。
挨拶程度のものだけど。
触れるだけのキスだけど。
今のはあたしへのキスだ。
じゃあ、朝のアレはなんだったのよ、と文句も言いたくなるけど。
今は忘れてあげる。
香は手を唇に当てて、抑えることの出来ない笑みを浮かべた。
翌朝には「おはようのキス」をして。
出かけるときには「いってらっしゃいのキス」をせがまれ。
「おかえりなさいのキス」と、「おやすみなさいのキス」を交わして。
そうしてキスが日常になっていった。
あのキスが始まりだった。
Second kissが始まりだった。
そのキスが段々深くなって撩の心を知ることが出来た時。
あのファーストキスは撩のあたしへの精一杯だったんだと気づいた。
だからあたしは忘れてあげた。
たくさんのキスにまぎれた振りして。
Second kissから始まった、たくさんのキスにまぎれた振りして。
でもやっぱりちょっとすねた時に撩を困らせてやるの。
「撩。ファーストキスって覚えてる?」
「お、覚えてなんかねえよ。」
「だよね~。」
たくさんのキスにまぎれちゃったね。
なんて、ね。
(2003.3.16)
(2004.9.20公開)
(2004.9.20公開)
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